第29話 飲みニケーション計画、始動
◇靭視点◇
“世話係として”側にいる。
それを聞いた瞬間、ズンとみぞおちを抉られるような気分になった。理由は分からない。ただ、それまで温かかったものが一気に冷えていくような感覚になったのだけは鮮明に覚えている。
「靭さん、これ持って行って良いですか?」
“それ”を言った当の本人は望み通りに世話係の仕事に戻れて機嫌が良いらしく、軽快な足取りで業務をこなしている。
俺が素っ気なく封書を渡しても、ニコリと笑い「届けてきます」と言って部屋から出て行った。
―――“世話係として”
ガチャン。
視線の先で閉ざされた扉と共にこの言葉が脳裏に蘇る。まるで、この扉のように俺との間に壁を作ったみたいに。
あいつが笑っても、俺の名を呼んでも、忌々しい程にその言葉が纏わりついて離れない。考えれば考えるほどジワリと不快さも広がっていく。
何度目かの不快さを払うようにハアと溜息を吐く。
長年、小競り合いをしていた南國のパラマ地区を陥落させた。だが、まだ戦は終わっていない。南國でも精鋭と言われるレオンハルトとその騎馬隊が隣の地区から撤退していないからだ。
その上、煩わしい書類仕事も並行して行っている。いくら神憑きでも、寝ずに仕事をするには限界がある。
そんな連日の疲労が、こんな些細な言葉尻を苛立たせているのだろう。
“ただ、側にいたい”と言った舌が乾かぬ内に“世話係として側にいる”と言った。そんな些細な言葉尻に。
ふと、窓の外を見る。すると書類を抱えたあいつが駐屯兵に声を掛けられていた。暫く談笑したかと思えば、兵は去っていくのではなくあいつの書類を半ば奪う形で持ち、二人で歩き始めて行った。
「チッ」
思わず出た舌打ちがやけに響く。
窓辺から視線を外し、痛くなった目頭を揉んだ。
今執務室として使っている部屋は駐屯地を一望でき、良いのか悪いのかあいつの動向もよく目につく。
駐屯兵が代わる代わる挨拶や会話をしていく姿は紅族にいる時は気にならなかった光景だ。
あいつも、仕事中なのにいちいち足を止めて兵と雑談しやがって。腹が立って仕方ない。
最初に出会った時は口下手だったのに、いつの間に上手くなったのか。この駐屯地で市民権を得るどころか兵を手懐けてやがる。
苛立つ気分を抑えていると、二人分の足音がドアに近付き、止まる。片方の足音に耳馴染みが無い事に気付き、思わず眉をひそめた。
ひとしきり笑い声がした後、両手一杯に書類を持って部屋の中に入ってきた己の世話係は笑顔だった。
「ふむるさんから新しい書類が届きましたよ」
「……外にいたのはふむるじゃないだろ」
「? はい。すみません、うるさかったですか」
「別に」
苛立ちを隠すため、表情を消してペンを動かしていく。
外にいたのは駐屯兵だ。奴らなぜ俺の世話係と雑談するんだ。
無表情にしたのに、俺の苛立ちを敏感に感じ取ったらしいあいつは、茶を入れてくると言って部屋を出て行った。疲れて苛立ってるとでも思ったのだろう。
部屋から出てすぐ、再び聞き慣れない足音が小さな足音を追いかける。やがて足音が止まり、二人分の足音に変わって遠ざかっていった。
「―――随分と気楽なもんだな、駐屯兵ってのは」
つい、抑えきれずに吐き捨てた。
あいつを追い回すほど余裕があるなら兵を引き揚げても困らんだろう、などと考えていたところでタイミングよくノック音が聞こえる。
「執務中失礼致します総司令。宜しいでしょうか?」
「……ああ、ガダ中佐」
ペンを置いて入り口を見る。すると、部屋に入ってきたガダが一瞬で青ざめ敬礼した。
「申し訳ございません。またお手隙の時に参ります」
「いや、今でいい」
「し、しかし」
「何だ。俺も暇じゃない」
用があって来たはずなのに何故か顔を青くして帰ろうとするガダを睨み付ける。すると、一層青くなったガダが報告を開始した。
「ハッ。パラマ地区の防御は固め終わりました。現在療養中の者が回復すれば、レオンハルトが攻め入っても持ち堪えられます」
「確かに地理的に有利になれば易々と突破されないだろうな」
「はい。本当に感謝申し上げます。…それで、その療養中の者ですが…」
ガダが言いにくそうに口籠る。その意図を理解し、短く息を吐いた。
「その者達が回復するまでここにいる」
「! まさか…」
想定外に驚くガダに思わず眉を顰める。―――だけだったのに、スッとガダが顔色を無くしたのを見て、想像以上に自分から殺気が出ていたと気付く。咳払いし、何事もなかったかのように話を続けた。
「俺がいない方が良さそうだが」
「っい、いえ!総司令がいらっしゃるのは大変有り難いのですが、何かと忙しい方ですので…。せめて、中将が居てくださればと思っていたのですが」
「第五連隊は違う任務がある。たかが数日、俺の方が身軽だ」
ホッとした表情のガダが一礼するのを見て、思い出したように駐屯兵の顔が浮かぶ。そして、疲れた表情で救護室の人数が足りないと苦情を申し立ててきた寧楽の顔も。
「…そう言えば、救護室の人数が足りないそうだ。何人か暇な駐屯兵を見繕え」
別に、あいつが駐屯兵と談笑してたのが気になった訳ではない。暇な奴らを遊ばせておくのは勿体ないと思っただけだ。
前々からこの砦の規模にしては救護班の人数が少ないと思っていた。この機会に包帯の巻き方くらい覚えられれば少しでも違うだろう。
「…不満か」
「! い、いえ、滅相もありません!」
何か言いたげな表情なのに、慌てて「早急に手配します」とだけ言い部屋から出て行くガダに不快感を覚える。
どいつもこいつも人の神経逆撫でしやがって。一体何なんだ。
◇◇◇◇
「あー、暇だなぁー」
「アル…。それ族長に聞かれない方が良いですよ?」
東塔の仮設部屋では、先程から金髪の少年アクバルがベッドの上に転がり、その相部屋の相手である副長のギルバートと話していた。
今朝、闇方軍第五連隊が帰城していった。紅族も…と思ったところで、待機指示が入り今に至る。
陥落させた砦の防衛線は固まったが、未だレオンハルトとその精鋭隊が隣の地区に残っている。
少なくとも負傷した駐屯兵が回復するまでは、紅族は待機する事になったのだ。
状況から考えても正しい判断だ。
しかし、意外にも好戦的な天族の少年にとってはいささかつまらない状況だった。
「暇なもんは暇なんだよ。第五連隊は帰城して演習相手もいねーし、今回は地味な補給路断ちしかしてねーし」
「そのお陰でサバランの首を落とせたのですよ。ガダ中佐があなた方をとても褒めていました」
ニコリと笑う副長を少しだけ眉を寄せて見るアクバル。
「光方軍の戦法は、圧倒的な物量です。その元を絶った功績は大きい」
「……分かってるけどさぁ」
ベッドの上で仰向けになりプラプラと足を振るアクバルにギルバートが苦笑する。
敵将である大佐のサバランが突如戦場に出たのは、アクバル達が補給路を絶ったからだ。
逃げ場を失ったサバランが、最後の賭けに出た。……そのお陰で、パラマ地区を陥落できたのだ。
「今回は、凪が活躍したとか?」
「あー。確かに、楽に行けたのはアイツのお陰だなぁ」
「普段から自信がない子だったから、さぞかし喜んだ事でしょう」
「そう?いつも通り、淡々と文句言ってたぜ。“あー、ここにも俺の能力バレちゃった”ってな」
凪・ウエスティンは紅族唯一の華族だ。
華族は、主に植物を操る能力がある。従って芸術や商業に関わる者が多く、戦闘職になる者は少ない。
第五連隊の殆どが華族だが、それは飛竜という難しい獣を操るが故に、彼等の華奢な体形と繊細な技術力が必要だからだ。
「別に、気にしなきゃいーのに」
同じ部族のはずの第五連隊。
帰る間際まで話しかけるところが一切無視し続けていた凪を思い出しながら、アクバルはため息を吐く。
「誰もがアルと同じ考えではないんですよ。特に華族は美しいものが絶対という価値観がある。……植物を『枯らす』能力の凪には、居辛い場所なんでしょう」
「……どこも、一緒だな」
疲れたように目を瞑ったアクバルに、ギルバートも少しだけ困ったように笑った。
「そうだ。流実さんに会って来たらどうです?」
「流実?」
「族長への報告書ですよ。もちろん、直接渡して頂いても良いのですが」
それを聞き終わるや否や笑顔で飛び起きたアクバルは封書をギルバートから受け取ると、「流実に会ってくるわ」といそいそと出かけていったのである。
◇◇◇◇
駐屯地での世話係の仕事は比較的ゆっくりしていた。もちろん仕事量は変わらないが、いつも家事をこなしながら働いていたので、その分の余裕があった。
その余裕のお陰か、駐屯兵ともだいぶ打ち解けたように思う。何せ一度話しかけられれば長話をしてしまうからだ。
最初は「普段の総司令は?」など彼の様子などを質問してくる者が多かった。流実もここぞとばかりに靭のアピールポイントをひたすら語る。
すると、今度は流実について質問する者が現れ始めた。総司令の世話係として怪しい者ではないと分かって欲しくて、これも質問されるまま答えていく。
すると、それに興味を持った数人が自分達の故郷や普段の生活など色々話してくれるようになり、今ではその数人が見かければ長話をする仲になった。
アクバルがやって来たのは、そんな数人の中の一人と雑談をしている時だった。
「おーい、流実ー!」
長い渡り廊下の先で手を振りながらやって来たアクバルに、流実と駐屯兵の青年は振り返った。
「アクバルさん!お疲れ様です」
「…金の獅子…!」
駐屯兵は驚いた表情でそう言うと、サッと敬礼をしてアクバルを迎えた。
「おつかれサン!今暇だった?」
「ふむるさんに書簡を渡して来たところですよ」
「じゃ、暇だな!…えーと?」
チラリと流実の隣にいる駐屯兵を見る。すると、彼は緊張したまま挨拶をした。
「狐族のシモンと申します。金の獅子にご挨拶できるとは光栄です」
そう言って一礼するシモン。
まだ若い兵士のようだが、その背筋はピンと伸びて素直そうな雰囲気をまとっていた。一方で金の獅子と言われた本人が目を丸くする。
「俺、そんな呼ばれ方してんの?」
「天族のアルクと言えば雷使いの有名な方。その御髪の色から、我々は金の獅子とお呼びしておりました。…ご不快でしたか?」
「いや…別に不快じゃないけどさぁ…」
「流実は知ってた?」そう言いながら頭を掻くアクバルに、流実は苦笑して首を振った。案外、この天族の少年は人からチヤホヤされる事が苦手なようである。
「どうしたんですか?クロノアさんに用事が?」
「あ、そうそう。これギルから。後で渡しといてよ」
そう言って軍服の袖から出したのは報告書と思しき書簡だった。流実は「分かりました」と言ってそれを受け取る。
「ま、本当はそれが目的じゃないんだけどさ」
「?」
「あまりにも暇だからさー。宴会でも企画しようかと思って!」
「宴会?」
首を傾げた流実に、アクバルは考えてきた構想を話した。長年小競り合いを重ねてきたパラマ地区を手中に収めた労を兼ねて、祝宴を開いてはどうかと言うものだった。
「駐屯兵まだ療養中だろ?だからまずは紅族でやってさ。んで、治療が終わったら皆で盛大にやるのはどうよ?」
「それは良いですね!」
「だろ?シモンも、どうかな?」
「良い考えですね。ガダ様にも裁可を得ないと」
シモンも同調する。それにアクバルもニカっと笑った。
「じゃ一緒に許可貰いに行こうぜシモン。流実は族長に許可をもらってきてな!」
「え、私だけですか?」
「そう。俺らと行くより許可もらえると思うぜ!」
「そんな、あ…!」
抗議する前にさっさと目の前から居なくなる二人。
こうなったら、何が何でも彼から許可を貰わなくてはいけないではないか。
(…いや、これって、逆にチャンスかも)
ずっと目的にしていたコミュニケーション計画。
紅族にいた時には忙しくて中々実現出来なかったが、こうして宴会という口実が転がり込んできている。
つまり、自分の頑張り次第で靭の良さを皆に分かってもらえるチャンスが巡ってきているのだ。これは何としてでも成功させなければ!
「よし…絶対に…良さを分かってもらわないと!」
ぐっと拳を握った流実は、息を整えると総司令官の執務室に向かうのであった。




