第2話 総司令官の世話係になったようです
「ここは、『神の国』の北國なの」
少し間を置いてやって来たリリィがゆっくりと話し始める隣で、流実も緊張しながら耳を傾けていた。
銀髪の少年―――靭くんは、間違いなく『神の国』に連れて来てくれたようだ。
連れて来られる前に少しでも聞けて良かったとホッと息を吐く。じゃないと、今頃パニックになっていたかも知れない。
「そしてここは、“紅族”という場所よ。軍の総司令官が兼務で治めてるところなの」
「総司令……?」
その単語に、流実は意識がふっと遠のく気がした。
―――軍の、総司令官?…という事はここは軍隊なのだろうか?
なんていうところに拾われたのか。これでは少年の世話係になるどころじゃない。
「ま、族長が来ない限り安全な場所だし、暫くここにいて良いわ」
「ぞ、族長?」
「さっきの、総司令官の事よ。滅多にここへは来ないから」
『族長』の話をしたリリィは少しばかり緊張気味に顔を強張らせていて、更に不安が上乗せされる。
そんなに族長…いや、総司令官は怖い人なんだろうか?
「それより、アンタはどうやってこの世界に来たの?」
「! お、男の子に連れて来てもらいました」
「連れて来てもらった?この世界に?」
上擦った声で目を見開いたリリィに、言わない方が良かったと後悔する。そんなに驚くなんて…反射的に答えてしまったけど、変な事だったのだろうか?
「この世界を知っていて、尚且つ連れて来れる人物なんて普通はいないわ。その子は今どこにいるの?」
「え!?その、来る時に逸れてしまって…。十歳くらいの、銀髪の子なんですけど」
―――その瞬間、リリィの顔が硬直した。
その緊張した空気に気付いた流実も一瞬にして冷や汗が流れる。
やはり言わない方が良かったのだ。早く…早く話を逸らさないと!!
「あ、あの!何で、人間が尊いんですか?」
速る鼓動を抑え慌てて声を上げた流実に、ハッと我に返ったリリィ。そして再び優しげな雰囲気に戻ると口を開いた。
「この国の神がそう考えてるからよ」
「か、神さま」
今度は流実が硬直する番だったが、よく考えばここは『神の国』だ。信じられないが、神さまがいてもおかしくはない。
(でも…神さまの方が尊いと思うけど)
でも、この世界では『人間が尊い』と言われてる以上、「そんな事ないと思うのだけど」なんて口が裂けても言えなかった。
……それより、彼女の雰囲気が元に戻って良かった。とにかく、目の前の女性を怒らせたくはないから。
「黒髪・黒目、そして耳なし。この特徴を持つ者が人間だから、保護する決まりなの」
「み、耳なし?」
「耳の先端が丸くて尖ってない事が“耳なし”よ。まあ、“実物”は初めて見るんだけどね」
ゴクリと喉が鳴る。
(――初めて見る?じゃあ…この世界では、私以外に人間はいない、という事だろうか?)
スウと背中がゆっくり冷えていった、その時だった。
部屋の扉が前触れもなく開き、そこから二人の男が顔を覗かせた。
「お、起きてる!良かったー、大丈夫そ?」
一人は肩まで伸びた金髪と、黄金の瞳の十七歳くらいの少年。
「ひと安心ですね。とりあえず保護できて良かったです」
もう一人は、声と同様に落ち着いた雰囲気の二十歳過ぎの青年。緑の髪に緑の瞳で、モノクル眼鏡を掛けている。
やはり二人共女性と同じく耳の先端が尖っていた。
突然の来訪者に、流実は彼等を見たまま固まる。そんな流実を無視して近付いて来たのは、金髪の少年だった。
「おっ。目も黒い。やっぱ人間じゃん」
にかっと笑い、流実に向かってくる少年。
その瞬間、ドクリ、と心臓が鳴って頭が真っ白になった。
(―――「おっ。黒井だ、ちょうど良いじゃん」)
突如として教室での声が蘇る。
笑いながら近付いてくる同級生。その手には、水が入ったバケツ。―――そして、それを被った瞬間の冷たさと…生臭さ。
金髪の少年は笑顔で近付いてくる。それに相反するように、心臓が早く打ち呼吸が浅くなっていった。
「俺、アクバル。よろしくな?」
少年がギュッと流実の手を握る。それが決め手だった。
「―――ひっ!」
「ちょっと、アクバル!」
瞬間的に悲鳴をあげて手を振り解いた流実を見て、少年を怒るリリィ。少年は少しだけ驚いた様子で「あ、ごめんな?」と言って慌てて手を引いた。
その様子から悪気があった訳ではないと分かり、すぐに罪悪感に襲われた。
(違う、そんなつもりじゃ……!)
この人は同級生じゃない。なのに反射的に拒絶してしまった。その上、私のせいで怒られてしまった!
動揺と焦りで何も言えなくなった流実を他所に、緑髪の青年は「全く」と小さくため息を吐いた。
「突然アルがすみませんね?私はギルバートと申します。あなたは……名前を聞いても?」
「っ流実、と言います。あの、ごめんなさい、私…」
「流実な!謝んなって!じゃ、改めてよろしく―」
「だから!これ以上近付かないの!」
また近付こうとする少年を遮り、ついでに青年も部屋から追い出すリリィ。
気を遣われている。
そう思うのに、「大丈夫です」のたった一言が石のように出て来なかった。
「ごめんね?びっくりしたでしょ。まあ、無理せずもう少し休んでて」
そう言ったリリィも苦笑すると部屋から出て行ってしまった。
閉められた扉をしばらく見つめる流実。
―――そして、次の瞬間、止めていた息を「はあっ」と吐くとベッドに倒れ込んだ。
(……ああ、せっかく…新しい世界に来たのに)
キュッと胸を掴み、静かに息を吸った。
この世界で私の事を知る人はいない。
だから新しい人生を歩めるはずで、オドオドして人の顔色を伺う事もやめられるはずだった。
私が怯えた態度を取るから、相手に気を遣わせてしまう。そんな事、分かりきってるのに。
――なのに、また同じ事を繰り返している自分がいる。
(……こんなんじゃ、また同じ目に…いじめに遭うかもしれない。変わらないと、だめなのに)
ふと、流実は抗えない程の睡魔に襲われる。張り詰めた緊張が限界だったせいかも知れない。
(だめ…靭くんを、探さないと…)
気を失うように眠りにつく直前『あの森に、行きたい』そう願って目を閉じた。彼と出会った狭間の森なら、また会えるかもしれないと。
その身体を、あの風が再び撫でていった。
◇◇◇◇
流実が眠った後。
リリィ宅のリビングでは金髪の少年と緑髪の青年がソファで彼女の前に座っていた。
「どうしたんだ?暗い顔してさ。流実が人間だったのは、嬉しい事じゃんか」
「確かに、そうなんだけど…」
アクバルの質問に少し間を置いて答えたリリィは、緊張気味に口を開いた。
「さっきあの子から聞いた話が気になって」
「何を話したんだ?」
「どうやってこの世界に来たのか聞いたの。そしたら“銀髪の子”に連れて来てもらったって言ったのよ」
その瞬間、部屋が静寂に包まれた。
まるで呼吸音まで消えたかの様な静けさと空気が冷えたような緊張感も漂う。
「……銀髪なんて、族長くらいよ」
その言葉を口にしたリリィはもちろん、ギルバートやアクバルも全身を硬直させる。
―――紅族族長。つまり、闇方軍総司令官の事だ。
「十歳くらいだと言ったから、歳が違いすぎるしまさかと思うけど」
「いや、まさか、とは言い切れませんよ」
そこで初めてギルバートが焦る様に言葉を返した。
「もし族長なら?人間をこの世界に連れてくる事ができるでしょう。あの方はどんな可能性もある」
「可能性って…」
リリィは少しだけ言葉を詰まらせる。そして、一番可能性の低い事を告げた。
「あの族長が人間を連れて来ると思う?」
それには二人ともグッと押し黙った。
そんな事、天と地がひっくり返ってもあり得ない。だからこそ不気味でならなかった。
暫くしてギルバートが神妙な顔で口を開く。
「それより考えないといけない事は、彼女が族長に見つからないようにする、という事です」
その瞬間、再び部屋の空気が止まりリリィとアクバルがサッと身体を強張らせた。
「族長に見つかれば……最悪、彼女は殺される。“人間だから”が通用しない方ですから」
「っ分かってるわよ。でも、保護しなきゃ」
「いえ。“確実”な方法を取ります」
緊張気味にモノクル眼鏡をクイっと上げるギルバート。
「明日、城へ行きましょう」
そう言った声は、微かに震えていた。
『城』
この国の王であり、神がいる場所。
人間は尊いと思ってる神の元へ、人間の少女を連れて行く。
この場の全員の考えが一致したのか、皆顔を見合わせて頷いた。彼等は、不安と焦る気持ちを抑えつつ、打ち合わせを行うと直ぐに解散した。
絶対に、族長に見つかる前に、と。
◇◇◇◇
ふと頬に柔らかい温かさを感じ目を開けると、見上げるほど高い木々の隙間から差し込む光が触れていた。
昨日、銀髪の少年と出会ったあの“狭間の森”にいた。いつの間にここに来たんだろう?なんて思っていた時。
「―――お前も“眠ったら”この森に来れるのか」
また、背後から例のハスキーボイスが響いた。
(! 良かった、会えた…!!)
流実はホッとして振り返り―――そして息を飲んだ。
目の前にいたのは、流実より頭一つ分小さかった少年ではなく、少しだけ見上げる背丈になった少年だった。
左右対称の輪郭は中性的だった幼さは消え、線の細さはそのままに男性的な骨格が現れている。
着ている服もボロボロではなく、上は白の道着に下が紺の袴姿をしており、更に伸びた長い銀髪は後ろで一つに括られて、清潔感に溢れていた。
誰がどう見ても凛々しい美少年だ。恐らく流実の少し年下の十五歳くらいだろう。これから声変わりをするのだろうか。今は少しだけ低い。
(な、何で姿が違……?)
固まって動けない流実に、目の前の少年は片眉を上げて睨み付ける。
「何だ、またジロジロ見やがって」
「じ、靭くん、だよね?」
「お前…。昨日会ったばかりだろうが」
「……もっと子供だったけど」
分かってる。この髪色といい外見といい声といい口の悪さといい彼で間違いない。けど姿が違うの何故?
(やっぱり、あの時“変化”したのは見間違いじゃない…?)
「そりゃこの森にいる時は、ガキの姿もある」
「え?」
「まぁいい。とにかくこうして会えたんだ。今どこにいるか言え」
不機嫌そうに言う靭にハッとする。
確かに彼の言う通りだ。
何故“眠ったら”この森に来れるのか、何故彼の姿が違うのか凄く聞きたいけど…早く合流する事が先だ。
「北國の、紅族ってところにいるの」
「紅族?何だ灯台下暗しだな」
え?本当は紅族が目的地だったの?
そう思ったが口には出さなかった流実に、「まあ、紅族なら良い」と靭が言った。
どうやら紅族を知っているらしい。若干言い方が引っかかるものの、とりあえずホッと安心する。
「仕方ねぇ、迎えに行ってやる。それで?誰がお前の面倒見たんだ」
「面倒って…。その人が人間は初めて見るって。どういう事なの」
(……あっ)
自然に出た、文句だった。
言った瞬間、流実は心の中で“やってしまった”と動揺する。
今の靭の姿は、正直流実の最も苦手とする相手だ。何故ならいじめていた同級生をイメージししてしまうから。
……だけど何故か彼には言えてしまったのだ。何なら…普通に話せている。
(何でだろう…?子供姿を見たせい?それとも――自分の心を吐き出せたせいかな)
物思いにふける流実に少しだけ眉を寄せる少年。だが、それだけだった。
「…つまり人間だとバレたのか」
ドスの効いた掠れ声が綺麗な少年から出た。
うん、違うこれは怒ってる。
でも“人間だとバレた事”に対して怒ってるみたいで、先程の文句に対して怒っている訳ではないと分かり少しだけ怖さがなくなる。
「ごめんなさい。でも、すぐ気付かれて」
「そりゃお前は耳を隠さないと黒目黒髪だからな。俺とは違う」
――その言葉を聞いた瞬間、驚きでまじまじと少年を見てしまった。
銀髪で藍目の人形みたいな彼は、自分を『人間』と言ったようなものだ。
驚いてる流実に苛立ちを隠さず舌打ちする靭。
「なんだ。俺が人間なのはおかしいか」
「えっ!?い、いや、こんなに綺麗なのに私と同じ人間って言われても」
再び目を剥いて固まる少年。
「……やはりお前は変な女だな」
「変って言わないで。それに人間は珍しいなんて、教えてくれたら良かったのに」
「聞かなかったろ」
フンと鼻を鳴らす少年。
え?そんな重要な事、聞かなくとも教えて欲しかったんですけど。
「それより、お前を人間だと知ってる奴は誰だ」
「……私が知ってる限りではリリィさんと、金髪のアル?さんと眼鏡の男の人だけど…。知ってるの?」
「―――あいつらか」
クッと歪んだ表情で笑った気がした
紅族も、リリィ達も知ってるらしい。なのに、その表情は一体何だろう?
……いや、そもそもこの少年は紅族の“何”なのだろうか。
「お前紅族にいたなら俺の話は聞いたんじゃねぇか?」
「? 特に…銀髪の子なんて」
「銀髪の“子”?何言ってんだ。ガキだと思ってたのか」
前回会った時は十歳くらいの少年で、今は十五歳くらい。充分にガキに見え……え?やっぱり今の姿も違うの?
「も、もしかして本当は大人…とか?」
「そうだが。朝には行く。何処にいるか教えろ」
「!?ま、待っ」
“この森にいる時は、ガキの姿もある”
本当に、見間違いではなかったのだ。一番聞いておかないとならない。え?本当なの?
「靭くんが大人なんて、言ってなかった!」
「聞かなかったろ」
「ま、また!!」
「ああ、もううるせぇ。どう喚こうがお前は俺の世話係として連れて行ったんだ。それともやめるか?あの世界で、一人で生きていけるならな」
その言葉に思わずグッと口をつぐんだ。
そんな事できないと知ってて言ってるのだ。この少年は案外意地悪で、そして理不尽らしい。
「リリィさんに、保護してもらったの」
少しだけ怒ったように返事をする流実に、靭はフンと鼻を鳴らし「最初から言え」と返した。その太々しいはずの顔も美しく大変羨ましい。
「じゃあ、起きて待ってろよ」
「えっ、場所分かるの?」
「当然だろ。俺は紅族長だからな」
「……え?」
「紅族……長」
ポカンとした表情のまま、言われた事を反芻する。
確かリリィさんが説明してくれた。そう、そのはず…なのに、頭に入ってこない。あれ?つまり?
「なんだ本当にあいつら俺の話をしてないのか。まぁいい。いずれ分かる」
「……へ?」
「とにかく、起きて準備してろ。因みにあの世界での俺の名は“クロノア・アギル”。いいか。間違っても靭と呼ぶなよ」
「く、クロノア・ア?な、何で名前違…」
「クロノアとだけ覚えておけ」
「っあ!」
「待って」と言った流実を無視してスゥと森の奥に消えていく靭。
先程と同じ静寂が訪れる。柔らかな光に包まれた深い森に残された流実は、その場にポツンと佇んで先程の少年の言葉を反芻していた。
紅族族長、クロノア・アギル。
リリィさんは―――確かこう言っていた。
紅族は軍の総司令官が兼務で治めていると。
「……総司令官の、世話係になったの?」
言葉に出して、ようやく状況が分かってくる。
無事に再会を果たせそうだが、どうやら彼は偉い人だったようだ。
(……え?―――無理)
知らなかったとはいえ、自分なんかがそんな偉い人の世話係なんてとてもできない。
じわり、と胸の中に嫌な気持ちが湧き上がる。
(――「どうせ、何も出来ないんでしょう?」)
眉を顰め、落胆した母親の顔が浮かぶ。そして、そんな母の表情を見た自分の姿も。
どうせ、自分は期待されても、残念だと思われるだけなのに。
(……でも、靭くんは、私の話を聞いてくれた…)
キュッと拳を握りしめる。
初めて感じた優しさに、恩返しをしたい気持ちがあるのは嘘じゃない。
彼が私を望んでくれるなら…少しの期間でも仕事をしよう。そう、思った。
◇◇◇◇
朝のキンと冷えた空気が頬を撫でる。
大きな欠伸をしたリリィは洗濯籠を抱えながら庭に出ていた。
家事嫌いな彼女にしたら今日は驚くほど早起きである。掃除、洗濯、食事作り。やらなくて済むのなら、一生やりたくない。だが今日はそんな面倒事をさっさと済まし城へ行く必要があった。
人間は尊いと考える神に、人間を庇護してもらう。
自分達の族長に見つかる前に。
「ああ、終わった。朝食は昨日の残りを温めて、流実を起こし―」
寝ぼけ眼で洗濯を干し終わり、独り言を呟きながら扉に手をかけたその時だった。
―――ヒュっとリリィの呼吸が止まり、全身が硬直したように緊張が走った。
先程まで眠かった気分は一瞬で吹き飛び、瞬時に戦闘モードに切り替わる。
家の中に、「何者か」の気配を感じたからだ。
その得体の知れない気配を探るようにリリィも気配を消し、静かに部屋に入る。キッチン、居間、そして脱衣所を確認していく。「何か」は、どうやら一階にはいないらしい。後は、二階の自室か、あの少女のいる…部屋の中か。
(しまった…!)
その気配の正体に気付いた瞬間、心臓が一拍、間を置いてから跳ねた。
―――あの子が、危ない。
考えるよりも早く、リリィの足は階段を蹴っていた。




