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第28話 もう一度、繋がせて


久しぶりに訪れた『狭間の森』は相変わらず神秘的で穏やかな空気が流れていた。

柔らかな土を裸足で踏みしめた流実(るみ)は、胸いっぱいに息を吸い、心を落ち着かせる。


(……行かなきゃ)


不安を掻き消すように、流実は歩き始めた。


白のシャツに、紺色のスカートのセーラー服。歩くたびに涼しく感じる足元に、いつも履き慣れた世話係のズボンが恋しくなる。

そんな事を考えながらしばらく歩いていくと、大きな木の根本からチラッと光が輝いたのに気付く。


――この森は明るい。

見上げる程高い木々の隙間から差し込む柔らかい光は、地表に届いて思い思いの色を放ち、時に白く反射していた。


だが、流実にはそれが光の反射でないと分かっていた。


「―――(じん)さん」


静かに、光の元である銀髪の主を呼ぶ。

応答はない事くらい知ってる。ただ、呼び掛けた彼がその場から移動しない事を確認したかった。

木の根本に見える輝く銀髪は、ピクリとも動かない。安心すると同時に、少し不安になった流実は恐る恐る反対側へと進んだ。


―――大きな木に背中を預けるように座っていたのは、紅い軍服姿の靭だった。

ここにいる時の彼はいつも子供姿だったから、普段見慣れた……しかも、先程見たばかりの青年姿に一瞬たじろぐ。


しかし、それ以上に流実を戸惑わせたのは彼の雰囲気だった。

片膝を立て、そこへ右腕を置き、うつむくように頭を預けている。そこから流れる銀の髪が、無造作に彼の紅い軍服を隠していた。

左の手や足は所在なさげに下に落とし、力をなくしたようにだらんとしている。


まさか死んでいるのではないか?

つい、そう思ってしまう程、全く生気を感じなかった。

俯いているので流実には靭の表情は分からない。分からないが、見ただけで彼が普通ではない事は理解できる。


ツキンと痛む胸を押さえて、流実は少しだけ離れた場所へゆっくり座った。

右隣に、靭のだらりと垂れた左腕が視界に入る。

もちろん彼は流実に気づいているはず。なのに、一切動かなかった。


(………私の、せいだ)


流実にはそれが確信できた。

戦闘において靭は完璧だった。死神をコントロールし、味方の被害を食い止め、目的の敵将を倒した。そんな彼がこの森にいる必要はない。

―――自分が、彼から逃げてしまった事を除いて。



「―――何しに来やがった」


その時だった。

酷く冷え切った掠れ声が響いた。

突然の事に慌てた流実は何も言えず、「あの…」と小さく呟く。


「帰れ」


突き放すような、今まで聞いた事もない冷たい言い方に流実はヒュッと喉を詰まらせた。と同時に、やはり自分のせいでこの人が傷付いているのだと……理解してしまった。


(違う!私は、靭さんの味方なのに…!!)


でも、今更何て言えば良いのか分からない。逃げてしまったのは事実だから。

もし彼の言う通りこのまま帰れば、余計に彼を傷付ける事だろう。それだけはしたくない。


一度心を閉ざしてしまったら、きっと靭は二度と心を開いてくれないから。


頭の中がぐちゃぐちゃになったのは一瞬だった。

何故か、咄嗟に彼の手を握ってしまったのだ。


ビクリと身体を揺らし初めて反応を示す靭。すぐに手を引こうとするのを、流実はグッと力を入れて繋いだままにした。

―――靭の手は、まるで死人のように冷たかった。硬く大きな手が緊張している。


何故自分がこんな事をしているのか分からない。

ただ、自分の気持ちを彼に伝えたくて…でもどうすれば良いか分からなくて、気付いたら手を握ってしまったのだ。


緊張と不安、そして彼の反応が怖くて隣を見れない流実は、今更手を離す事もできずに俯いたまま硬直する。

……でも、彼は手を離そうと思えば簡単に振り払えるはず。それをしない意味に気付いて、流実は更にギュッと手を握った。


「…離せ」


冷たい掠れ声が呟く。


「…嫌です」

「離せっつってんだろ」


思わずビクリと肩を揺らす流実。

……冷たい声。でも、振り解かない。……きっと彼の本心ではないからだ。


「…ごめんなさい」


繋いだ手がピクリと反応する。


「私…そんなつもりじゃなかったんです」

「………」

「ごめんなさいっ…!」


もうどうすれば良いのか分からなかった。

謝るしかできない自分が情けない。謝って、許して貰おうなんて勘違いされても嫌だ。

でも――私は靭さんから逃げたんじゃない。これだけは分かって欲しかった。言葉に出来ない代わりに、つい強く手を握る。


暫く時間が経つ。長い時間に感じた。

―――すると、信じられない事に、彼の手が重みを預けるように、そっと地面に置かれたのだ。


握り返す事は無かったが、振り解く事もない。流実の手を上にしてそのままの状態で落ち着く。それはつまり、彼が受け入れてくれた事だと、流実には直ぐに分かった。


―――その瞬間、涙が溢れた。

自分が傷付けてしまったのに。そんな彼がもう一度受け入れてくれた事が嬉しくて。ポロポロと涙が溢れてきて、何度拭っても止まらなかった。

もうこのままでいいや……そう思って泣き続けていると、ぎこちなく、彼の手が流実の手を包み込んだ。


驚いて泣き顔のまま靭を見る。

彼は先程と同じ片膝を立て、右腕に頭を預けている。そしてその状態のまま、流実を見つめていた。


「じ…ん…」

「……何でお前が泣くんだ…」


呆然としたまま彼を見つめていると、フイと顔を逸らした靭が再び俯いた。


……確かに、その通りだ。

けど、そう言った彼の顔が…何故かとても優しく見えて暫く呆然としていた。

繋いだ手はそのままだった。ただ、先程よりも温かく感じたのはきっと気のせいじゃないと流実は思うのであった。




◇◇◇◇



翌朝。流実が目覚めると、いつの間に帰ってきたリリィが真紅の髪を布団の中にすっぽり納め、微かに寝息を立てていた。


流実は小さく息を吐くと、彼女を起こさぬよう静かに部屋を出る。

一階の大広間では、何人もの兵士が雑魚寝をしていた。皆戦闘が終わって安心しているのだろう。

流実はそんな彼等の寝顔を見てホッとしながら……塔を出た。


―――東の空からは青い光がボンヤリと見える。西にはまだ上弦の月があり、雲一つない綺麗な空は昨日までの激しい戦闘などなかったように澄んでいた。


流実は深呼吸をして、歩き始める。

目的地は、もちろん靭のいる北塔だ。


本当は会うのが怖い。

狭間の森では受け入れてくれた。でも、許してくれたかは分からない。いや……正直受け入れてくれたかも怪しい。そう思うと怖さで足が重くなっていく。

でも――だからこそ、ちゃんと向き合わないとダメだ。


ずっと繋いでいた手の温かさを思い出しながら、遂に彼の部屋の前に到着する。


流実は不安ではち切れそうな心臓を押さえ、最後の深呼吸をして――ドアを叩いた。


部屋の奥では紙の擦れる音と、ペンを走らせる音が微かに聞こえる。……皆が眠ってる中、靭はとっくに起きて仕事をしているらしい。

少しして返された返事に、震える手でゆっくりと扉を開けた。


―――軍人らしく詰襟のシャツをキッチリ着た靭が、大量の書類に囲まれ、仕事を行っていた。

端正で整った顔立ちは、無表情になると精巧な人形そのものに見える。誰が見ても冷静沈着で凛々しい総司令官がそこにいた。



「……靭さん」


扉を閉めて、呼びかける。すると、資料に目を落としペンを走らせていた靭がピタリと止まった。


ゆっくりと顔を上げる。

―――その顔は呆然としているような、驚いているような表情だった。よく見れば隈が酷く顔色が悪い。

……きっと、昨日はあのままずっと森にいて寝てなかったのだろう。しかし、総司令に休みはない。どれだけ傷付こうが、どれだけ疲れていようが、彼はそれを表に出してはいけないのだ。

そう思ったら、流実はまた泣きそうになった。


「―――世話係に、戻して下さい」


真っ直ぐに見つめながら流実は言う。

それを聞いた靭は、ピクリと指を動かす。


「お願いします。…側にいさせて下さい」


言いながら、視界がボヤけていく。

ああ、何でこれを言うだけなのに、泣いてしまうんだろう?昨日、彼だって言っていたのに。「何故お前が泣くんだ」と。


返事がない。

……どうしよう、やっぱり――許してくれないのだろうか?確認したいのに、次から次へと視界が滲んでよく見えない。


「何故だ」


一言だけ返される。

だが、その不機嫌そうな声を聞いた瞬間、嫌な予感が流実の全身を駆け巡った。次にペンを置く音と椅子が動く音が聞こえる。小さく吐いたため息と共に。


(――やっぱり、受け入れてくれたのは――私の勘違いだったんだ)


咄嗟にその考えに至った流実は、靭からの拒絶を聞きたくなくて一礼して慌ててドアに手を掛けた。


「ふざけるな」


その声がとても近い所から聞こえたと思った瞬間、目の前のドアが「ガン!」と大きな音を立てて閉まった。


……何が起きたのか分からず、頭が真っ白になった。

目の前のドアには靭の大きな手が置かれ、もう片方の手は流実の手越しにドアノブを握っている。

……昨日、ずっと繋いでいたはずなのに、今更彼の手の大きさや力強さに気付いてドキリとした。

触れてもないはずの背後の彼がやけに熱く感じ、更に動けなくなる。


「また逃げんのか」

「! ち、違…」

「違わねぇだろ。……泣くな。不快だ」

「…っご、ごめなさ…!」


つい小さく叫ぶ。


「もう、来るなって言われるかと思って…それで…」

「それで逃げようと思った?勝手にお前から来た癖に?」

「!」

「―――お前は一体何がしたいんだ。泣くほど無理に世話係へ戻る必要はない」


―――泣くほど、無理に、世話係に戻る必要はない。

その言葉を聞いた瞬間、流実は振り向いて「違います」と叫んでいた。目の前の彼は少しだけ驚いた表情をし、だが直ぐに元の顔に戻る。


「じゃあ何だ。何のメリットがあって世話係に戻る」

「メリットなんて何も…!ただ、靭さんの側に居たいだけ…!」

「俺の側に?お前、頭おかしいんじゃねぇか?」

「っ…!そんな」

「戦場では逃げただろ」


それにビクリと肩を揺らす流実。

確かに、自分はこの人から逃げてしまった。だから何も返せない。


「お前は何なんだ。俺の側にいたいなどと言いこの銀髪も躊躇なく触ってくる癖に、俺が近付けば逃げていく。本心は俺が怖いんだろうが。もっとマシな嘘を付け。腹が立ってしょうがねぇ」


余程業を煮やしたのか、一気にまくし立てる靭。それに流実は嗚咽を抑え、必死に首を振った。


「泣くな。言いたい事があるならはっきり言え」

「ほ、本当に側に居たいだけなんです。お願い、信じて…」

「信じろだと?お前の、何を信じれば良い」


苛立ちを隠す事なく、靭は流実をなじる。

流実は震える肩で息を吐くと、彼を受け止めるように言葉を返していく。


「あの時逃げたのは、ただ“死”が怖くて…」

「俺に殺されると思ったか」

「―――違う!靭さんはそんな事しない!」


つい、反射的に大声で否定した。それに初めて、彼の身体が揺れる。


「……初めてだったんです」

「は?」

「初めて戦場に行って、初めて目の前で誰かが死んで。……それが、怖くて、怖くて……」

「……」

「靭さんは助けてくれたのに。それ以上に誰かが“死んだ”事がショックで…何も考えられなくなって…」


俯いて、再び流れ出た涙を拭う流実。


「そして、逃げた後、気付いたんです。もしかして、靭さんから逃げたと勘違いされてたら…絶対に嫌だって」

「…だから、俺の側にいると?」


小さく頷く流実。

―――彼の心の傷は自分もよく知っている。拒絶の痛みも、孤独の苦しみも、その辛さも。だからこそ、側にいたかったのに。

……なのにあの時逃げてしまった自分が許せない。

その時だった。


「…虫唾が走る」


ボソリと、呟くように靭が言った。

返事をしようとして……喉が張り付き、呼吸すら出来なくなる。


―――最上級の、拒絶の言葉だったからだ。

咄嗟に振り返りノブに手を回す。するとまた大きな音がして再びドアが目の前で閉まった。

……虫唾が走る程不快なら、何故逃してくれないんだろう。嗚咽を噛み殺しながら思ったが、何も言えなかった。


「お前が言う綺麗事なぞ、信用できん」

「っ…」

「…だが…クソっ…自分に虫唾が走る」


(―――え?)


恐る恐る振り返り彼を見つめる。

と言っても、涙が邪魔して表情がよく分からない。


今の……”自分に”って言わなかっただろうか?


暫く聞き違いかとぼんやりしていたが――やがて彼は大きな手で流実の頬を撫で涙を拭った。


ドキリと、自分でも信じられないほど大きく心臓が跳ねる。


「……本当に変わった女だ。逃げたのも事実だが……“コレ”は、俺の為に泣いてるんだろ?」

「――!」


確かに、そうだ。

流実はボヤける目でもう一度小さく頷いた。


「―――そういう事なら、二度と泣かせない」


掠れた声が、揺れたように聞こえた。

咄嗟に自分で涙を拭い靭を見ると、少しだけ藍色の瞳を揺らした彼が流実をじっと見つめていた。


「……じゃあ、世話係に…戻って良いんですか?」

「……仕方ない」

「じゃあ…!世話係として、これからもずっと側にいて良いんですね?」


ピクリと、靭の手が動いた。

そして、スッと流実の頬から手が引かれる。その道中で、「ギリ」と拳を握る嫌な音が耳元で響き、流実は再びヒュッと息を飲み込んだ。


「―――ああ」


少しして返事をしたハスキーボイスは、先程よりも堅かった。


(なんか……怒っ…た?)


靭の顔を見ようとしたが、眉を寄せてフイと視線を逸らされてしまう。

慌てて口を開こうとしたが、踵を返し執務に戻った彼に返すタイミングを失ってしまうのであった。


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