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第24話 檻の中の少年は、掠れ声だった


白い白いその場所は、まるで濃い霧の中にいるようだった。

ボンヤリとモヤがかかり、百m先もよく見えない。だが、辺りを見回せる程の明るさはあった。


(…何だろう、ここ…)


また、いつもの夢なのだろうか?

でもここは“狭間の森”でない事くらい分かる。


流実(るみ)は不安に駆られ、ぐるりと視線を彷徨わす。すると、振り向いた先に建物らしき影と林のような緑が見えた。

……まさか、建物があるなんて?


惹きつけられるようにそこへ向かって歩いて行く。

建物に近付くほどに 小石や土の凸凹が増えていき、木々の幹が分かるほどに近づけば、そこは森であることが分かった。


―――森の中に佇む建物は土蔵だった。

ずっと昔に建てられただろうその土蔵は苔が張り付いて、所々土が剥がれ落ちている。

高さは流実が見上げるくらいあり、小さな換気窓が高い位置に一つあった。


流実は興味をそそられるまま、入り口を探す。

木々の茂みを掻き分けて土蔵の周りを歩いていくと、ちょうど反対側に重厚な金属の扉があった。


試しに取手を引いてみる。………すると、微かに金属が擦れる音が鳴って少しだけ扉が動いてしまった。流実は一瞬迷い……結局、扉を開けてみることにした。


―――中は冷んやりとした空気で満ちていた。

霧の森でさえ明るかったのに、土蔵の中はまるで夜のように暗い。外から見えた天井近くの小窓から僅かな光が漏れているだけだった。


恐る恐る足を踏み入れる。土蔵の中に霧はなく、暗闇に目が慣れると視界もハッキリしてきた。

数歩進んだ時。流実はギクリと足を止める。


―――奥に、牢屋がある事に気付いたからだ。


(……なんで、こんなところに……?)


今更だが、何故森の中に土蔵があるのだろう。……もしかして、隔離しなければならない“理由”がその中にいるのではないか?

流実はその意味に気付くと、一瞬で恐怖に襲われる。急いで踵を返し扉に手をかけた、その時。


「誰か…いるの?」


声がした。

流実は扉に手をかけたまま動けなくなる。この声を、どこかで聞いた事がある気がしたからだ。


その“子供”の声は……牢の中から聞こえていた。


―――怖い。何故こんな場所に隔離されているのだろうか?

だけど、それ以上に弱々しい声に放っておけなくて、恐る恐る扉から離れた。

ゆっくり、ゆっくりと奥に歩を進める流実。


(大丈夫。牢屋の中にいるんだから…何かあれば走って逃げられる)


ドキドキと心臓が鳴り響く。

近づく度に、鉄格子に巻きつけられた鎖と南京錠の多さに更に恐怖が上乗せされていく。


「あの…そこに、いるの?」


流実は鉄格子に近付きながら、恐る恐る聞いてみる。すると、牢屋の奥で布が擦れる音がした。


「……ここだよ」


―――掠れた声だった。

よく聞けば、子供にしてはしゃがれた、まるで喉を潰してしまったかのような声。


ハッとして子供を見る。

この声を…流実はよく聞いている筈だった。


(ああ、何でこんな所に―――?)


「じん…さん?」

「ぼくに…会いに来てくれたの?嬉しい…」


そう言って微笑む子供は、動くことはなかった。


―――いや、もう、動けないのだろう。

痩せ細って浮き出た骨に、汚れた服、そして乾いた血の跡は小さな口から流れている。

見慣れたはずの銀髪は艶の代わりに泥が付き、何も映してない藍色の瞳は宙の何処かを見つめていた。


彼の手元には、恐らく何かの食べ物だったものが皿の中でカビており……その手首や首には鎖が巻き付いている。

それは、長らくこの場所に監禁され、置き去りにされていた事を物語っていた。


「どうしてっ…!!」


思わず流実は鉄格子を掴み、思い切り揺する。

どうして?どうしてこんな場所に(じん)さんがいるの!?一体何をしたって言うの!?

必死に扉を揺らすも、ガチャガチャと重なった鎖と南京錠が音を立てるだけで、もちろん開くことはない。狭い土蔵の中で金属が擦れる音だけが嫌に反響し、流実は焦りと怒りに似た困惑で頭が一杯になった。

駄目だ。誰か人を呼んでこよう。直ぐに開けてもらわないと。そう思ってすぐさま立ち上がった。


「っ靭さん!待って、今助けを呼んで来ますから!だから――」

「いかないで」


消え入りそうな程の小さな掠れ声なのに、何故かはっきり聞こえた。


「お願い、ここに居て」

「でも」

「何もいらないから、わがまま言わないから、良い子にするか…」


途中で途切れた声の代わりに、咳き込む音がする。流実は慌てて鉄格子の側に寄る。

乾いた血の跡をなぞるように、彼の口から鮮血が一筋流れた。


「っ!靭さん!!」

「いかないで…綺麗にするから…」

「私はどこも行かない。綺麗にしなくたって良い。ずっとここにいるから!」

「……ほんと?」

「うん、本当。―――ほら」


そう言って精一杯鉄格子の中へ腕を伸ばし、その小さな手を握ろうとする。だが、あともう少しなのに届かなかった。

彼はもう目が見えていないらしく、ぼんやり宙を眺めている。


「手を握ろう?ね、腕を伸ばして」


必死にそう言った。

すると、彼は暫くの沈黙の後、ジャラリと鎖を引きずり、痩せ細った腕を前方へ伸ばした。

……その震えた細い腕を見ると、流実は思わず込み上げてくる感情を抑えられずに涙を流した。


きっと今の彼には、手を伸ばす事だって辛いはずだ。

だけど、一生懸命に触れようとしてくる姿に、どうしようもなく胸が掻きむしられる。


「ほら、私はここにいるよ。ずっと、握ってるからね」

「…うん。…うん…」


彼は震える手で流実の指を握り、かすかに笑ったように見えた。その笑顔が、あまりにも痛ましくて、流実はもう何も言えなかった。

想像以上に冷たく、そして子供だというのに骨ばった小さな手。見るからに栄養失調の小さな身体は、よく見ると無数の痣もあった。


流実が見つめていると、彼は繋いだ流実の手を自分の頰に擦り付けるようにしてきた。余程、人の温かさに飢えていたのだろう。

本当は頭も撫でてあげたいのだけど、片手を伸ばすので精一杯の流実はこれ以上どうにもできなかった。


なんて酷い。何故こんな小さな子供を牢に閉じ込め放置しているのか。ろくに食事も与えず、光すら届かない場所で。一体彼が何をしたと言うのだろうか。


「…嬉しい」


ポツリと、小さな掠れた声がした。


「え?」

「…こんな温かいの、初めて…」


その時だった。

土蔵に光が充満する。流実は眩しさに思わず目を細めた。背後から光るそれは、土蔵の扉が開いた為だった。


「―――誰だ!?ここで何をしている!」

「あ…!」


見つかった。

そう思った瞬間、流実は光に包まれた。


(何!?これ…)


だんだんと霧に包まれるように自身の身体が透けていく。最初に立っていた場所みたいに、目の前の鉄格子も、土蔵も、繋いでいた手の感覚もモヤがかかっていくようだった。


「待って…待って!靭さんは…」


握ったはずの小さな手の感触が消えていく。

その先にいる彼は、見えないはずの目を見開いて必死で何かを言っている。しかし全てが霧に包まれて、彼の声も、姿も見えなくなってしまった。



“ぼくをひとりにしないで”



聞こえないはずの掠れ声が、何処からか聞こえた気がした。




◇◇◇◇



「―――靭さん!!」


叫ぶように自らの主人の名を呼んで飛び起きた流実は、一瞬何が起こったのか分からず呆然としていた。

まだ手の温度が残っている気がして、咄嗟に指先を見下ろす。が、あるのは震えた自分の手だけだった。

……溢れる涙が止まらない。肩で息を吐き、暫くそうしていると、やがてあれが夢であったとようやく気付く事ができた。


ここは北國のイソラ駐屯地、東塔。

数日前にこの場所へ来て――そして昨日、開戦の伝令を聞いたばかりだった。

……あんな夢を見てしまったのは、きっとナーバスになっているからだ。

何故それが靭の夢なのかは分からないが、そう言えば最近全く顔を見てないので無意識のうちに見てしまったのかも知れない。


(でも、あんなに生々しい夢なんて…。まるで、本当に過去あったような――)


「流実、起きてる?」


部屋の扉を開けたのは、真紅の軍服を纏ったリリィだった。流実は急いで涙を拭くと「どうしましたか?」と答える。


「ちょっとバタバタしてて。救護室まで送るから準備してくれる?」

「! は、はい!」


準備といっても、医療スタッフの服に着替え三角巾を付ければ良いだけだ。直ぐに着替え、リリィに付いて東塔から出る。


「ごめんなさい、毎回迷惑を…」

「気にしないの。道中何かあればアタシが不安だし、族長からも言われてるしね」

「クロノアさんから?」


先程の夢もあり、思わずギクリとしてしまう。


「なぁに?そんな顔して」

「え、あ、その…」

「まあ、直接は頼まれてないけどね。でも顔を合わせると“あいつは昨日ちゃんと帰って来たか”とか聞かれるから」


意外だった。

彼が心配してくれているという事だろうか?

…いや違う。私の心配じゃなく、私が周りに迷惑かけていないか、人間だとバレてないか心配なんだろう。


「やっぱり迷惑なので、後は自分で行きます」

「だーめ!もし敵がきたらどうするの?」

「それは…。そんなに状況が悪いんですか?」

「奇獣隊が踏ん張ってるわよ。でもサバランがしつこいのよ。物量に任せてめちゃくちゃな攻撃してきて。…何とかしないとね」


リリィはスッと気を引き締めた表情で返事をする。

いくら女性といえど、リリィはれっきとした紅族の戦闘員だ。戦うのか彼女の仕事であり、義務なのだから。


「さ、着いたわよ」

「ありがとうございます。―――あの、お気をつけて!!」

「死なないように頑張るわ」


そう言って茶化すように言ったリリィは、今来た方向へ踵を返す。

ふと靭は無事なのか聞こうとして――

牢の中の、痩せ細った少年が頭によぎり、ズンと心が重くなった。結局流実は、何も言えないまま彼女を見送るのであった。


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