第23話 奇獣隊と副司令と、戦いの幕開け
流実が靭に付いて東塔に向かうと、既に黒の軍服を身に纏った援軍が到着していた。援軍は三十名程しかいない小隊だったが……その脇にいる生き物が異様な存在感を放っていた。
(……なに、アレ)
思わずゴクリと喉を鳴らす。
―――生き物は、小さな馬のようだった。
しかしその頭は虎、脚は龍の鉤爪、そしてコウモリの羽が生えている。
(凄い…。この世界では、こんな生き物もいるんだ)
自然と足が止まった流実は、興味を唆られるまま見つめる。
一方靭は小隊と離れた場所へ歩いて行く。いつの間に離れてしまった彼にハッと気付いた流実が慌てて走ったところで。
「イアン」
小隊から数百メートル離れた場所に、同じ黒の軍服を着た男が一人いた。イアンと呼ばれた男は靭に気付くと見事な敬礼をする。
彼は、赤い髪に黄金の瞳を持ち、二十代後半くらいの美丈夫だった。背が高く日焼けた褐色の肌が逞しい体躯を更に引き立てている。
靭が人形のような無機質な美しさだとしたら、この男は正反対の野生味を感じさせる美しさだ。
……というか、本当に凄くデカい。靭も中々見ない程の長身だが、この男は更に上をいく。二mはあるのでは?
イアンは敬礼を解くと、ふと靭の背後に控えた流実を見つけ、とても良い笑顔を向けた。
「一体何のつもりだ」
「レオンハルトが出陣と聞いたので、少々偵察に参った次第です」
「副司令が城を開けるな」
副司令。
靭の言葉に、流実は改めて赤髪の色男を見る。
どうやら彼は軍のNo.二らしい。
「この辺りを散策したら直ぐ帰城します」
「…そういえばイソラは初めてか」
「ええ。中々に不利な地形ですね。やはり地図と実際見るとでは大きな差があります。それに…」
そう言うと、イアンは視線を流実に移す。
目が合った流実は慌ててペコリと一礼した。
まるで、肉食獣を目の前にしたような気分になる。…何だか品定めされているようで、落ち着かない。
「君が、総司令の世話係?」
「は、はい!流実と申します」
「流実殿…。とても良い名だ。私はイアン・ジーゼル。普段は城にいて、総司令の補佐をしています。…お近付きの印に」
そう言って流れるように流実の手を取り甲にキスを落とした。
流実は「ヒェッ」と奇声を発し素早く手を引っ込め顔を赤くする。いくらこの世界の人達がスキンシップ多めといえど、彼のようなヒトにされると刺激が強過ぎる。
「なんと純粋無垢な…。それにとても可愛らしい」
「……はあ?」
答えたのは靭だった。
その声は何故か苛立ったように刺々しい。
「まさかお前、こいつを見に来たのか」
「いえ、そんな事は。しかしここにいらっしゃると聞いたのでついでにご挨拶をしたく…」
すると眉を顰めた靭は、固まったままの流実に紅族の元に向かうように指示をした。
流実が慌てて一礼をして離れると、イアンはとても残念そうな顔でその背を見送る。
「彼女は猫族なのですね。黒髪に黒目はその為ですか」
「仕方なく預かってるだけだ」
「もし手に余るようでしたら、いつでも俺が引き受けましょう」
その言葉に、スッと冷たい目線を向ける靭。
「…いい加減にしろ」
「あはは、そうですね。流実殿が可愛らしくて、ついうっかりしてました」
爽やかに笑うイアン。
言ってからスッと真面目な表情になり、小声で話し始めた。
「城は今のところ、何も動きはありません」
「……今のところ、な」
「数人ですが、貴方が世話係を付け紅族へ移動した事に探りを入れている者がいます。気になる動きがあれば、また」
靭から離れたイアンは、己が騎乗してきた大きな龍に飛び乗ると、再びニコリと微笑んだ。
「今度はあえて城に来てはどうでしょう?流実殿も同席で!」
そう言うや否や、敵地区へと飛び立っていった。
―――イアンは獣族の豹だ。夜目が利き、頭上から獲物を狙う。偵察にはもってこいだろう。
その上、頭の回転も良く忠誠心もあり戦闘力についても申し分ない。
ただ唯一欠点があるとすれば、それは大変女好きという事だった。
靭は「誰がそんな事するか」と呟いてから再びため息を吐くと、部下が去っていった敵地を睨むのであった。
◇◇◇◇
「! 流実、お疲れ様。医療班はどうだった?…随分と顔色が悪いわね」
流実が東塔に入ると、すぐに気付いたリリィが心配そうにやって来た。
折角笑顔を作ったのに…リリィには分かってしまうのだろうか?流実は心配させまいと「少し疲れただけです」と返し、外に整列していた闇方軍と不思議な生き物について話した。
「第五連隊ですね」
流実の話を聞いたギルバートがひょっこりと顔を出す。
「その生き物は飛竜ですよ。騎獣の中でも気性が荒いので近付かないで下さいね」
「飛竜…ですか?」
初めて聞く名前だ。
どうやら、話を聞くと“飛竜”を連れている事が第五連隊の特徴らしい。
「族長は…何故あえて第五連隊を呼んだのか…」
「え?」
「あ、いえ。族長は外に?」
「はい。イアンさんと話してます」
「副司令まで来たんですか」
「? 来る予定はなかったんですか?」
「ええ。第五連隊長は中将です。副司令は第一連隊のトップなので」
(中将?第一連隊?)
一気に軍の単語が出てきて分からなくなる。
軍の階級や所属など聞いてもピンと来ないし直ぐに忘れてしまいそうだ。ここは、勉強の範囲外だし。
(……ん?でも副司令官のイアンさんが第一連隊のトップという事は…)
「クロノアさんは、連隊は持たないんですか?」
ふとそんな疑問が頭を掠める。
いや、そもそも軍の総司令官がお城にいなくて良いんだろうか。今更だけど。
「そうですね。族長…いえ、総司令は全ての連隊を総括する立場で、特定の軍はありません。私達紅族は例外なんですよ」
「そうなんですね」
「だから自由に根城を移す事もできるんです。一方第一連隊は城の防衛の要です。副司令は通常こんな所には来ない」
「あの方は自由ですから」そう言って呆れたような顔をした。ギルバートがこんな反応をするのは珍しい。それ程イアンは自由人なのだろう。本当にそれで良いのだろうか。
…まぁ、ある意味靭も自由なのだが。
その時だった。
塔の入り口が開き、靭と共に黒い軍服を着たスラリとした小柄な男が入ってくる。それに続いて先程の小隊が入ってきた。
「ノア中将、お久しぶりでございます」
「やあギルバート。息災で何よりだね」
小柄な男は人好きする笑顔で敬礼したギルバートを見た。
歳は二十代の半ばだろうか?淡い金の髪に白い肌、そして赤い瞳をもつこの男は軍人というより詩人のような印象で、儚げでとても美しいヒトだった。
中将という事は、この人が連隊を纏めるトップらしいが本当にそうなのかと失礼にも思ってしまう。
「あなたが流実殿?ふふ、本当に黒目黒髪だ」
「えっ…あ!世話係の流実と申します」
「よろしくね。僕はノア・ローレンス」
そう言って儚げに微笑むノア。
流実は、つい顔を赤くしてペコリと頭を下げた。
「そう言えば、副司令にはもう会った?」
「はい、先程ご挨拶を…」
「それなら、気をつける事だよ。同じネコ科でも彼は獰猛だからね。食べられちゃうよ」
「? はい」
同じネコ科という事は、猫族ではないらしい。確かに大型の肉食獣みたいな雰囲気だったが…。
それよりこれから会議のはずだ。流実はもう一度ペコリと一礼し、邪魔にならないよう部屋の隅に移動する。
移動の最中、ふと闇方兵に目をやる。
皆、華奢だったり小柄な者が多い。そしてノアのように儚げな雰囲気の者ばかりだった。
イソラ地区の駐屯兵は筋肉質で立派な体格の者が多かったので、とても違和感を感じる。
「やや、すみません!皆様お揃いか」
その時だった。塔の裏口から慌てて入って来たのは、この駐屯地の責任者である中佐のガダだった。それをチラリと確認した靭は、手で“良い”と制す。
「―――では、これより会議を始める」
凛としたハスキーボイスが響く。
それを合図に、この場の全員の空気がガラリと変わる。
流実はその光景を遠くで見て、ごくりと息を飲み込むのであった。
◇◇◇◇
戦いの幕が上がったのは、北國のイソラ地区と南國のパラマ、リザルト地区が交わる国境付近の森だった。
この三区の中で唯一の高台であるパラマ地区以外は、どこも似たような盆地だ。
森に囲まれ視野が悪く大量の兵や大型の銃火器は使えない。武器に頼る光方軍にとってはやりにくい戦場だ。
しかし、進軍に成功すればイソラ地区を挟み撃ちする事ができる。そんな絶好の場所からの奇襲攻撃だった。
「パラマは動いたか」
戦闘に備えて行われる紅族・イソラ駐屯兵合同の演習を中断させ、靭はやって来た偵察兵に確認する。
「いえ。今のところ動きはありません」
「…そんなこったろーと思ったぜ」
フンと鼻を鳴らした靭は、スッと表情を変えると偵察兵に目を合わせた。
「伝令だ。演習は中止。深追いせず砦中心に守りを固めろ。紅族は東塔に集合し次の伝令を待て」
「は!!」
敬礼をした兵は素早く鳥に獣化すると飛び去っていく。演習をしていた兵は、一斉に自分の持ち場へと向かった。
後に残された靭、ノア中将、そしてガダ中佐は歩きながら駐屯地へと向かう。
「い、良いのですか?待機のままで…」
斥候が飛び去った先を戸惑いの表情で見つめるガダが恐る恐る聞く。すると靭はチラリと横目で見て直ぐに向き直った。
「奇襲攻撃の司令塔はレオンハルトだろう」
「! では、なおの事…」
「アレも父親と同じで短気なところがある」
「は?…はぁ」
何を言わんとしているか分からぬガダは、困ったように返事をする。それに見兼ねたノアが苦笑しながら口を開いた。
「恐らく、この奇襲はレオンハルトの単独行動ですよ」
「…単独、ですと?」
「もしパラマ地区のサバランと連携し、このイソラを囲うつもりなら攻撃と同時にサバランが動くはず。しかし報告ではパラマ兵に動きはなかった」
そこで、ようやく理解できたガダが「なるほど」と顎ひげをさする。
「我々が敵を追えばここは手薄になる。しかもパラマの横を通る形で」
「ええ。狡猾なサバランならば見逃しはしない。それを知った上でレオンハルトは我々をおびき出したいのでしょう。だから深追いするな、と」
ガダが更に顎をさする。
「しかし…相手はあのレオンハルト。放置しても戦況は悪くなるだけだと思うのですが」
「その為に僕達を呼んだのでしょう?総司令」
そう言って儚げに笑うノア。
ガダはそれを見て――「あっ」と声を出した。
―――闇方軍第五連隊。別名、奇獣隊。
唯一、全ての兵が飛竜と呼ばれる獰猛な騎獣に乗って戦う連隊だ。
開けた土地では格好の標的になる彼らは、入り組んだ森のような狭小地では違う。
飛竜を己の半身のように操る彼らにとって、そこは能力を最大限に活かせる戦場だった。
軍ではこの特性から奇襲攻撃を担当しており、騎獣隊と奇襲攻撃をかけ合わせ奇獣隊と呼ばれていた。
成る程、奇獣隊ならばあのリザルトの入り組んだ森は絶好の戦地だろう。レオンハルトといえど易々と突破はできないはず。
―――それらを全て先読みし、あえて第五連隊を呼び寄せていたのか。
ガダは、思わず隣に立つ総司令官を見つめる。今更気付いたその知略に、思わず全身が粟立った。
「奴の事だ、何か仕掛けてあるだろう。気を抜くな」
「ご安心を。総司令が目の前の敵に集中できるよう、最善を尽くしてきます。…では」
そう言ったノアは一礼すると、儚げに微笑んで去って行った。




