第20話 戦に行く条件
北國南西部、イソラ地区。そこは南國との国境に位置する前戦地であった。地形は、盆地のように落ち窪んだ更地。高台にある敵国から全て一望されてしまう、最悪の立地だった。
だが、今まで敵国に侵入される事もなく、大きな被害も出なかったのは、ひとえに敵将の大佐サバランが無能だからである。
この男は酷く臆病な癖に短気で思慮に欠ける。こんな男でも大佐になれるのだから南國は余程人材に恵まれていないのだろう。
……だが、サバランの背後に控える南國のタラナ・リザルトの二地区がある故に、こちらも侵攻ができないでいる。
冷静に考えれば北國の一地区で南國の三地区を抑えているのだから、イソラ駐屯地の兵力は高いと評価できるのだが。
「―――なに?銃器を集めているだと?」
イソラ駐屯地の責任者であるガダ中佐は、やって来た諜報兵の報告に顔を曇らせた。
………またか。
眉を寄せてため息を吐いたガダは、次の報告で表情を変える事になる。
「その上リザルト地区にレオンハルトとその騎馬隊が入ったとの情報です」
「!!」
ガダはその単語を聞いた瞬間、すぐさま諜報部隊の数を増やし、国境付近に配置している兵を厚くするよう命令を下す。部屋から出て行った兵の後ろ姿を見ながら、ガダは焦りに似た気持ちを抑えた。
光方軍第十三連隊長レオンハルト・ナウム大佐。
この男は南國には珍しい将校家の直系児で、家門に恥じぬ武功を数々収めている。
若くして大佐になっただけの事はあり、その戦闘能力は高く父親譲りの戦略家でもある。
軟弱そうな外見とは裏腹に、この男だけは注意が必要だった。それが自身の精鋭騎馬隊と共にやって来た事は、銃器を集めている事と決して無関係ではないだろう。
「……要請書を。総司令に判断を仰ぐ」
秘書官から書状を受け取り一気にそれを書き上げ再び秘書官に戻す。
「出来るだけ早く、届けるのだ」
―――嫌な予感がする。
つい先日の衝突から一ヶ月近く経とうとしていた。
ようやく落ち着いたと思ったのに、平和とは、かくも儚いものだと、その度に身に刻まれる思いがする。
ガダは短く息を吐くと、自身の戦闘服に袖を通し前線であるイソラ基地に向かうのであった。
◇◇◇◇
「失礼します。資料お持ちしました」
「ん」
「あ!これギルバートさんに渡すやつですね。私が行ってきー…」
「それよりお前はこの本を探してこい」
流実が取ろうとした報告書をスッと手元に引き寄せ、代わりに次の本の題名を書いた紙を渡す靭。
それに少しだけ間を置いて、「はい」と返事をした流実はガチャリと書斎のドアを閉めた。
「………はぁ」
気付かれないように、小さくため息を吐く。
例の大型犬の襲撃?以来、ずっとこんな感じが続いている。
こんな感じとは?つまり、私を家から出さないようにしている。
“出さないように”なんて大袈裟かも知れない。
……でも、先程のように“外”に出る用事は全て彼が代わってしまうし、今までぶっ続けだった仕事も、きちんと昼休憩をするようになり、「昼食作り」という余計な家事ができた流実は本当に何処にも行けなくなってしまった。
それだけならまだ良い。
朝の洗濯時には何故か一緒に起きてきて……リビングからその様子を眺めているのだ。
―――見張られている。
正直そう思った。
そもそも手伝う訳でもないのにただ見ているのはやめてほしい。たまに鍛錬もしているのだが、わざわざ早朝からしなくて良いのでは?
何となく気まずい気持ちになりながら干し終わるのだが、その甲斐あってか(?)犬はパッタリと現れなくなった。いや、実はいるのかも知れない。だが、靭がいるためか姿を見せなかった。
「はぁー…。リリィさん、皆も元気かなぁ」
火をつける事にも慣れたコンロで、今日の昼食である回鍋肉を作る。
世話係だから仕方ないといえば仕方ないのだが、何だが窮屈だ。靭の事は好きだが、それとこれとは別。一日中家で家事と書類の山に囲まれたら、何だが気が滅入ってくる。
出来上がった回鍋肉を大皿に盛り、中華スープを椀に入れた時だった。
庭先に朱色の鳥が舞い降りる。流実は久しぶりの訪問者に嬉しくなり、急いでリビングの扉を開けた。
「こんにちは流実、ご主人様はいるっスか?」
「ふむるさん!書斎にいますよ」
「! うわぁ良い匂い!お昼ご飯?良いなぁ」
「良ければ一緒にどうですか?」
人型に戻ったふむるが、人懐っこい笑顔で頷く。
ちょうどそのタイミングで、靭が書斎のドアを開けて顔を覗かせた。
「あ、ご主人様!」
トトト、と階段を上りふむるが渡した一通の書簡を受け取った靭は差出人を見て眉をひそめる。
「オイラも一緒にご飯食べて良いスか?」
「……好きにしろ」
「やったぁ!」
険しい表情の靭が再び書斎に消えていく。
流実はその横顔を見て、一瞬で不安に駆られた。
(……どうしたんだろう?)
「いっただきまーす!っ!!うまぁ!!」
元気よく回鍋肉を口に運んだふむるが顔を輝かせる。それにハッと気付いた流実が、改めて彼を見た。
「この前流実のおにぎり食べた時も思ったんスけど、料理めちゃくちゃうまいっス!」
「え?本当ですか?」
「うん!!良いなぁご主人様。こんなに美味しい手料理いつも食べてるなんて!」
そんなに?
大袈裟にも感じられるふむるの反応に嬉しさ半分疑問半分に返事をした。靭さんは全然美味しいって言わないからあまり自信なかったけど…。ふむるさんの舌には合ったようで嬉しい。
「ふむる」
「ハーイ!流実、ご馳走様!美味しかったっス」
書斎からふむるを呼ぶハスキーボイス。その声は、少しだけ堅かった。
気になったまま待つと、少しして階段から降りてきたふむるの顔は緊張していた。
「っ、どうしました?」
「……イソラ駐屯地から緊急要請があったらしいっス」
「―――えっ」
「とりあえず、副長を呼んでくるっス」
そう言って庭先から出て行く。
流実は固まった表情のまま………思い出していた。
イソラ地区、軍の緊急要請。
そう、先日戦闘があった場所だった。
ヒヤリと、背筋が寒くなる。……もしかしてまたあの場所へ行くのだろうか?
「流実さん。お邪魔しますよ」
あっという間にやって来たギルバートが流実に声をかける。
ふむると共に書斎へと消えていく副長に、流実は呆然としたまま見送った。
(―――まさか、このまま戦闘に行ったりはしないよね…?)
嫌な予感がした。
気付けば流実は、足音を立てずに二階に上がり、書斎の扉から中の会話を盗み聞きをしていた。耳をすますと話し声が聞こえてくる。
「ガダ中佐からの要請ですか」
紙の擦れる音。恐らくギルバートが書簡を開けているのだろう。
「これは…!まさか、以前の件が?」
「城の阿呆共は後始末ができなかったらしい」
そこで、ふと城からの荷物を載せた馬車を思い出した。
あの時、同じ事を言っていたような?
その後は断片的な言葉だけが、扉越しに聞こえてくる。
物資、パラマ、レオンハルト――
よく聞きたいのに、靭の低い掠れ声は聞き取りづらい。
「…要請をすれば開戦だ」
はぁ、とため息の後に「ふむる」と呼ぶハスキーボイス。
暫くして、大きな鳥が飛び去っていく音がした。今度は急いでるのか窓から飛び立ったようだ。
―――開戦。
ドクンと嫌に心臓が高鳴った。
……まさか、本当にこのまま出動するのだろうか――。でも、具体的にいつなのかは会話から聞こえてこない。
(……あれ?ていうか話し声が聞こえてこな…)
ガチャ。
「あ」
「―――何してる」
開けられたドアの先でこちらを睨む靭と目が合った。
「えと…その」
「盗み聞きとはいい度胸だな」
「……今度は私も一緒に行きた…」
「ダメだ」
間髪入れずにピシャリと言う靭。
「でも、私はクロノアさんの…」
「戦場に連れて行くため世話係を雇った覚えはない」
「で、でもー」
「しつこい」
睨み合う雇用主と使用人。その空気を破ったのはギルバートだった。
「……族長、皆がいなくなれば葉が」
小声で話すギルバート。その瞬間、チッと舌打ちした靭が流実を睨んだ。
……葉さん?
何故ここで葉さんが?流実は正直そう思った。
最近ではどちらかと言えば大型犬に会う事が多くて、葉とは先日の演習以降会っていない。
確かにあの時は恐怖を感じたが、それからストーカー行為もなかったのですっかり忘れていた。
だが、何故か靭はその言葉で考え直してくれたようだ。
「いいか。お前は絶対に戦場には出るな。足手まといにならんよう行動するのが条件だ」
「! はいっ!」
パァッと顔を輝かせ、満面の笑みで頷く流実。
こうして流実のイソラ地区への帯同が決まった。
何だか分からないが、葉さんのお陰だ。苦虫を噛み潰したような表情の靭は、敢えて気付かない振りをした。




