第19話 死神釣りと侵入者
豊富な資源と海洋業が盛んな南國は、別名「光方」とも呼ばれ非常に明るい国であった。
その豊かさ故か人々は総じて開放的で楽観的。戦時下でさえ自らの商いを優先する──そんな国柄でもある。
一方、国の根幹である軍部といえば、そんな光の国の“影”とされていた。
崇高な理念で軍に志願した若者たちも、家業を継がなかった“奇特な者”として周囲に見下され、数年も経たぬうちに己の存在意義を見失っていく。
光方軍が抱える問題は、そんな兵一人一人の意識の低さと、個の能力であった。
「ロイ少将。面会者がございます」
「―――誰だ?」
光方軍少将ロイ・ナウムは蓄えた口髭をひと撫でし、書斎に入った秘書官を眺めた。若い秘書官は一礼すると、訪問者の名を告げる。
「ご子息であられます」
「…レオか。通せ」
秘書官がまた一礼し、書斎から出る。入れ替わりにやって来た若い男は入り口で敬礼した。
男はロイよりも幾分背が高く、黄色とオレンジが混ざったような髪をしており、涼やかで整った顔立ちをしていた。
「どうしたレオンハルト大佐」
「パラマ自治区の掃討作戦の件でサバラン大佐から報告です」
ピクリと眉を動かし、ロイはそのまま痛くなった頭を抑えるようにこめかみを揉んだ。
「―――猫の額ほどの領土も奪えなかった、あの件の報告だと?また弾薬の無心か」
「……父上。その様な言い方は」
「今はお前しかおらん。そうだろう」
ロイは苛立ちを隠さず吐き捨てた。
パラマ地区は北國と隣接する重要な拠点だ。責任者は、大佐のサバラン。
たかが駐在軍だと言うのに、その権威を盾に昔から私腹を肥やしてきたサバランを、ロイは昔から嫌っていた。
(レオならば…五日もあればイソラを落とせるだろうに)
己の息子の顔を見るとロイは大きく溜息を吐く。
南國では珍しい将校家ナウムの直系に当たるロイはもちろん、息子であるレオンハルトも生粋の武人だった。
レオンハルトがその二十代半ばという若さで大佐の地位にあるのは貴族の子息だからという訳ではない。彼は実力でその地位をもぎ取っていた。
「少将。報告をして宜しいでしょうか」
「どうせ碌な内容ではないだろう」
そう言いながらもロイは軽く頷く。
レオンハルトはそれを確認すると、口を開いた。
「死神が、城から出たとの事です」
「―――っ!!」
思いもしなかった重大な報告に、息を飲むロイの眉が跳ね上がった。
(あの…死神が……?)
暫く無言になるロイ。一方のレオンハルトは一切表情を崩す事なくその場に立ったままだ。
「……確かな情報か」
「私の手の者にも探らせました。情報の精度は高く、行き先は紅族のようです」
ロイは落ち着かせるように腕を組んで、考えを巡らせ始める。
―――闇方軍総司令官クロノア・アギル。
敵はおろか味方でさえも死神と呼び恐れられている男。
あの若さで大佐どころか軍の総司令官を務めており、よく鍛えられた直属の戦闘部族を率いていた。
実質闇方軍の全てはあの男中心に統率されていると言ってもいい。とにかく、その死神が堅牢な城と名高い鴈立城から出たのは……大きなチャンスだ。
「紅族の場所は相変わらず分からんのか」
「申し訳ございません」
「まあ、想定内だ。……そうだな、たまには死神釣りも良かろう」
そういうと、ニヤリ、と息子を見つめた。
その笑みに込められた意図を、レオンハルトは瞬時に理解した。―――“釣り”とは……サバランと“過剰な弾薬”を餌にせよ、という事を。
「サバランには弾薬は好きなだけ持っていくよう、伝えます」
―――過剰な物資の供給は、必ず敵も動く。
レオンハルトは一礼し、書斎を去っていく。ロイは息子が去った扉を見つめると、フ、と鼻を鳴らした。
さすが我が息子だ。何も言わずとも、読んで動いてくれる。あの無能な男とは大違いだ。
…それよりも。とロイは顎を摩る。
死神が居を移した理由は何なのか?
戦況は良くも悪くも以前と変わらない。一体その移動になんの意味があるというのか。
安全な城を離れ、あえて少数部族である紅族に移動するなど、余程の理由かメリットでもない限り考えられない。
―――となれば、藪を突いてみるのも悪くない。
いい加減サバランの惰性に付き合うのも飽きていたところだ。
ここで相手の様子を伺って機を逃すよりも蛇が出て来てくれた方が面白い。
「さて…手並拝見としようか、レオ」
弾薬など、この国では腐るほどあるのだから。
老将ロイ・ナウムは、目を細めながら、歪んだ口元の髭を一度だけ静かに撫でてそう呟くのであった。
◇◇◇◇
“もふもふ”との出会いは、俵担ぎで靭にお持ち帰りされた日の夕方だった。
終始不機嫌な靭に居心地の悪さを感じつつ、洗濯物を取り込むため庭に出た時、例の大型犬がいたのである。
恐怖に慄き叫び声を上げた流実に、最上級に不機嫌な顔で二階から降りてきた靭。
脱兎のごとく逃げて行った犬を尻目に、やって来た靭に飛びつくように報告すると「犬?」と眉を寄せた彼が更に不機嫌そうな表情を作った。
慌ててここ数日、大型犬に遭遇している事、恐怖で腰を抜かしギルバートに助けてもらった事を話すと―――何故か靭の機嫌が元に戻ったのだ。しかも翌日には柵を作ってくれていた。
何故腹の虫がおさまったのか分からなかったが、心底ホッとしたのは言うまでもない。
柵も設置してくれ、彼の機嫌も治りようやくいつも通りの日常が戻ってくると思ったのだが。
「クゥン」
「……あ、また来たの?」
数日後の朝の洗濯時。
流実は辺りをキョロキョロと見回し、靭がいない事を確認すると―――やって来た大型犬に思い切り抱き付いた。
「ふぁ……気持ちいい…!」
ホカホカの太陽の匂いと、柔らかく少し長めの茶色の毛並み。
想像以上に大人しい大型犬は、よく見ればゴールデンレトリーバーのような愛嬌のある顔と垂れた耳、そして丸い茶色の瞳が魅力的な持ち主だった。
その上「人間かな?」と思うくらい賢い。流実が怯えた表情を見せれば決して近付かないし、恐る恐る手を伸ばした時でさえ、目を伏せてそっと触らせてくれる。
そんな事をされたら……え?もふもふして良いの??
「ふぁぁ〜、もふもふ……」
恐怖の対象から一気に癒しに変わった犬に、つい流実は顔を綻ばせる。こんなに大人しい犬と知っていたら、最初から怖がらなくても良かったのに。
犬も嬉しそうに目を細め、流実に擦り寄ろうとした、その瞬間。
家の中から靭の声。
どうやら大型犬は彼が苦手らしく、瞬時に逃げて行く。
癒しの犬が逃げた先を残念そうに見つめ、庭からリビングに入ると。
「……何してんだ?」
「え?」
怪訝そうな表情で流実を睨む靭。咄嗟に自分を見ると、庭の芝生や土汚れなどが付いていた。
(……やばい)
まさか犬と遊んで泥だらけになったなどと柵まで作ってくれた本人にいう事ができず、目を泳がせる。
「……ごめんなさい、転んで…。着替えてからご飯作りますね」
「……」
スッと彼の目が細められる。
それは……最近よく見る、あの冷えた視線だった。
ゴクリと喉を鳴らし、素早く洗面所に逃げ込む。
ギルバートにお姫様抱っこされた時、訓練所で葉に抱き抱えられた時。あの時と同じ温度感の瞳だ。
(―――どうしよう。怒ってる)
洗面所の扉を閉め、ドクドクと鳴り響く胸を押さえる流実。
まさか犬と遊んだとバレたのだろうか?え?それであんなに不機嫌になるの?
彼の地雷源が本当に分からない。が、不機嫌になるのは本当に勘弁して欲しい。あれは地味に精神ダメージがくるのだ。
流実は残念な気持ちで「はあ」とため息を一つ吐くと、仕方なく、せっかく見つけた日々の癒しを諦めるのであった。
◇◇◇◇
翌日、ギルバートが所用で朝から離れにやって来ていた。
流実は彼を出迎え書斎に通すと、そのまま庭に出て洗濯物を干し始める。
やはりこの日も犬は庭の隅にいたが、グッと我慢して見ないふりをした。犬は“クンクン”と悲しそうな鳴き声を出すが、靭の不機嫌さと天秤に掛けたら無視する他ない。
そそくさと洗濯物を干し、そのままリビングに入ろうとした時。
「―――っひゃっ!?」
部屋に入った流実を押し倒すように犬が飛び乗ってきた。壮大にコケてしまったのでだいぶ音が響いた事だろう。
驚いて犬を見ると―――底光りするような瞳で、流実を見下ろしていた。
「!?っ、…ふっ…やめっ!!」
背筋が一瞬で凍るも、犬は遠慮なしに流実の顔を舐め始めた。大型犬よりも一回り大きい犬が上に乗ると、想像以上の重さで流実にはどうしようもできない。
それに――急にこんな事してくるなんて。なんか、怖い。どいて欲しい!!
「っ流実さん!?」
ピクリと、犬が止まった。
流実からは犬が覆い被さってよく見えないが、ギルバートの声だ。助かった、用事が終わったのだろうか!?
「…っはぁっ。はあ…た、助け…お願…!」
犬が上に乗っかっているせいで息も絶え絶えだ。
とにかく助けて欲しい。靭さんには絶対見られたくないから!
犬は、背後の気配を察したかのように再び俊敏さを見せて庭から逃げて行く。一気に重さがなくなり思わず咳き込んでしまうが、助かった事にホッとして大きく息を吐いた。
―――起き上がって見た先には、己の主人がいた。
(………あ、終わった)
目が合った瞬間、また呼吸が止まり、頭が真っ白になる。
射殺すような死神の目で暫く流実を見つめた靭は、やがて眉を顰めるとボソリと流実に話しかけた。
「……お前、分かってんのか」
「っ!ご、ごめんなさい!折角柵を作ってくれたのに!!」
「―――気付いてないのか?」
「……え?」
一瞬で殺気の代わりに疲れた表情になった靭が「…いや、いい」とだけ言って書斎へ消えていく。
何故か分からないが…地雷を避けれたようでホッと力が抜ける。代わりに、呆然と座ったままの流実へ焦ったギルバートが駆け寄った。
「流実さん、大丈夫ですか?」
「……あ、はい…。何とか」
ギルバートは短く息をつくと、一瞬だけ目を伏せ——そして小さくため息を漏らした。
「……厄介な事になりましたね。まさか、本当に行動してくるなんて」
ボソリと呟き、犬が逃げて行った先を睨むギルバート。
先程の靭といい、ギルバートといい、二人とも何なのか。まるで、犬の正体を知っている、とでも言うように。
この時の流実には、まだ理由が分からなかった。
ただ、あの犬に対しての二人の反応が……異様である事だけは理解できて、流実は微かな不安を感じていた。




