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第15話 突然の告白と、最初の違和感


今日も今日とて深夜まで仕事を行う(じん)に、流実(るみ)はホットタオルとココアを持って書斎に向かう。

ココアはどうやら彼のお気に入りになったらしく、たまにお茶を持っていけば「あの甘いヤツは?」と言われるようになった。ココア好きの流実にとっては仲間が増えて嬉しい限りである。


ノックをして書斎を開けると、またボサ髪になっている靭は、顔を上げてやって来た世話係を見た。


「どうですか?終わりそうです?」

「ああ。―――よし、これで良い」


そう言って最後の書簡に判子を押し封印した靭は、眼鏡を取ると目頭を揉んだ。

流実はすかさずホットタオルを彼に渡すと、彼は慣れた様子でそれを目に当てる。


最近の彼は随分と顔色が良い。ちゃんと寝ているようだし、溜まっていた書類が掃けてきたお陰が余裕があるようだ。


「ココア置いておきますね」

「ん」

「明日の予定は何かありますか?」

「お前はない。好きにしていろ」

「クロノアさんは?」


その質問にはタオルを外した靭が流実をチラリと見て答える。


「俺は族長会議で朝から城に行く」

「族長会議…ですか」


(そっか、靭さんって軍の総司令官だけじゃなく紅族(べにぞく)長でもあったっけ)


流実はそんな事を考えつつ、ソファに座ってココアを飲んだ。


これも日課の一つだ。

一日の終わりに書斎でココアを飲みながら明日の予定を聞く。

大概用事はなく、ただ一緒にくつろぐ事になるのだが、冷静に考えれば軍のトップと使用人が書斎でくつろぐなど異様な光景に違いない。

……そもそも、総司令官が一軒家の小さな書斎で仕事をしている事自体、異常なのだが。


「私は付いて行かなくて良いんですか?」

「お前はここにいろ」

「何故ですか?」

「何故?他人と関わりが増えればそれだけ人間だとバレる可能性も高くなる。お前は紅族から出るなと言ったろ」

「……あ」


すっかり忘れていた。

この世界では人間の価値は高く、余計なトラブルに巻き込まれない為にずっと隠しておくと約束していたっけ。


「……忘れてたな」

「え!?そ、そんな事はないですよ!!」

「お前、最近気を抜きすぎだ。髪を縛る時もちゃんと耳は隠せ」

「えっ!?」


ギクリと靭を見る。その様子に彼は眉を寄せて溜息を吐いた。

―――この人、見てないようで案外人の事を見てるらしい。

肩に付くくらいの長さの髪は、料理や洗濯をする時に邪魔でたまに髪を縛っているのだが、まさか見られていたなんて気付かなかった。


(……怖)


「何か言ったか」

「!? ええと、以降気を付けます」

「明日から直せ。耳を隠す癖をつけろ。誰かに見られたらどうするんだ」

「は、はい!そうですね、じゃあ…」

「おま、まだ…」


これ以上いたら小言を言われそうな気配を感じ、流実は慌ててココア片手に書斎から出て行く。


慣れてきてよく喋るようになった彼は小言が多い。

何か言おうとした靭は、グッと拳を握り締め、結局朱色の制服を見送るのであった。




◇◇◇◇



翌朝。

一向に起きてこない靭に、流実は焦っていた。


(どうしよう、起こした方が…?でも出発時間とか聞いてないし…)


流実がオロオロしていると、ちょうど二階から降りてきた靭が何事もなかったかのように洗面所に向かって行った。

流実が彼の寝坊を確信したのは、用意していた朝食を食べずにサッと自室に戻っていった事だ。


(……ポーカーフェイスって便利だなぁ)


あの様子だと結構焦っているはず。

仕方なく、道中つまめるようお握りを作りはじめる。

彼とふむるの二人分を入れた包みを完成させた時、玄関の扉を叩く音がした。


「はい。…あ、ギルバートさんおはようございます」

「おはようございます。族長はいますか?」


書類を脇に抱えたギルバートがニコリと微笑む。


流実も微笑み返し……そして思い出した。

―――彼を城に戻そうという動きを、ギルバートに止めてもらっていたことを。


(しまった…!!つい毎日が忙しくて忘れてた)


「あの…ギルバートさん。あれからクロノアさんの件は…」

「後で話しましょう。とりあえず今日の会議の資料を渡したいのですが」

「あ、そうですね!ごめんなさい」


流実は慌てて靭を呼びに行く。すると、書斎に通せと言われたので、玄関口に立っている副長に声をかけた。

用事を終わらせたギルバートが何とも言えない表情で階段を降りてきたのは、それから数分後だった。


「…?どうしました?」

「……流実さん。族長はいつもあのような姿で?」

「あのような?」


一体どのような?

流実はきょとんとギルバートを見つめる。


そこに、書斎から出てきた靭。脇には先程ギルバートが持って来た資料を抱えている。

彼は久しぶりに紅族の正装に着替えていた。白の軍服は彼の端正な顔立ちと均整の取れた長身を引き立たせ、控えめにいっても凛々しくカッコいい。

普段ラフ着でボサ髪の彼とはまるで別……いや違う。

いつも通り髪はボサボサだ。しかも、生乾き。


(……もしかしてギルバートさんはあの髪の事を言ってたのかな?)


そんな事を考えながら降りてきた主人を見つめていると、流実を見つけた靭が真っ直ぐに向かって来る。


「髪、結えるか」

「え?はい…。また梳かさずに洗っちゃったんですか?」

「時間がなかった。早くしろ」


時間が無いならば、何故髪を洗ったのだ。

流実は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、渡された髪留めを受け取る。

濡れて絡んだ髪を梳かすのは至難の技だ。珍しく頼み事をするくらい余裕がないようなので、さっさと作業をしなければ。

流実は世話係の制服に入れていた櫛を持ち、すぐに梳かし始める。なんて事はない。最近はほぼ日課のように髪を梳していたのでスタンバイできてるのだ。

何故日課のようになってるのか?と言えば、髪の手入れを全くしない靭が味をしめてワザと流実が起きている時間にシャワーを浴びるようになったのだ。

自分もこのサラサラで綺麗な髪を弄れるのでwin-winなのだけども。


その慣れた様子に、ギルバートの方がギョッとした表情で固まっていた。ふと、そんな彼に気付いた靭が資料を手元にちょいちょいと指先で手招く。


「この修繕費だが、収支と合ってない。何処から計上した?」

「―――えっ?あ、ああ、それはですね…」


思わず声がひっくり返るギルバート。

世話係に髪を結われながら普通に仕事の話をする靭に、動揺を隠せなかったらしい。

二、三質問が終わったところでフワリと庭先に大きな朱色の鳥が降り立つ。


「お疲れっス!ご主人様、時間スよ!」

「―――終わりましたよ。鏡で確認しますか?」

「いや、良い。夕には戻る」

「いってらっしゃい。あ、これも!!」


テーブルの上の資料を纏める靭に、流実は先程作ったばかりのお握りを彼に渡す。


「おにぎりです。ふむるさんの分もありますから道中食べて下さい」

「ん」


靭はそう言うと包みを受け取ってそのままふむると共に飛び立って行く。ギリギリ間に合ったようだ。

流実はホッと息をつき、驚いた表情のままのギルバートに向かい合った。


「バタバタしてすみませんでした。……?あの」

「…い、いえ。少し驚いてしまって」

「え?」

「族長の髪を結うのが…凄いなと」

「あ、今日が初めてですよ!いつもは梳かしてるだけなので」


そういう意味じゃない。という表情のギルバートに流実は気付かない。


「それより先程の件は…?」

「あ、そうでしたね。流実さんはこの後用事はありますか?」

「今日は好きにして良いと言われてます」

「では、折角なら散歩がてら話をしましょうか」


「散歩」その単語を聞いて、流実は嬉しさでつい満面の笑みで頷いた。


ここに来てから、初めての紅族の町『ウォーク』の散策だ。このお誘いは、単純にとても嬉しかった。




◇◇◇◇



◇靭視点◇


「狼族族長 アーロン・フェルナンド様ご来城」

「鳥族族長 エド・キミヤ様ご来城」

闇方(やみがた)軍総司令官 クロノア・アギル様ご来城」


北國(きたこく)の中枢部と言われる鴈立城にて、来城を知らせる朗々とした声が響いていた。

城の正門を過ぎ最初の扉を潜り抜けると、飾り立てた近衛兵が一列に並び足を踏み入れた者を憮然と見つめる。


靭はそんな近衛兵の目線を気にすることなく大理石の廊下をゆっくりと進み、突き当たりの部屋を目指していた。

いつもなら城の居室からの移動で誰かと会う事もないし、名を呼ばれる事もない。それに自分だけ族長名で呼ばれない不快さに思わずため息が漏れた。


「貴方でも溜息を吐く事があるのか。総司令官殿」


まるで小鳥のさえずりのような高い声を発したのは、少し前を歩いていた鳥族長のエドだ。

身長は百六十㎝もない初老の男だ。しかしその立派な鶏冠のように掻き上げた赤い髪と黄金の瞳は高い声に似合わない程の威厳を放っている。

靭は返事もせずに一瞥すると、


「よう。根城を紅族に移したんだろ。ウチのもんは元気にしてるか?」


横から大きな声を上げて狼族長のアーロンが割って入った。

毎回この男は誰かに絡んでくる。見れば見る程、紅族にいる巨木のようなガレアに似ており、きっと血縁者なのだろうが言わなかった。

突っ込んだら最後、永遠に喋って面倒臭いからだ。


「……二人共よく働いている」

「総司令官直々にお褒め頂けるとは戦士冥利に尽きるってもんだな。ま、また何かあれば良いヤツ見繕うからよ」

「我が一族はどうだ?」

「ふむるも役に立つ」

「それは上々」


笑顔の二人とは対照的に淡々と無表情のまま返す靭は、心の中でため息を吐いた。


目の前の二人の腹の内が見えるからである。

一見何の変哲も無い会話だが、その実何とか靭に取り入ろうとしているのが丸分かりだった。


この会議にて唯一の強大な権力を持つ者。それが靭だからだ。

北國唯一の軍、闇方軍。そのトップである靭は、族長職だけの彼等と比べ権限は一線を越えていた。

それに靭は唯一の“神憑(かみつ)き”でもある。

だから皆取り入ろうと必死だし、頼んでもないのに“戦闘に秀でた人材”を勝手に送りつけてくる。

まぁ、それ故に“事故”で仲間を殺めても何も言われないのだが。


「お、到着したな。じゃ、また話そうや」


ようやく到着した見慣れた扉の先には見慣れた面々が顔を並べている事だろう。さしたる内容もない癖に時間ばかり長いのが族長会議だ。月に一度とはいえ、気が滅入る事には違いない。

こんな会議に出席するくらいなら、世話係と書類業務をしていた方がどんなに楽か。


(……あいつといても、疲れないからな…)


そんな事を考えながら、最後の溜息を吐き終えて扉を開くのであった。




◇◇◇◇



訪れた食堂は賑やかな雰囲気に包まれていた。

あまりのヒトの多さに入り口でしどろもどろしていた流実にリリィが奥の席から声を上げる。それに気付いた流実がホッと息を吐いて席に向かった。


「凄い混んでますね」

「そうでしょ。食堂での食事は初めてよね?」

「はい!お誘い嬉しいです」


流実は席に着いてグルリと周囲を見渡す。


「いらっしゃい流実ちゃん。来てくれたんだね」

「水狼さん、こんにちは」


テーブルに着いて早々に水狼がやってくる。

この忙しい食堂を一人でやりくりしてるのかと思いきや、カウンターの中にもう一人の茶色い髪が見えた。

流実の座る位置からは顔は見えないが、初めて見る人物に違いない。きっと食事時だけ手伝っているのだろう。


「メニュー決まったら教えて?リリィはいつもの?」

「そうね。あとギルがもうすぐ来るからそれもお願い」

「……あ!えと、店長の気まぐれランチAが良いです」

「はいよ。じゃ暫く待ってね」


ニコリと微笑んでカウンターに消えていく水狼。

この混雑にも慣れっ子らしい。


「いつもこんな感じなんですか?」

「そうね、皆自炊なんてしないから」

「成る程…」


確かにこんなに混雑していれば靭さんは来ないだろうなぁ。流実はそんな事を考える。

コミュ障は人混みが苦手だ。自分だってリリィがいなければ入らない。


だがそれでは困るのだ。彼は皆とのコミュニケーションを取ってもらわねばならない。最終的にはこの混雑した食堂で皆と食卓を囲んでもらうのを目標にしよう。

流実が勝手にそんな目標を作っている内に、リリィがギルバートに気付いたようで手を挙げた。


「お待たせしました」

「今注文したところよ」

「ありがとうございます。流実さんは頼みました?」

「はい。店長の気まぐれランチAです」

「いいチョイスです。少し量が多いのが欠点ではありますが」


そう言ってにこやかに笑ったギルバートは英国紳士のようである。


「今日は色々と見て回りますからね、エネルギーを補給しておきましょう」

「まあ、訓練所や療養所しかないけどね。半日もあれば回れるかしら?」

「とても楽しみです…!」


なんて事ない会話だが、流実のワクワクは止まらない。


「はい、お待ちどお!」


その時だった。

流実の背後から若い男がお盆にメニューを乗せてやって来た。先程カウンターで作業していた茶髪の男だろう。


「はい、これ副長の気まぐれランチC。これはリリィ姐さんのステーキ定食、そしてこれが…?」

「あ、はい、私です」


振り返った流実と青年の目がパチリとあった。

青年は十代後半くらいの外見で、茶髪に茶色の瞳。ハーフのような彫りの深い顔立ちの長身美形だった。


彼は、流実と目が合った瞬間、何故か石のように固まり動かなくなる。

自分の注文した料理を乗せたまま配膳する様子のない男に、流実は「あの…?」とおずおずと聞いた。


因みに流実は美形には鈍感だ。

何故なら人外レベルの美形である靭と一緒に暮らし、世話係をしているからだ。慣れとは恐ろしい。


「き、君、名前は?」

「? 流実と言います」

「―――!例の世話係の?」

「……あの、何か…」


まさか自分が新入りだから新手のイジメでご飯を渡さないとか…あ、違った。

普通に手渡してくれた男に訝しげにお盆を受け取り、置いた瞬間だった。


「俺、(よう)って言います。―――付き合って下さい!」


唐突に手首を掴まれ、告白された。

驚いて固まった流実に変わり「は?」と返事をしたのがリリィだった。何故かその赤い瞳に若干の殺意が宿っている。


「本気で言ってんの?」

「嘘なんて言わないですよ、酷いな」

「……マズいですね…」


何故かサッと表情を青くしたギルバートに思わず流実が「え?」と聞き返す。

葉と名乗った青年は、未だ固まったままの流実を見つめ、握った手を自分の方に引いた。


「っわっ…!?」

「……君の話は皆から聞いてたんだけど…実物は噂以上だね」

「え?」

「運命って、こういう事なんだ……。俺めっちゃ一途だから、これからよろしくね?」


「えっ」としか言えなくなった流実に代わり、リリィが殺気を露わに葉の手を振り払った。


「一途?重度のストーカーの間違いでしょ。アンタら犬族は」

「やだなぁ愛情深いんですよ」

「おーい葉!!早く料理運んでよ!!」


カウンターから水狼が声を上げる。そちらを見ると料理が並んで渋滞していた。

葉は慌てて流実の手首を離すと「待ってて!」と言って爽やかに去っていった。


(……あの人なりの……歓迎だったのかな…?)


流実は何も反応できないまま呆然と考えていると、ふとギルバートが耳打ちしてきた。


「流実さん。早く食べて下さい。葉が戻って来ない内に」

「え?」

「残念ながら今度ここに来る時は葉がいる時間帯は来ない方が懸命です。―――早く」


それってどういうー…

振り返って目が合った二人は、慮外にヤバそうな表情をしていた。

なので、流実は必死になって店長の気まぐれランチを口に掻き込むのであった。


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