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第12話 赤に隠された真実


翌日、いつも通り朝食を作っていると二階でガチャリと音がして(じん)が降りてきた。咄嗟に顔を見れば、酷く疲れているもののあの暗澹とした表情ではない。

未だ戦闘服に身を包んだ彼が洗面所に消えて行く姿を見送ったところで、流実(るみ)は安堵から小さく息を吐いた。


(……出てきたなら、もう大丈夫…だよね?)


途端に流実も元気になって、腕まくりをし朝食の続きを完成させた。ご飯、味噌汁、焼き魚とおひたしのシンプルメニュー。それと、無駄なやる気で本日は卵焼きの一品が多くなったが、多分食べてくれるはず。


シャワーから上がった靭が肩にタオルを掛けたまま二階へ戻ろうとするのを呼び止めた流実は、朝ご飯に誘う。

一瞬考える素振りをした靭だったが、テーブルの上に用意された出来立ての食事をチラリと見ると、そのまま席へ座ってくれた。


「いただきます」

「……」


満面の笑みで食べ始める流実をよそに、靭は無言でぽそぽそと食べていた。が、終わる頃にはいつも通りおかわりもしていたので本当に大丈夫だろう。


流実はホッと胸を撫で下ろし、食べ終わった食器を運ぼうとした時だった。


「……昨日」


ボソリと靭が掠れた事で呟く。

流実は慌てて「え?」と聞き返した。


「昨日、……何故あの森に来たんだ」


流実は驚いて彼を見つめる。

まさかそんな事を言われるとは思わなかったからだ。


「いると思ったんです。…無事を、確かめたくて」

「……心配したという事か?」

「もちろんです。心配し過ぎて知恵熱出たんですよ」


少しだけ目が開かれる。その様子に流実は首を傾げた。

昨日も同じ事を言ったはずなのに…余程信じられないのだろうか?


やはりこの世界は何かがおかしい。

戦場に行った人を心配しない人なんていない。リリィも同じ反応だったが、一体どういう事なのか。


流実が考えていると、やがて彼は立ち上がって二階に向かって行った。軍の総司令官に休みはない。きっと仕事をしに行くのだろう。


「…あの!」


咄嗟に呼び止める。

すると、足を止めた彼がチラリと流実を見た。


「今日もあの森に?」


思わず聞いてしまう。一瞬“しまった”と思ったのだが、暫くして、靭はゆっくり「……いや」とだけ答えた。


(―――まさか答えてくれるなんて)


てっきり無視されると思ったのに、思いの外彼からの拒絶が無いことに驚く。

…そして改めて思った。世話係という枠を超えて、彼を支えたい。不器用だけど傷つきやすい、優しいこの人を。


「……それには、仕事しなきゃ」


支えるには、まず世話係として仕事をしなければ。

流実は朝食の片付けを終わらせ日課の洗濯を済ませると、ギルバートの家に向かったのであった。




◇◇◇◇



ギルバートの家に着くと、彼はニコリと笑って流実を招き入れてくれた。


「さて、少し間がありましたが、勉強の続きをしましょうか。えーと、どこから…」


向かいの席に座ったギルバートが、積まれた本を探しながら言う。そんな彼に、流実は「今日は勉強をしに来た訳ではないんです」と答えた。


「……?どういう…」

「勉強の成果を、見せに来ました」


そう言って流実は自信満々に本を開いた。こちらの準備は整っている。なんと言っても、離れにある書物を読める程になっているのだ。今日は言わば答え合わせ。


お陰で流実は、驚いて目を丸くしたギルバートから合格宣言を貰い、晴れて靭の世話係としてお墨付を貰えることになった。


この世界に来て、ようやく当初の目的である世話係をする事ができて素直に嬉しかった。これから、靭の役に立てる。そう思った時だった。


「…あれから族長は大丈夫でしょうか」


神妙な顔つきのギルバートが流実に問いかけた。その表情に、ふと脳裏にリリィが浮かぶ。

無理もない。本意ではないとは言え――彼が仲間を殺めてしまったのは事実だから。


「今は普通に戻ってますよ。大丈夫です」

「じゃなく、流実さんに対して大丈夫なのかと…」


きょとんと首を傾げる。

何故ここで自分が出てくるのだろう。彼の様子が気になるのは分かるが、それが自分に対して大丈夫なのかと聞く理由は何なのか。 


(―――ああ…そういう事か)


仲間を殺めてしまった“あの”族長に何かされないか、心配しているのだ。


ゾワリと不快感が広がる。

ギルバートは私を心配してくれている。それは、本当ならとても嬉しい事で、嫌悪感を感じるなんておかしい。

……けど、そう感じずにはいられなかった。


こんなにも靭に向ける感情の冷たさに嫌悪感を感じるのは、きっと自分に似ていると気付いてしまったからだ。

あの暗澹とした表情も、人に理解されない苦しみも、“死”に取り憑かれた感情も、全て自分は経験している。


だからこそ、彼は冷たい人なんかじゃないと口に出したかった。


「あの人は、優しい人ですよ。本当は誰も殺したくないと言ってました」


つい、そんな事を言ってしまった。

すると彼は信じられないとでも言うように目を丸くして硬直する。


「本当に、そんな事を?」

「……はい」


本当はそんな事言ってないけど……。でも、あの森にいたという事は、そういう事だ。


「とても信じられない話ですが」

「嘘は……、言ってません」

「だからこそ信じられないんですよ。…そもそも、族長が貴方にそんな話をするなんて」


…確かにそうかも知れない。あの森に行かなければ靭さんは話してはくれなかった。それに、彼が自分と似た経験をしていると知らなかっただろう。


ギルバートは何か考えているようだったが、やがて暫くして言葉を発した。


「今まででしたら眉唾物ですが、事実この数週間の族長の態度をこの目で見てますからね……。では、本当に族長との生活に問題はないのですね?」

「! はい。何も…あ」

「え?何です?」


ふと思い出した困り事を呟いた流実に、眉を顰めるギルバート。


(つい…言っちゃった…)


今の話とは関係なく、どうでもいい事なのであまり言いたくない。だが、言外にはさっさと話せと言わんばかりに見つめてくるので、ついに観念して話し出す。


「その…洗濯なんですけど」

「は?」

「あの赤い戦闘服、何だか色落ちが凄くて…。ギルバートさんはどうやって洗ってますか?」

「へ?」


またもやギルバートらしからぬ間抜けな返事が返って来た。

斜め上の回答に拍子抜けしたのだろう。


その反応は正しい。やはり自分はよく分からないタイミングでどうでも良い事を言ってしまう。だから、変と言われるのだ。


だが、結構真面目に困っていた事でもある。

出がけに洗濯をしようとタライに突っ込んだ軍服の色落ちが激しく、あれ以上洗ったら…あの真っ赤な戦闘衣装がクロノアの物だけ色褪せていたら――。

………静かに怒る彼の顔が目に浮かぶ。


「ど、どういう…?」

「その…洗っても洗っても赤い水が。それに変な匂いまで。もう、どう洗えば良いのか困って」


そう告げた瞬間、サッと表情を硬くさせるギルバート。

モノクル眼鏡の奥にある緑色の瞳が、少しだけ悲しく揺れている。

流実は何故そんな顔をするのか疑問に思い――次の瞬間、その理由を理解した。


「それは、返り血ですよ」

「!」

「あの生地は結構しっかりしてましてね。私なんか気にせず洗ってますよ。…そうでもしないと、“血”が取れないものですから」


自分でも分かるほどにサァと全身の血の気が引いていった。

ずっと…生地の色かと思っていたあの赤は、誰かの…?


「流実さん。紅族(べにぞく)の正装は白なのに、なぜ戦闘服は真紅なのだと思いますか?」

「……え」

「返り血を浴びても、目立たないからですよ」


それを聞いた瞬間、遂に流実は思考停止した。


―――そうだ。一体何を考えていたんだろう。

この世界では、『コレ』が普通なのに。


洗っても、洗っても染み出すように溢れてた赤。あれは、全て“血”だと…戦場で戦っていたのなら当然そうだと考えても良いはずなのに。


そう。だからこそ靭が帰って来た日妙な“生々しさ”を感じたのではなかったのか?

……あの、雨の日に嗅いだ鉄棒のような生々しさを。


真っ青な表情で震えている流実に、無言だったギルバートは、ついに口を開いた。


「流実さん。やはり無理をしているのではないですか?」

「っ別に」

「いいえ。無理はいけませんよ。……実は、我々は族長に城に戻って頂きたいと思っています」

「……え?」


聞き違いだったろうか?

皆が…彼を城に戻そうと思ってるって?


急に言われた事が理解できず、流実はひたすらギルバートを見つめる。


「元々族長がここに居を移す事に反対していた者は多かったんです。何とか説得して今日まで来たのですが…先日の件で……」


“先日の件”。つまり、靭が紅族の仲間を殺めた事だ。


「もう、私一人ではどうする事もできず。今まで適度な距離があったので何事もなかったのですが」

「…今まで?」

「ええ。今回が初めてでは…ないので」


ギルバートが口籠もりながら言った。

流実はその言葉に更にショックを受ける。


あの森で彼は何と言ったか?「今回“も”」と言わなかったか。


(違う、靭さんのせいじゃないのに……!)


例えようもなく、苦しくなっていく。

彼にとっては、不可抗力とも言える出来事。それなのに最悪の結果となってこんなに深く両者の溝になっているなんて。


「族長が城に行っても、流実さんは“ここ”に残れるよう私が直に頼んでー…」

「っダメです!」


流実は思わず声を上げた。


「あの人は、そんな人じゃない。殺したくて殺したんじゃ…」

「――そうだとしても、本当か分かりません。理由を言わないので」


ギルバートはきっぱりと言い放った。


「……理由を言わないから?」

「ええそうです。単純な事ですよ」


疲れたようにはぁとため息を吐くギルバート。


「あの方は神憑(かみつ)きだ。もし軍法に則って違反者を“処罰”しただけだとしても……戦場の混乱状態でそれを判断できる者はいません。族長は普通にやってのけますが……。だからこそ余計に皆から理解されないのですよ」


ギルバートの眉間のしわが深く刻まれる。


「神憑きだから…能力が高いから、理解できない?」

「皆、自分に理解できないものは恐れるんです。そして、残忍で非情な“死神”ならやりかねないと思っている」

「!?」

「流実さんも、いつか殺されるのではないかと…皆心配しています」

「―――っ!そんなの、あるはずがないです!」


流実はつい大声で否定した。

靭さんが私を殺す?繊細で傷つきやすく、誰にも言えずあの森で心を癒している人が、そんな事するはずない!


「そうは言っても、族長が何も言わない以上…」

「なら、本人に説明してもらえば良いんですね?」

「えっ?ま、まぁ。はい?」


何を言ってるんだと顔に書いたギルバートが流実を見つめる。


「誤解されたまま城へ行くなんて嫌です。話し合いましょう」

「!」


―――初めて、「嫌」だと人に告げたかも知れない。

ふと、口に出してから気付いた。


怖くて言えなかったはずのセリフ。なのに、こんなにも自然に言えてしまった事に、むしろストンと胸が落ちるようだった。


それより、この問題は、早急に解決する必要がある。じゃないと彼は誤解されたまま城に行く事になりかねない。


(そんなの……絶対に嫌だ)


「私はクロノアさんにちゃんと理由を話してもらうよう説得しますから、ギルバートさんは皆さんの説得をお願いします」


(コミュ障の私が言うなって感じだけど、でも何か変わるかも知れない)


ここまで敏感になるのは、やっぱり靭が自分と似てると思うからで。

守りたい。あの場所も、あの人も。だから、彼を唯一知る自分がやるしかないのだ。

流実はそう決意を固めると、ポカンと口を開けたままのギルバートを残して拳を握って離れに向かった。


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