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眼鏡屋の物想い -Ⅱ

「それで香坂くんのおうちの、わんちゃん。おもちちゃんっていうんですけど。真っ白でふわふわで、すごく可愛いんですよ」

 金木犀の、優しい香りが漂う。生の花から香る強い匂いでなくて、乾燥させて花弁を混ぜこんだ、お茶の香り。少女が特に好む紅茶だった。

 少女は同級生が飼っている白い犬の魅力について、楽しそうに語った。同級生の彼とは言い争いになってから気まずかったようだが、仲直りができたらしい。

 自己主張は苦手だけど、心の素直な子だから。

 だからきっと、彼とも和解できたのだろう。

「香坂くんのおうちは、お母さんがお庭を綺麗に手入れしているんです。新淵さん、見たことあります?」

「うーん、多分見たことはあるんじゃないかな。僕も出歩かないわけではないし。でも覚えていないな」

「十月いっぱいはハロウィン仕様だったんですけど。今はもう、クリスマスになってるんですよ。小さなもみの木の鉢植えに飾りつけをして、植木鉢を抱えたサンタさんのお人形があって。玄関のリースも素敵なんです」

「もうクリスマス? まだ十一月も始まったばかりなのに」


 日本人の季節の祝い事も、数十年で大きく変容したものだ。

 ハロウィンがクリスマスと同じようなノリで、こんなにも日本で親しまれるイベントになるなんて思いもしなかったし。そのクリスマスだって、一応は日本に古くから根付いていたものの、こんなに早い時期から準備にいそしむものではなかった。せいぜい十二月に入ってから賑わうものだったし、正月のほうが遥かに重んじられていた。

 新年を寿ぐ気持ちは、今も昔も変わりはないけれど。それでも正月料理の多様化簡略化、元日から商いを始める商店に飲食店に、過ごし方はずいぶんと変化してきた。

「なんだか忙しないね」

「そうですか?」

 時代の移り変わりを知らず、当たり前のものと受け入れる少女。やはり自分とは感覚が違うのだなと、しみじみと思う。


「楽しいことだから、いいと思います」

「それは、なにより」

 そう、なによりだ。

 少女に今、この時しかない短い青春を。若さを。存分に謳歌してほしいと思うそれは、きっと老婆心。年寄りの感傷に付き合う暇なんて、ないだろう。

「スウちゃんは高校生だから、もうサンタさんは来ないのかな。でもプレゼントは、買ってもらったりするの?」

 ただ無邪気に、十代の少女らしくクリスマスを楽しんでくれたらいいなと。そんなことを唐突に思って、尋ねる。

「あんまりほしいものはないんですけど……。お母さんが、新しいコートとか、靴とか買ってあげよっかって、言ってますね」

「いいじゃない。買ってもらえば」

 それはきっといい贈り物だ。テーブルの隅に置いてあるスマートフォンみたいな、自分には未知と言っていい、最新の製品をねだるのかもとも考えた。だけど年若い女の子が求めるものは、時代で変化したようで、案外変わらないのかもしれない。

 少女どころか女性に贈り物をした記憶もないから、あまりわからないけれど。


「新淵さんは」

「うん?」

 こちらをうかがうような表情に、手元のティーカップへ落としていた目線をあげた。

「えっと、その、なにか……」

「うん」

「なにか……いえ……。あ、好きな、色。好きな色は、ありますか」

 唐突に色の好みを聞かれた。今さらな質問のような気もしたし、かといって話題にしたことも、確かになかった気もする。

「改めて聞かれると、何色だろうなあ」

 身の回りのものは、あまり買い換えないし。着るものも、無難なものを長く着るし。最近は色を選んでものを探すことがあまりないから、そう言われるとすぐには思い浮かばなかった。

「臙脂色ですか」

「臙脂……ああ、お店。あれはなんとなく雰囲気が良かったから選んだだけで、特別好きな色かというと」

「んー……。あ、じゃあ、緑色。深くて濃い色の、緑」

 明るい顔をして、少女が言った。


「緑?」

 その発想はどこから来たのだろう。疑問に思っていると、少女が続けた。

「いつもつけてる、ループタイ。緑色のタイなので。好きな色なのかなと」

「ああ」

 少女の言うように、ほぼ毎日身に付けているループタイはコードの色が深い緑だ。

 記憶の限り、特別に気に入って買ったわけでもない。多分、流行った時代があったか。いつも身に付けているのは、もはや単なる習慣だ。

「それ、新淵さんの雰囲気に、とても似合っていて。すごくかっこいいなあって」

 少女は時に、自分を誉めてくれた。

 照れながら、でも嬉しそうに。

 好みの色にしても小さな装飾品ひとつを、よく見ているものだ。

 少女が自分に向ける視線。

 そういうこと、なのだろう。

「そうだね、うん。緑は好きかも」

 自分の好みなんてよく分からない。とにかく答えてあげた方がいいだろうと思って、少女の言うことをそのまま肯定した。

「緑ですね!」

 それを知ってどうするのかとは思ったが、聞くことはしなかった。

 人の好みとか、それを知りたい理由とか。

 知った、ところで。


「新淵さん、甘いものは結構食べますよね。ケーキだと、なにが一番好きですか」

「んー、なんだろうな。一人だと食べないからなあ」

「シンプルなショートケーキ、チョコレート……んん、難しいのかな」

 考え込むようにしながら、ケーキの種類を揚げ連ねる。たまには豪勢なお茶菓子が食べたいのかもしれない。

「チーズケーキ、はクリスマスっぽくないような……」

 ああ、クリスマスケーキを何にするか悩んでいたのか。近年はケーキの種類もずいぶんバリエーションが増えたのだから、悩みもするだろう。

「スウちゃんは一人っ子だっけ。だったらご両親におねだりして、なんでも好きなケーキを買ってもらえばいいじゃない」

「あ、うちのケーキはなんだっていいんですけど」

 好みの色を尋ねたときのような視線に、思い至る。

 少女はもしかしたら、自分と一緒に食べるクリスマスケーキを尋ねたかったのかもしれない。

 とすると、好きな色を聞いたのはプレゼントのため。


(これは、だめかな)

 学生さんに、お金を使わせるようではよろしくない。

 そんなことをさせる価値なんて、自分にはない。

 もっと品位のない言い方をすれば、貢ぐようなことをさせてはならない。 

 彼女がそこまで冷静さを欠くようなことをするとは、思えないけれど。それでも。

(引き時には、ちょうどいいか)

 その時を待っていたわけでは、全くない。

 だけど思いきり覚悟を決めるよりは、もっと引き返せない想いを抱えるよりは、まだ。

 これぐらい何気ない理由とタイミングの訪れで、引いた方が。

 なんとなく多方面から、釘を刺された気もするし。


「スウちゃん」

 返事もなく、少女はこちらを見た。

 こちらもそれ以上はなにを言うでもなく、赤い眼鏡越しの瞳を見つめる。

 探っていく、自分達が出逢ってからの記憶。

 しんどそうに地面にうずくまった少女。

 感じたのは微かな魔力。

 見上げてきた涙目、追い込まれた小さな動物のような女の子は可哀想で、思わず手を伸べた。

 ほんの少し、未知の世界を見せただけのつもりだった。

 少女は自分で世界の広さを受け止めて、前を向く力を得たようだったから。

 少しだけ手助けになる道具を持たせて、それでおしまいだと、思ったのに。

 僕たちは、再び出逢った。

 再会を望んだ少女は、自らの足でこの店に来た。

 長らく名を失っていた店は『銀の月眼鏡店』という、美しい名前をもらい。

 同時に、僕も久方ぶりに豊かな時間をもらった。


 孤独は既に空気のようであった。

 自分が永い生を送る共連れであり、今さらどうにかしたいとも思わなかった。南波とか文彦くんとか、まだ繋がりのある者もいたし。

 人間らしい寿命ぎりぎりの百年を越える頃が、一番しんどかった。

 その頃は無駄な探求心と有り余る魔力をもってして、子々孫々に至るまで生き永らえよと、寿命を引き伸ばした一族祖先を恨みもしたけれど。

 二百年もすれば、もはや開き直った。

 人類でただ一人地上に取り残されたわけでなし、長寿なりに生きていく術だってある。

 孤独なんてものは、飼い慣らすことができるし。

 常には空気と同様に、当たり前のものとして扱い。

 それでも孤独が隙間をじわじわ広げて、冷たいすきま風を吹かせた時には。

 いっとき側にある、ちょうどいい何かで、その隙間を塞げばいい。

 スウちゃんと出逢った時が、すきま風の冷たい時期だったのか。

 それともたまたま『ちょうどいい何か』に出逢ったことで、冷たさを思い出してしまったのかは、わからない。

 ともかくも、彼女に出逢って。

 茶飲み友達、放課後の友。気軽に足を運んでくれてよかった。

 自分だって、気軽に癒されようとしていたのだから。

 孫でも愛でるように。愛玩動物を可愛がるように。

 それでも与えられたのは、豊かな時間。

 けれど僕は、返せるものはないから。


 店の外では日が落ちる、月が昇る。何回目の満月だ?

 月は欠けるし、また満ちる。星は流れる。

 僕は欠けたまま、消えるのはまだずっと先のようだけど、流れるままに。

 君は記憶が、欠け落ちても。

 また別の、どこかの誰かと尊い出逢いをするだろうし。今しかない経験や時間を積み重ねて、再び満ちるだろう。

 だから僕は君に、安心して魔法をかける。

 瞳を合わせたスウちゃんは、瞬きすらしなかった。

「今まで、ありがとう」




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