50.アルヴィラにて
「やっと君と話ができる。ロンベルクの森から戻ったらきちんと話したいと思っていたのに、こんなにすれ違ってしまった」
「そうですね。でも今日は夜まで屋敷に戻るなと言われているので時間はたっぷりあります」
ユーリ様と向かい合っているのが気恥ずかしくて、視線を逸らして店内を見回す。お客さんが誰もいない閑散とした店の奥の厨房で、おばあちゃんが料理をする包丁の音だけがトントンと響く。
「……ずっと、君に謝りたかった」
「謝る? 私にですか?」
「そうだ。俺はリカルドを名乗って、君のことを騙していた。君は誠実に辺境伯夫人としての役割を果たそうとしてくれていたし、俺のことを本物のリカルドとして尊重してくれた。それなのに、俺は君の気持ちや誠意を踏みにじった」
そう言うと、ユーリ様はテーブルに頭がぶつかるんじゃないかというほど深く頭を下げた。
ユーリ様の言葉も、間違いじゃない。確かにユーリ様はリカルド・シャゼルを名乗り、私のことを「愛するつもりはない」と言って遠ざけようとした。だけど今思い返せば、ユーリ様の言動の理由はもう大体察しがついている。
初夜に「愛するつもりはない」と言ったのは、私のことをソフィだと勘違いしたから。月に照らされて私の顔が見えた途端、焦って「愛するつもりはない……今のところは」なんて付け加えて誤魔化したのだと思う。
優しさを見せたと思えば、急に突き放される。その理由だって今なら分かる。私に優しくしようと思っても、リカルド様の身代わりであるという負い目がユーリ様を縛っていたのだ。
「ユーリ様。気になさらないで下さい。良くも悪くも、リカルド様のせいで全てどうでも良くなりましたから」
「許してくれるのか?」
「ふふ、リカルド様がユーリ様を振り回していた結果だと、心の底から理解しました」
「…………ありがとう、リゼット」
かすれた声でユーリ様が言う。
「あいつは悪いやつじゃないんだがな……」
「でも、良い人でもないと思いますね……」
リカルド様のことを話しながら、私たちは同時に深いため息をついた。
「そう言えば、ウォルターがあの結婚式の日に、「リカルドが作った薬を使って失踪を手伝った」と言っていたな。もしかしたら、その薬って」
「きっと神父様に盛ったんですね! あの日の教会は極寒でしたが、神父様は厚着でしたし倒れるような寒さではなかったですもの」
「ウォルターも、リカルドに上手く利用されてるな」
「妙に参列者が少ないのも気になったんです。リカルド様が失踪するために、騎士団の皆様は大半眠らされていたのでは……」
リカルド様がどこまでの未来を見越して行動していたのかは分からない。だけど、あの結婚式で神父様が倒れた混乱のおかげで、私たちの結婚は正式に成立していなかった。拍子抜けはしたけれど、内心ホッとした。
これで初めて、私たちにまとわりついて離れなかった『身代わり』という呪いから解き放たれた気がしたから。
おばあちゃんのいるキッチンの方から美味しそうな匂いが漂ってくる。私は目の前にあるティーカップから、お茶を一口頂いた。
「リゼットとリカルドの結婚が成立していなくて良かった」
「私も、心からそう思います」
「これで、君に正式に結婚を申し込める」
「……え?」
ティーカップを置いた私の左手を、ユーリ様が両方の手のひらでそっと包む。
「もう、リゼットも察していることとは思うが……この『アルヴィラ』で君に会った時から、ずっと君のことを想っていた。どんな苦境でも明るく、前向きに振舞う君に惹かれた」
「ユーリ様……」
「地位や身分にとらわれて卑屈になっていた俺に、リゼットは幸せをくれたんだ。君のいない人生はもう考えられないし、俺もリゼットを幸せにしたい。リカルドの身代わりなんかじゃない俺自身の、ユーリ・シャゼルの妻になってほしい」
私の左手は、そのままユーリ様の口元へ。指先にユーリ様の唇が触れる。
左手から体全体に熱が伝わっていく。今日二人きりで話をしたら、ユーリ様は私にご自分の気持ちを打ち明けてくれるだろうと思っていた。でも、まさか結婚まで考えていたなんて。
頭の中に、昨日のネリーの言葉が響く。
『気持ちがハッキリ決まっていないのなら、ぐちゃぐちゃのままユーリ様にぶつければいいのです』
私の今の気持ちを、そのままユーリ様に伝えてもいいだろうか。
「ユーリ様、私の話を聞いてくださいますか?」
「もちろん。リゼットの気持ちを聞かせてくれ」
「……私は、昔からお父様から疎まれていたんです。お母様も寝たきりでしたし、途中からシビルやソフィも現れて。だから私、すごく家族が欲しかったんです。お互いに助け合って思い合える家族が」
今の私のぐちゃぐちゃのままの気持ちを、思いついたままに言葉にしてみる。ユーリ様は、明るく前向きな私を気に入ってくれたのかもしれないけど、本当の私の心はそんなに強くない。
私の気持ちや誠意を踏みにじったと謝ってくれるような真面目な人だから、私もちゃんと自分の気持ちを伝えないといけない。
「だからリカルド様に嫁ぐことが決まった時も、もしかして家族になれるかもしれない、家族になれたら嬉しいと思って行きました」
「ああ」
「だからユーリ様のお気持ちはとても嬉しいです。私もユーリ様の優しさや暖かさ、真面目で不器用なところもとても好きです。騎士としても辺境伯の代理としても、任務に誠実に取り組まれるところも尊敬しています。でも……私は大切な家族であるお母様を、シビルやソフィから守れなかった負い目があるのです。お母様という大切な家族を守れなかったんです」
シビルやソフィがヴァレリー伯爵家にやって来た時に、逃げずに戦っていればよかったのだ。
苦しくても前向きに生きようなんて、綺麗ごとを並べて生きてきた。でも、それは楽なほうに逃げていただけだと気付いた。苦しい状況になる前に、お母様や自分を必死で守ればよかったのだ。
そうすれば、もしかしてお母様の数年間を奪われることはなかったのではないか。そんな後悔が頭にこびりついて離れない。だから、今のこんな私が、ユーリ様とちゃんと家族になることができるのか不安なのだ。




