48.離婚しないの?
「今日、ドルンに発とうと思ってるんだよね。だからユーリとリゼット嬢に挨拶に来たんだ」
「は!? リカルド、お前何を言ってるんだ!?」
「……ちょ、ちょっと待ってください!ええっ!?」
約束もなしにヴァレリー伯爵家を訪ねてきたリカルド様が、私とユーリ様の前でまたとんでもないことを言い始めた。私たちは思わず椅子から立ち上がって、机の上に手をついて身を乗り出す。
「あ、ユーリ様は傷が開いてはいけませんので座っておいてください。リカルド様、まだ大切な手続きが残ってますよね……?まさかとは思いますが、このままになさるおつもりではないでしょう?」
私の言葉を聞いても、リカルド様は表情一つ動かさない。不安が増していく。行動も思考も読めない彼のことだから、私と離婚しないままドルンに旅立つなんて言いかねない。
リカルド様は右に左に何度か首を傾げた後に、「ああ!」と一言声をあげた。
「忘れてたよ! 一つ大切なことを!」
「ですよね! 良かった、早く手続きを……!」
「君の髪がスミレ色になった理由を伝えるのを忘れたまま、ドルンへ旅立つところだった。危ない危ない!」
ずっこけてテーブルで頭を打った私の横で、ユーリ様が立ち上がる。
「リカルド、お前本当にいい加減にしろ。頼むからもう人を振り回すのはやめてくれ。リゼットとの離婚はどうするつもりなんだ!」
「離婚だって?」
「リカルド様、回りくどくお伝えしても話が通じなさそうなのでハッキリ言わせていただきます。私、リカルド様とは離婚したいのです!」
「ああ……なるほど。その件ね」
リカルド様はわざとらしく手を打ち、うんうんと頷いた。
「僕と君との結婚のこと調べたんだけどさ、どうやら新婦の名前が間違ってソフィ・ヴァレリーになってたらしいじゃないか。しかも結婚式の途中で神父様が倒れて、結婚自体が成立してなかったみたいなんだよね」
「…………は?」
「いやあ、残念だよ。リゼット嬢のことは結構気に入ってたんだけどなあ。結婚もしてないなら離婚もできないよね。僕もドルンで、また現地妻でも探さないと」
……どういうことですか?
私、結婚していなかったの?
唖然とする私とユーリ様は、口を開けたまま顔を見合わせる。リカルド様はそんな私たちを見てクスクスと笑った。
「なんか君たちって似てるよね。あ、それと、君の髪色の件だけど」
「はあ……」
「シビルが昔ここで勤めていた時にも、ドルンスミレの毒入りのお茶を伯爵夫人の飲ませていたようだ。その頃はまだ毒性が弱くて、伯爵夫人は意識を失うほどじゃなかった。だからみんな悪阻で寝込んでると思い込んでたようだね」
「私を妊娠中に、お母様に毒入りのお茶を飲ませたんですか!?」
「うん、そう。そのドルンスミレの加工中に、アルヴィラの成分が混じりこんだんじゃないかな。それが伯爵夫人のお腹の中にいた君の髪に影響して、スミレ色の髪になったというのが僕の仮説」
「まさか、そんな……」
「シビルは君が生まれた時に髪の色を見て、自分が毒を盛ったことがバレるんじゃないかと焦って逃げたんだろうな。まあ、まだ仮説にすぎないから、これからドルンの研究所で色々と調べてみるけど」
シビルにはまだ余罪があったのか。
妊娠中の女性に毒入りのお茶を飲ませるなど、どこまで非情なのだろう。その時は無事だったから良かったものの、お母様に何かあれば、私もこの世に生まれていなかったはずだ。
シビルがここまでしてお母様の命を狙い、伯爵夫人となりたかった理由はなんなのか。ソフィが私を使用人室へ追いやって、わざわざ鍵を壊して怖い思いをさせようとしたのは何故なのか。
その明確な理由はもう本人たちからは聞けないけれど、私がなんとなく思い描く理由がある。
「リカルド様。ドルンもロンベルクと同じ北方の地で、毎年冬の寒さと戦わなければいけない場所です。その上魔獣の被害まで及んでは、ドルン領民たちの暮らしは苦しくなる一方です」
「そうかもね」
「ソフィもシビルも、ドルンで苦しい生活を送ってきたんじゃないかと思います。リカルド様がドルンに行かれたら、二度とこのようなことが起こらないように領民の生活のことにも思いを馳せて頂きたいです。今度こそ逃げずに」
リカルド様はドルンを治める立場ではなく、研究所の所長になる立場だ。こんなことをお願いされても困るのは分かっている。でも、きっと彼もユーリ様と同じように、人を思いやれる気持ちの持ち主だと思っている。
突拍子もない方法だったけど、彼が失踪したのは元を正せばユーリ様のためにと思ってのことだから。
「僕ができることは限られているけど、まあできることはやってみるよ。国王陛下を操ることは得意だしね。じゃあ、あとは二人で仲良くやってよ。またいつかどこかで会えるといいね」
「リカルド……」
「ユーリ、元気で。早くケガを治せよ」
「……ありがとう。リカルドも、やっと自分の好きなことができるんだから、逃げずに頑張れ。ドルンとロンベルクなら近いし、何かあったら助け合える」
二人はお互いに抱き合って、背中をポンポンと叩いた。背中の傷を叩かれて痛がるユーリ様を見て、リカルド様はまたクスクスと笑う。
お見送りに出た私たちに、リカルド様は最後にもう一度振り返って言った。
「あともう一つ! お邪魔虫のカレンちゃんも、研究員としてドルンに連れて行くことにしたから! じゃあまたね!」




