39.侍医
日が落ちて、あたりは既に薄暗い。お父様が雇った自警団たちが少しずつ帰路につき、屋敷の周りには人がまばらになっていた。
お父様はソフィがロンベルクにいることをご存知ない。ソフィから「お父様には絶対に居場所を言うな」と頼まれているから言わないけれど、自警団まで雇って必死になってソフィを捜すお父様の気持ちを考えると、なんとも言えない気持ちになった。
もしもいなくなったのが私なら、お父様はここまでして捜してはくれないだろうから。
お医者様と一緒に階段を上り、屋上に着いた。テーブルを挟んで向かい合って座ると、初夏の生ぬるい風が私のスミレ色の髪を揺らす。髪を耳にかける私を、お医者様はじっと見つめている。その視線が少し不気味だ。私の体を緊張が包んだ。
「……さて、伯爵夫人の病の原因ですが、血液検査の結果、ドルンスミレの毒が検出されました」
お医者様の言葉を聞き、私の喉がゴクリと鳴る。
覚悟はしていた。やはりお母様の病の原因は毒だったのだ。
「おそらく、主治医が伯爵夫人の点滴に毒を混ぜ、継続的に投与していたものと思われます」
「主治医の先生が!?」
「ええ。部屋に残されていた点滴の中身を確認して分析しました。私が点滴薬を入れ替えて別のものを使ったところ、二週間ほどで伯爵夫人は目を覚ましました」
ロンベルクで、私が数日間意識を失う原因となったスミレの毒。それを継続的に点滴させられていたから、お母様は何年も目を覚まさなかったのだ。
(しかも、主治医の先生がそんなことをするなんて……!)
思い返してみれば、確かにお母様が病に倒れた前後で、主治医が変わったように記憶している。前任の主治医がご高齢のため別の方を探していたところ、お父様が新しい主治医を連れてきたのだ。
「なぜですか? なぜお母様が、主治医にそんなことをされないといけないのですか?」
私は目の前にいる主治医の先生の腕をつかんだ。彼は医者であって、探偵でも自警団でもない。彼に尋ねたところで、答えなど分かるはずもないのに。
「主治医には逃げられましたが、ちゃんと真犯人を捕えて話は聞き出してあります。真相を聞きますか?」
「え……っと、申し訳ありません。先生はお医者様ですよね? 私がおかしな質問をしたのがいけないのですが、まさか先生が真犯人を捕まえたと?」
お医者様は何も言わず、微笑みながら大きく頷いた。
紳士的で丁寧で、でも少し不気味で。そんな彼の表情が、私の目の前で少しずつ変化していく。椅子の背もたれに思い切り背中を預けて腕を組んだ彼の顔は、まるで少年のよう。面白がって他人を揶揄うような、無邪気な表情に切り替わった。
「……せ、先生? どうされましたか?」
「国王陛下からヴァレリー家に突然侍医が派遣されるなんて、おかしな話だと思わなかった?」
「おかしな話……ですか?」
「うん。君がロンベルクで毒にやられたっていう報告がこっちにも上がってきたから、陛下に頼んでちょっと調べさせてもらってたんだ」
「どういうことでしょう。あなたは一体……」
すっかり彼はお医者様だと思っていたけれど、違うのだろうか。
彼はケラケラと笑って話を続ける。
「それにしても、ヴァレリー伯爵家は悪人の巣窟だね! 知らなかったとはいえ、こんな家から妻を娶らせるなんて、国王陛下もひどいなあ。あ、ちなみに僕のことが誰だか分かる?」
姿勢を起こした彼は、私の顔を覗き込んだ。
(……まさか。まさかとは思うけど)
私より少し年上、二十代半ばくらいに見える若い男性。
目元や鼻筋が、少しユーリ様と似ている気がする。まさかこの人は……!
「もしかして、リカルド・シャゼル様ですか!?」
「正解!! 気付くの遅いよ!」
男はテーブルに両手をパンと突いて立ち上がった。
突然のことに頭が付いていかず、私は椅子から転げ落ちそうになる。
「ちょっと……正解って……!」
「そんな顔しないでよ。ほら、君の夫です。よろしくね!」
「え、ええっ……!?」
リカルド・シャゼル。
一度も会ったことのなかった、私の本当の旦那様。
ユーリ様の従兄で、結婚式当日に失踪した男。
「リカルド様! なぜこんなところにいるんですか……!?」
「それはこっちのセリフでしょ。なぜユーリのことロンベルクに置いて来たの?」
「置いて来るってなんですか? 何故そんなに開き直っているの? 状況が全然分かりません!」
リカルド・シャゼル様は、結婚式から逃げたことも、ユーリ様に仕事と私を押し付けたことも、まったく悪びれる様子がない。それどころか上機嫌でニヤニヤと笑いながら、さも当然かのように私の夫を名乗る。
辺境伯に任命されたのが嫌でロンベルクから逃げた男が、ヴァレリー伯爵家でお母様の治療をしている主治医に。一体、何をどう繋げば、この点と点が結ばれるというのだろうか。
私には何一つ想像がつかない。
空いた口がふさがらない。




