38.リカルドの依頼 ※ユーリside
「ユーリ様、ご気分はいかがですか……?」
ウォルターの低く穏やかな声に引っ張られ、意識が徐々にハッキリとしてきた。見たことがあるような無いような天井が目に入る。少し視線をずらすと、丸メガネのウォルターがニッコリと微笑んだ。
「……ウォルター、ここは?」
「ロンベルクのシャゼルの屋敷ですよ。リゼット様のお部屋の隣の寝室です。背中の痛みはいかがでしょう?」
ウォルターに言われて身体に力を入れると、背中に引きつったような痛みが走る。が、起き上がれないほどでもなさそうだ。腕をベッドについて半身を起こそうとしたところで、ウォルターが慌てて俺を止めた。
「ユーリ様が森から帰還して気を失われてから、一週間ほどです。ケガはだいぶ良くなっていますが、油断するとまた傷が開きます。ゆっくりなさってください」
「ゆっくりしている場合じゃないだろう? ウォルター、俺が気を失う前、『リゼットが王都に戻った』と言っていなかったか……?」
あの日、俺は救護所で確かに聞いた。リゼットが王都に戻った、と。
リゼットにとって王都に戻ることは、ただの里帰りではない。
ヴァレリー伯爵は、ロンベルクを離れたリゼットがリカルドと離婚するつもりだと考えるはずだ。王命による結婚をリゼットが断ったとなると、伯爵は怒り狂うだろう。
(リゼットに危険が及ぶ)
「ウォルター、俺も王都へ行く!」
「その傷では無理です」
「何を言ってるんだ? ヴァレリー伯爵やソフィの元に、簡単にリゼットを帰したお前が言うな!」
自分の声がズキズキと背中の傷に響く。
こんなところでのんびりしている場合じゃない。今、この瞬間にも、リゼットが酷い目にあわされているかもしれないと言うのに。
「ユーリ様。実はソフィ・ヴァレリー様なら、この屋敷にいらっしゃいます」
「…………は?」
「ソフィ様ご本人が、自分の足でロンベルクまで来られたのです」
「ソフィとは、あのソフィか?」
「そうでございます」
状況がよく呑み込めない。
リゼットが王都に戻り、ソフィがロンベルクにいる?
「ウォルター、ソフィ・ヴァレリーは、今どこに?」
「地下シェルターに閉じ込めております」
「閉じ込めッ……!? ちょ、ちょっと待て。頭が付いて行かない。整理して状況を説明してくれるか」
ゴホンと咳払いしたウォルターは、俺に一通の手紙を渡した。
「まずはこちらをお読みください」
「手紙か。誰からだ?」
封筒を裏に返して差出人を見る。
「リカルド……リカルド・シャゼル!? 王都の消印ということは、アイツは王都にいるのか!?」
◇
ウォルター
ドルンスミレの毒の件の報告をありがとう。こちらでも既に、ヴァレリー伯爵家へ調査に入っている。ヴァレリー伯爵夫人の点滴から、ウォルターの報告にあったドルンスミレと同じ成分が検出された。
伯爵家の主治医はドルン出身の男だった。使用人のシビルとその娘ソフィ・ヴァレリーと結託し、伯爵夫人に毒を盛っていたということで間違いない。
主治医はしばらく泳がせ、ドルンの自宅を突き止めたところで捕えてある。医者というのは真っ赤な嘘で、実際は染物稼業の男だった。染物用にアルヴィラの花を採集するついでに、ドルンスミレも採集していた。もうかなり前から、自宅でドルンスミレの毒性を強める加工を研究していたようだ。証拠も多々そろっている。
主治医が逃げたことに焦って逃走しようとしたシビルも捕まえた。
だが、ソフィ・ヴァレリーには逃げられてしまい、行方が分かっていない。
もしもソフィ・ヴァレリーがロンベルク領を頼ってそちらに逃げたら、彼女を王都に連れて来てほしい。日時はまた連絡する。
それまで、ソフィはシェルターにでも入れておくといい!
よろしく!
◇
手紙を読み終わり、唖然とした。
「ヴァレリー伯爵夫人に毒を盛ったのが、偽の主治医とソフィたちだと?」
「そのようです」
「それに、なぜリカルドはこんな探偵まがいのことをしている? もしかしてウォルターは、今までずっとリカルドと連絡を取っていたのか?」
ウォルターはその場に立ち上がると、深々と頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
(ウォルターもグルだったのか)
リカルドだけではなく、ウォルターまで俺を身代わりに仕立て上げていたのだ。背中のケガさえなければ、一発ぶん殴っていただろう。
「リカルド様は、ユーリ様のことを心からご心配なさっているのです。辺境伯にふさわしいのは自分ではなくユーリ様であると、何度も仰っていました」
「それは俺も耳にタコができるほど聞いたよ。でも、仕方がないだろう? 辺境伯に任命されたのは俺じゃない。リカルドなんだから」
「では、もしユーリ様が辺境伯に任命されていたら、お受けしたのですか?」
「……何が聞きたい?」
謝罪の姿勢のまま背中を倒したウォルターの丸メガネの隙間から、鋭い視線が俺に刺さる。
沈黙に耐えられず、俺はウォルターに答えた。
「この数か月、リカルドの身代わりをやってみて、この土地にも愛着がわいた。ロンベルクの森も街もとても美しい。二度と魔獣が現れないように、この場所を守っていきたいと思った。辺境伯という地位に関わらず、ずっとここで暮らしたいとは思う」
「ユーリ様。お返事になっておりませんよ」
「……そうだな。じゃあハッキリ言おう。リカルドなんかに、このロンベルクを任せられるものか! 俺に辺境伯を任せてもらえるよう、国王陛下に直談判する。だから俺も王都に連れて行ってくれ!」
その言葉を待ってましたとばかりに、ウォルターは満面の笑みを浮かべた。姿勢を正し、改めて丁寧に礼をする。まるで俺が本当にウォルターの主人、ロンベルク辺境伯であるかのように。
「承知いたしました。ソフィ・ヴァレリーを王都に連行するようにと、国王陛下からも言われております。ユーリ様も王都まで同行をお願いします。ケガのこと、くれぐれも無理をなされませんように」
「分かった、ありがとう。ちなみにウォルターはいつからリカルドとグルだったんだ?」
「……ええっ……と? リカルド様の結婚式の時からでございますかね」
「初めからじゃないか! あの日、リカルドが逃げるのを手伝ったのか? どうやって?」
「それは、リカルド様お手製の薬なども使いながら……それではごゆっくりお休みください!」
ウォルターは俺の質問の答えを濁したまま、風のように部屋から出て行く。
(……リカルドの薬って何だよ)
そう言われてみれば、リカルドは暇さえあれば研究室にこもり、実験や研究に明け暮れていた。本当は騎士になどなりたくなかったんだろう。武門の家に生まれ、自分の生きる道を選べなかったことについては、リカルドに対して唯一同情する。
俺がリカルドの代わりに辺境伯になると言ったら、リカルドは喜ぶのだろうか。
一人になった寝室、ベッドの上。
一週間眠ったままでなまりなまった頭を整理する。
リゼットの図鑑に挟まっていたスミレに毒が含まれていることが分かった時から、ヴァレリー伯爵夫人のことを心配していた。夫人が寝たきりとなった原因は、それと同じスミレの毒なのではないかと見当はついていた。
(だが、まさかそれに偽の主治医が絡んでいたとは……)
リカルドの手紙にある「シビル」とは、伯爵の愛妾のことだ。主治医もシビルも既に捕えてあるというから、少なくとも現時点では伯爵夫人の安全は確保されているはずだ。
リゼットはウォルターからこの事実を聞いて、急いで王都に戻ったのだろうか。
どれだけ不安だっただろう。俺のケガさえなければ、もう少し早く王都駆け付けることができたのに。
「やることが山積みだな」
ポツリと呟いて、目を閉じる。
まずはソフィを連れて王都に戻り、リゼットと伯爵夫人の無事を確認する。王都にいるリカルドと共に、今回の一件についてソフィやシビルに相応の裁きがくだるよう見届けなければ。
そしてその後は。
リゼットと二人で話したい。
まだ伝えていない自分の気持ちを、自分の口でハッキリと伝えたい。
リゼットのことが大切だと言おう。
本当は、リカルドの妻になってほしいなんて思っていない。俺を選んでほしい。
これまで、心にもないことばかり言ってしまったことを謝りたい。
ヴァレリー伯爵がリゼットに酷い仕打ちをすることのないよう、一刻も早くあの伯爵家から救い出す。伯爵夫人も、ロンベルクに来て療養すればいい。花が好きだというリゼットの母親のことだ。この北国の澄んだ空気と美しい自然を、伯爵夫人も好むんじゃないだろうか。
「ちょ、ちょっと待てよ……?」
部屋に一人でいるのをいいことに、つい伯爵夫人をロンベルクに呼び寄せるところまで妄想を膨らませてしまったが、そもそもリゼットが俺との結婚を快諾してくれるとは限らない。いったん落ち着け! まずは謝罪だ。
国王陛下にも大切なお願いをしなければならない。
ウォルターにけしかけられたようなものだが、辺境伯を任せてほしいと国王陛下に直談判するのだ。リカルドにロンベルク辺境伯を任せるわけにはいかないという気持ちは、俺の本心でもある。
ケガなどあとから治療してもなんとかなる。今は一刻も早く王都へ向けて出発する時だ。
ウォルターに止められたのを無視して、俺はベッドから起き上がった。




