37.母との再会
数カ月ぶりのヴァレリー伯爵家は、以前と違い静まりかえっていた。
「リゼットお嬢様、こちらです」
「ありがとう」
私が戻ったことをお父様に知られたら、お母様に会わせてもらえなくなるかもしれない。侍女のグレースの手引きで、私は屋敷の裏口から人の目を盗んでこっそりと中に入った。
ソフィとシビルが忽然と姿を消し、お父様は憔悴しきって部屋にこもり切りだという。
屋敷の正面側には、お父様が雇った自警団の男たちがウロウロしており、二人の行方や手がかりを捜している。
(お母様、大丈夫かしら)
使用人室のフロアを抜けて階段を上がり、お母様の部屋に急ぐ。扉を開けようとした私の手を、グレースが制止した。
「リゼットお嬢様。ちょうど今、お医者様が奥様の診察中です」
「お医者様が来てくださってるのね。病状なども直接お医者様に確認するわ。ありがとう」
頷いたグレースに、私も同じように頷き返す。
何年も寝たきりだったお母様のことだ。目を覚ましたからといって、すぐに以前のような元気な姿を見られるとは思っていない。このまま必ず全快するとも限らない。
お医者様の口からどういう説明があるのか、想像しただけで手が震える。
緊張の中、ノックして扉を開けた。
「先生、私はリゼット・シャゼルと申します。主治医の代わりにお母様を診ていただき、ありがとうございます」
「……初めまして。伯爵夫人は目を覚ましていらっしゃるので、こちらへどうぞ」
お医者様に促され、私はお母様のベッドに近付いた。
横たわる姿は以前と何も変わりないけれど、ベッドの横にあるサイドテーブルには、水の入ったカップや本、着替えなどが置いてあった。
ベッドの横にある椅子に腰かけ、私はお母様に恐る恐る話しかける。
「お母様、リゼットです。私が分かりますか?」
視線に力はないけれど、お母様の目は確かに開いて私を見ていた。紫色になった口元も小さく動いている。しばらくすると左目からポロリと一粒の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「お母様……!」
(分かってくれた。私の姿を見て、リゼットだと分かってくれたのね!)
お母様の手を握り、私は大声を上げて泣いてしまった。
グレースがそっと私の肩に手を置いて、背中をさすってくれるのが分かった。
「……先生! 本当にありがとうございます。母を助けてくださって!」
「とんでもない。主治医が突然往診に来なくなったと聞きまして、国王陛下のはからいで派遣されただけですよ。しかし、お役に立てたようで良かったです」
「はい。どう感謝をお伝えすればいいか……! これからの看病はどうすればいいでしょうか?」
「少しずつ動く練習をしていくのがいいですね。今も調子がいい時は、体を起こして水を飲んだり本を読んだりなさってますから、順調ですよ」
グレースの手紙に書かれていた内容と比べれば、確かにお母様の容態はかなり良くなっているように思える。練習すれば、一人で歩けるようにもなるだろうか。毎日少しずつ訓練が必要だろうから、できれば私も近くでサポートしてあげたい。
(ヴァレリー伯爵家で、お母様と共に……)
ユーリ様のお姿が脳裏をよぎる。
彼のことが心に引っかかっていないわけではない。
しかし、馬車の中で何度も泣いたユーリ様との悲しい別れも、時が経てばいつか薄れてくれる。
リカルド様との縁談を命じた国王陛下が、こうしてお医者様まで派遣してくださっている状況で、私がシャゼル家との離婚を申し出ると知ったら――お父様はなんと仰るだろう。それだけはどうしても不安が拭えない。
お医者様は診療用の道具を片付けると、意味深な笑顔で私に声をかけた。
「伯爵夫人の今後の治療の件でお話があるのですが、場所を変えられますか?」
「はい、分かりました。グレース、どこかお医者様とお話ができるお部屋はあるかしら?」
「お部屋はもう、私たちには使わせていただけませんので……屋上はいかがでしょう?」
グレースは沈んだ表情で私の顔を見る。
(部屋を使わせてもらえないって……お父様は、そこまで……)
私がお母様の看病をグレースに頼んだことで、彼女にも肩身の狭い思いをさせてしまったのかもしれない。お医者様と少しお話することにすら、気を遣わねばならないなんて。
「先生、本当に申し訳ありません。屋上に簡単な椅子とテーブルがありますので、そちらでもよろしいですか?」
「私はどこでも構いませんよ。参りましょう」
先生はお母様の部屋の扉を開いた。丁寧に私をエスコートして、屋上に向かう。
その振る舞いは、まるで貴族のよう――そう感じたのは、私の気のせいだろうか。




