31.襲撃からの避難
ドレスの裾をいつもより高く上げ、ウォルターの案内で使用人室へ続く階段を駆け下りる。
森から魔獣が数匹、街近くまで迷い込んでいるという報告を受けたのは半刻程前のこと。騎士団はすぐに街に向かい、シャゼル家の屋敷の中も慌ただしく動き始めた。
堀に水を引き、屋敷に通じる門をすべて厳重に封鎖する。星型の要塞のようなシャゼル家の屋敷は、これだけでもほとんどの魔獣の侵入を防げるとのことだ。使用人たちは点呼を取りながら、地下のシェルターに向かって急いだ。
緊張しているのは私くらいで、他のみんなは避難するのにも慣れているようだ。この屋敷の女主人としてしっかりしなければと気負っていたが、逆に使用人たちの頼もしい姿に勇気づけられ守られている。
「東棟の避難完了しました!」
「西棟は?」
「西の大扉を閉め終わったら完了です!」
(この屋敷に、使用人がこんなにいたのね……!)
至るところからバタバタと人が集まってくるのを見て驚いた私は、階段の途中で足を止めた。すると、それに気付いた人たちが私を次々に振り返る。
「奥様、階段はゆっくりで構いません。足を踏み外さないようにしてくださいね!」
「さあ、こちらです奥様!」
ここに来た当初、よそよそしかったのが嘘のように、いつの間にか私にも親切に接してくれるようになった使用人たち。自分たちの危険も顧みず、私の心配をしてくれている。彼らの働きによって、無事に屋敷全員のシェルターへの避難が完了した。
聞けば、緊急時のための訓練や避難手順をまとめたのは、リカルド様とユーリ様だという。
リカルド様という若き辺境伯に、期待する声も多かっただろう。それを側でサポートしてくれるユーリ様という存在もいた。
リカルド様も失踪などせず、初めからここで辺境伯としてやっていく道もあっただろう。なぜ彼は逃げてしまったんだろうか。
(でも、もしリカルド様が失踪していなかったら……私はリカルド様の妻になっていたのかしら?)
今考えるべきは、この魔獣の襲来を乗り切ること。それが最優先であると頭では分かっている。それでも、気付くと無意識にユーリ様やリカルド様のことを考えてしまっている。
地下のシェルターは上の階とほとんど変わらず、すぐにでも人が住めるような造りになっていた。明かりを灯せば、簡易的な椅子やベッドなどが各スペースに設置されているのが見えた。調度品などはさすがに置いていないので、上と比べると少し殺風景に感じる、という程度だ。
「奥様、お疲れではないですか? お茶を準備しましたのでこちらへどうぞ」
「こんな時にお茶を……? ウォルター、私に気を遣わないで大丈夫よ。割と過酷な環境でも耐えられるの。慣れてるから」
「いいえ、私たちは奥様が安全で快適に過ごせるように、厳しく言いつけられていますので」
周りにいるメイドたちも、ウォルターの言葉にうんうんと笑顔で頷いている。
「……もしかして、ユーリ様にそう言われたのですか?」
「そうです。使用人たち一同集められ、厳しく言われています。奥様が遠慮なさると、私たちが叱られてしまいます。どうかゆっくりなさってください」
「でも、初め使用人の皆様は私のことを避けていらっしゃったし……なんだか申し訳ないです」
ウォルターは一瞬目を丸くして驚いたが、クスクスと笑い始めた。
「使用人が奥様に近付こうとしなかったのには、理由があるんです」
「理由?」
「元々ロンベルクへ嫁いでいらっしゃるのは、ソフィ・ヴァレリー様だと聞いていました。実は使用人一同、ソフィ様に嫌がらせをして追い出すつもり満々だったんです」
「お、追い出す!?」
「ええ、そうです。でも、いらっしゃったのはソフィ様ではなく、リゼット様でした。使用人たちが間違ってリゼット様に嫌がらせをしないよう、ユーリ様が使用人の屋敷立ち入りを制限したのです」
「ユーリ様が……?」
(だから使用人たちがほとんどいなかったの?)
「でも、それなら私に嫌がらせはしないよう改めてみんなに伝えてくだされば、それで良かったのに……」
「その通りですね。ユーリ様は、奥様がここにずっと居てくださるのかどうか、自信がなかったのでしょう。それに、かかわる人が多ければ多いほど、ユーリ様がリカルド様の身代わりになっていることも隠せなくなってきますから」
私の前にお茶を置いてくれたメイドも続ける。
「奥様はとても怖い人だって聞いていたから……当初、失礼な態度で申し訳ありませんでした。でもユーリ様と一緒にお食事をされたり、お掃除しているところをたまたま見て……奥様は怖くないんだって分かりました」
「……お掃除しているところ、見られてしまったのね」
ここが薄暗い地下で良かった。多分、今の私の顔は恥ずかしさで真っ赤になっているに違いない。大丈夫だろうか、掃除をしながら鼻歌を歌ったりスキップしたような気もするのだけど……。
「私たち使用人は、奥様にロンベルクに残ってほしいと思っています」
「えっ……?」
「私たちには詳しい事情は分からないですけど、大声で歌って踊りながらお掃除してくれる貴族の奥様なんて、他に絶対いないもの! 私たち、みんなリゼット奥様にお仕えしたいと思っています!」
(……やっぱり、歌ってたの見られてたのね。しかも私、踊ってた?)
本当の妻でもなんでもない私のことを気遣う必要はないのに、ユーリ様はいつも私を守ろうとする。彼に近付けば突き放すくせに、離れていても彼の優しさを感じる。
私だって、本当はここに残りたかった。でも、リカルド様の妻になることはできない。
みんな、ごめんなさい。
私はもう決めてしまった。
ロンベルクを離れて王都に戻り、お母様を守る。そしてすべて片付いたら――私は、リカルド様との離婚を申し出るつもりだ。




