30.森の中で ※ユーリside
ロンベルクの森に入って数日。
街に魔獣が出て行かないようにするため、騎士団を横に分散して森の中心部近くまで来た。念のためもう一度、湖の浄化も終えた。
木々の根が複雑に入り組んだこの森では、馬を全力で走らせることはできない。一歩ずつゆっくりと隊を進めて行くのがもどかしくて、残った魔獣を探しながら、つい歩を急いでしまっている。
リゼットを屋敷に残し、辺境伯夫人としての責任まで押し付けて飛び出してきた。俺はどこまで彼女を利用する気なんだ。彼女に早く真実を伝えれば良かった。でも言えなかった。
リゼットはリカルド・シャゼルの妻だ。
リカルドは失踪したが、リゼット一人だけで結婚式が執り行われた。リゼットにとって、俺は赤の他人。俺がリカルドの身代わりに過ぎないのだという真実を知った彼女が、俺と一緒にいる理由なんて一つもない。
彼女は今頃、俺に腹をたてているだろうか。
何も告げずに騙し続けた俺を軽蔑しているだろうか。
ソフィにしようとしていたように、リゼットに辛くあたればよかったのか?
いや、もしもそれで彼女が離婚を希望して王都に戻ったらと考えるとぞっとする。王都に戻れば、リゼットにはまた辛い日々が待っている。使用人室で一人、隙間風と鍵のない恐怖と戦わなければいけない。なんとかして彼女をロンベルクに留めたい一心で、曖昧な態度をズルズルと続けてしまった。
そんな俺の中途半端な態度が、更にリゼットを傷つけた。
「……ユーリ!」
背後から、カレンの声がした。
「待って、急ぎ過ぎよ! 誰も付いて来れていないわ」
「すまない、ちょっと気が急いていた。ペースに気を付けるよ」
「そうね。魔獣が現れてから、もう二週間は経ってる。この場でいきなり魔獣が飛びかかってきてもおかしくない状況なのよ。気を付けて」
カレンは、俺の馬の後ろにピッタリとついてくる。少し進むペースを下げたので、カレンの後方に騎士団たちの影も見え始めた。
「ねえ、ユーリ。リゼットさんに本当のことを話したんでしょ?」
「……全部話した。リカルドの失踪のことも、俺が本当はただの身代わりだったことも」
「リゼットさんも分かってくれていると思うわ」
「何を?」
「このまま貴方と関わっていたら、どんどん貴方のことを追い詰めてしまうって。リゼットさんのせいで、ユーリの罪悪感が増幅してしまうって」
「……カレン、お前いい加減にしろよ。誰が追い詰められるって?」
カレンの気が変わったのはなぜだろう。
確かに昔――もう五年以上も前の話だが、俺がカレンのことを好きだった時期もあった。騎士学校の同期として毎日顔を合わせていたし、あの頃はリカルドの尻拭いを二人で必死にやっていたから、勝手にカレンのことを同士のように思っていたのだ。
でもその時、カレンは俺ではなくリカルドを選んだ。
もちろんその時はショックだった。でも同時に納得もした。
そうだよな、俺とリカルドの二人が目の前にいたら、誰だってリカルドを選ぶ。そう思って俺は身を引いた。
五年前の俺にとって、カレンは恋愛の相手というよりも戦友だった。自分と同じように、リカルドから迷惑を被っているカレンのことを、放っておけなかったのだ。戦友として。
リゼットと出会って初めて分かった。『目の前で困っている人を助けよう』と言う気持ちと、『たとえ目の前にいなくてもいつもその人のことを助けたい』という気持ちは別物だ。
あれから五年も経って、なぜカレンが俺のことを好きと言い始めたのか分からない。こうして俺との距離感を詰めてくる意味も分からない。
しかも、今のカレンは俺への好意というより、リゼットを責めることに気持ちが向いているような気がしてならない。
「魔獣のことにケリがついたら、二人で一緒にロンベルク騎士団から出よう? 別の騎士団に仕官して、ここから離れるの。私はあなたについていく。もう二度とあなたに、悲しい目や辛い思いはさせない」
「カレン。それじゃまるで俺がカレンと離れて悲しい思いをしたみたいに聞こえる。前も言ったが、昔の話を蒸し返さないでほしいんだ。俺はこれからリカルドがちゃんと仕事ができるようにサポートしなければいけない。リゼットとも約束した」
「だから、なんであなたがリゼットさんのために自分を犠牲にしないといけないの あなたの人生はあなたのもの。ほかの人に遠慮する必要ない」
「犠牲だなんて思ってない!」
カレンの「犠牲」という言葉に苛立ち、馬を止めて振り返った。
「俺は自分を犠牲にしてリゼットを守ってるなんて思っていない。俺がそうしたいからやってるんだ」
「あなたがリゼットさんに惹かれてるのは知ってたわ。でも結局はリゼットさんを、リカルドに譲るんでしょ?」
「譲るとか譲らないとか、リゼットは物じゃない」
「でも、貴方は実際に身を引いた。きっと貴方は、リゼットさんのことを心から欲しいと思っているわけじゃないのよ。ユーリは優しいから、リゼットさんの可哀そうな境遇に同情しているだけ」
「……俺が大切に想ってるのはリゼットだ。欲しいものを欲しいと素直に言っていいなら、俺はリゼットにリカルドの妻になれなんて言わなかった!」
苛立ちがあふれて大声でカレンに怒鳴ってしまったその時、カレンの姿の右後方の木々の間から素早くこちらに走り込んでくる何かが目に入る。
魔獣だった。
大きく尖った角をこちらに向けて近付いてくる。
「……カレン、そこをどけ!!」




