29.ユーリからの手紙
騎士団の出発を見送り、私は自室に戻った。
書棚からお母様の花図鑑を取り出し、机の上に置く。
ユーリ様のいなくなった屋敷の中は、ひっそりと静まり返っている。図鑑をケースから取り出す時の小さな音ですら、いつもより大きく響くような気がした。
図鑑を取り出して、空になったケースの中――そこに一通の手紙が挟んである。それをそっと取り出して、封筒の表に書かれた文字を読んだ。「十一月五日」と書いてある。
◇
スミレ色の髪のあなたへ
突然の手紙をお許しください。
先日『アルヴィラ』で、食事に皿に花をのせて誕生日を祝ってもらった者です。
あなたからのお祝いの言葉や気持ちがとても嬉しくて、久しぶりに自分の誕生日を幸せな気分で過ごすことができました。本当にありがとう。
幸せな気持ちで心が満たされていくようで、店を出てからも何度もあなたの姿を思い出しています。一度も二人きりで話したこともないのに、あなたのことを愛おしく思います。
次の誕生日にも、また会えるでしょうか。
あなたの幸せを、遠くから願っています。
◇
「初めから、誕生日は十一月だと言ってくだされば……」
誕生日は五月だと言ったのは、リカルド様としての答えだったのだろう。ユーリ様の本当の誕生日が十一月。それを聞いていれば、大切に持っていたこの手紙の差出人がユーリ様だと分かったはずだ。
私が花を好きなことも、エディブルフラワーのことも、ユーリ様はすべて知っていた。
そしてこの手紙に、私のことを「愛しい」と書いてくれている。
この手紙は昨年もらったものだ。少なくともこの時には、ユーリ様も私のことを愛しいと思ってくれていたのだ。
それなのに、いつの間にか彼の気持ちは変わり、話したこともなかった私のことは忘れさった。そして今はカレン様のことを……。
『あなたが私のことを好きだって言ってくれた』
カレン様がユーリ様に言っていた言葉が、その証拠だ。
すれ違いが悔しくてもどかしくて、私はユーリ様からの手紙を胸にあてて大きく息を吐いた。
気持ちを切り替えよう。この屋敷のみんなを守るのとは別に、私にはやらなければいけないことがある。私はデスクの上のペンを取り、グレース宛の手紙を書き始めた。
◇
グレースへ
いつもお母様の様子をお手紙で教えてくれてありがとう。お母様が眠り続けている理由が、分かるかもしれません。近いうちに一度ヴァレリーの屋敷に戻ります。あなた以外にお母様の部屋に入る方がいれば、記録を残しておいてください。
リゼット・シャゼル
◇
グレース宛の手紙をウォルターに預け、騎士団の戦闘準備を屋敷の窓から眺める。
魔獣が現れたのは約二週間前のこと。被害に遭った人の通報が遅れたことで、騎士団の派遣も魔獣出没から二週間後となり、後手に回ってしまった。もしかしたら魔獣は既にロンベルクの森を出て、私たちのすぐ側まで迫っているかもしれない。
日が落ちて暗くなってきた廊下に、ウォルターが明かりを灯した。
「奥様、ここの者たちは有事の対応に慣れております。ですからご心配なく」
「ウォルター、ありがとう。この屋敷の中で、私が一番緊張しているかもしれないわね」
「よくお眠りになれますように、後ほどラベンダーのお香でも焚きましょう。ああ、そうだ。毒は入っていませんのでご安心を」
ウォルターのブラックジョークに、私は苦笑いだ。




