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3.食堂『アルヴィラ』


 結婚してこの家を出るなら、挨拶をしておかなければいけない人がいる。

 それは、ヴァレリー伯爵家の屋敷から少し離れたところにある、食堂『アルヴィラ』の店主のおばあちゃんだ。


 一年ほど前、食材の買い出しのために私が一人で街に出た時のこと。急な雨に降られ、雨宿りのために軒先を貸して頂いたのが、その食堂だった。それがご縁でおばあちゃんと仲良くなり、私は時々お店で給仕の手伝いをするようになったのだ。


 庶民向けのこじんまりした食堂で、安くて美味しいおばあちゃんのお店はいつも大繁盛。


 街の人ももちろん来るけれど、王国の騎士団の方が大勢で訪れることもあった。騎士様はたくさん体力を使うからか、それはそれはたくさん注文してくれるから、そんな日は大忙し。どのテーブルにどの料理を出すのか分からなくなって間違えたりもしたけど、おばあちゃんはそんな私のことをいつも優しく許してくれた。


 屋敷にいると何かにつけてお父様から、お母様を侮辱する言葉を聞かされる。心が耐え切れなくなるといつもこの『アルヴィラ』に来て、おばあちゃんのお手伝いをして気を紛らわせていた。


「おばあちゃん、私結婚することになったの」

「あらまあ、リゼット。それはおめでとう! 旦那様はどんな方なの?」

「それが、すごく遠いところに住む方なの。ロンベルク辺境伯領って知っているかしら?」

「まあ、そんな遠くに……でもね、リゼット。この『アルヴィラ』という店の名前は、ロンベルク領にちなんでつけたのよ」


 おばあちゃんはそう言うと、私の不安を和らげるように優しく微笑んだ。

 ロンベルクに広がる森の奥には、美しい湖があるらしい。その湖の周りにだけ生える『アルヴィラ』という花を、店の名前にしたという。


「素敵! 私ロンベルクに行ったら、その花を探しておばあちゃんを思い出すわ」

「そうだね。私もリゼットのことは絶対に忘れないよ。必ず手紙を書いておくれ」


 こらえきれずに泣き始めてしまった私の背中を、おばあちゃんがポンポンと叩いて抱き締める。美味しそうなパンの匂いが染みついた洋服に顔を埋め、私もギュッと抱き締め返した。


「この店のお客さんたちも、みんなリゼットのことが大好きだったからねえ。離れるのは残念だけど、みんなリゼットの幸せを祈っているよ」


 おばあちゃんは私が伯爵令嬢だということも知っている。お母様が寝たきりであることや、私が家族にどんな扱いを受けているのかということも。使用人室で暮らしていて満足に食事も与えられないことを知って、私にアルヴィラでまかないを出してくれることもある。


 こうして深く聞かずにロンベルクへ送り出してくれるのは、きっと、私の結婚が幸せなものじゃないことを、薄々気付いているからかもしれない。私の口から辛い内容を説明しないで済むように、何も聞かず静かに見送ってくれているのだ。


 おばあちゃん、ありがとう。

 私、おばあちゃんのことを思い出しながら頑張って生きていく。ここで出会った大切なお客様との出会いも、一生忘れない。


 また会える時まで、元気でいてね。


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