28.カレンとリゼット
ロンベルクの森へ入る騎士団の準備が整い、あとはユーリ様の号令ひとつで出発というところまできた。森へ入る騎士と街に残る騎士のグループに分かれ、声をかけあってお互いを鼓舞し合っている。
(王都の食堂で平和に働いていた頃とは、世界が違うのね……)
ロンベルクは、魔獣から国を守る盾となる地。
いつ命を落とすことになるか分からない、緊迫した世界なのだ。
その恐ろしい世界から逃げたかった、リカルド・シャゼル様の気持ち。
そして、リカルド様の身代わりであるにもかかわらず、責任を持って自ら森に突入しようとするユーリ様の気持ち。
どちらの気持ちも理解できる。しかし、比べてしまえば、リカルド様よりもユーリ様のほうが正義に見えてしまう。裏を返せば、ユーリ様がご自分のことを蔑ろにしているということなのだけど。
実のお母様を亡くし、異母兄たちの中で肩身の狭い思いをしながら育ったユーリ様。彼はきっと、自分の誕生日など誰も祝ってくれないと卑屈になりながらも、リカルド様の存在に救われてきたのだろう。
自分の存在価値よりも、リカルド様への恩義が生きる支えになっているのではないだろうか。だからこそ、ユーリ様はこの魔獣との戦いで、簡単にご自分の命を投げ打ってしまうのではないか――と不安に思ってしまう。
ユーリ様のことを大切に想っている人はたくさんいるのに、ユーリ様はそれを知らない。
(私だって、ユーリ様のご無事を心から願っている……)
ユーリ様と騎士団の皆様が、無事に戻って来ることを祈ろう。
そして、私はここで万が一の時に備える。
有事の際、屋敷に残った騎士たちは、ロンベルクの街の人々を避難させて守ることになる。屋敷の使用人たちを守るのは、私の役目だ。
大きな掛け声を交わし合う騎士団の姿を見つめながら、自然と私の手にも力が入る。
ふと視線の先を変えると、私のことを遠くから見つめる目があった。
視線の主はカレン様だ。目が合うと、彼女はまっすぐにこちらに歩いてきた。私は思わず、ユーリ様の目の届かない、建物の柱の陰に身を隠す。
ユーリ様の正体に衝撃を受けたけれど、私の心には、カレン様のこともずっと引っかかっていた。てっきりカレン様は、リカルド・シャゼル様と恋仲だったのだと思っていた。昨日、ユーリ様とカレン様の話を盗み聞きするまでは。
(カレン様は、リカルド様じゃなくてユーリ様のことを好きだったなんて……)
それに、私の聞き間違いでなければ、ユーリ様のほうもカレン様のことを好きだったと言っていた。私はきっと、想い合う二人の間にズケズケと入り込んでしまったのだ。そしてユーリ様も身代わりとしての役目を果たすため、私に優しく接した。カレン様という心に決めた方がいながらも。
「リゼットさん」
「……はい」
カレン様は私の近くまで来ると、体の前で両手をそろえて頭を下げた。
「昨日は変なお話を聞かせてしまってごめんなさい!」
「……いいえ、私こそ立ち聞きのような真似をして申し訳ありません」
カレン様はゆっくりと顔を上げた。彼女の口は一文字に固く結ばれ、何かの意思に燃えているようだった。
「ユーリから全部聞いたでしょう? 彼と一緒になって、あなたに全てを黙っていてごめんなさい」
「いいえ……」
この身代わり結婚の当事者は、私とユーリ様だ。カレン様には関係ない。だからカレン様が真実を黙っていたことに対して怒る気持ちはない。
彼女の謝罪に対してどう反応したら良いか分からず、それ以上何も言葉が出てこなかった。
「リゼットさん。どうか、ここからは私に彼を任せてください。彼を自責の念から解放してあげてください」
「自責の念……ですか?」
「ユーリはリカルドの尻拭いで、身代わりをやらされていただけなんです。決してあなたを騙したくて騙したんじゃない。でもあなたが近くにいれば、ユーリはずっとあなたへの罪悪感で自分を責め続けると思うわ。私はユーリと幼馴染だし、彼のことはよく分かっているつもり。彼はもっと自分を大切にすべきなの」
「ええ、そうですね」
カレン様は私に、「ここを去れ」と遠回しに伝えようとしているのだろう。
シャゼル家の希望は一つ。ヴァレリー家側から離婚を言い渡し、ロンベルクから去ること。
ユーリ様がそれをしなかったのは、私がヴァレリー家に戻れば、ソフィやお父様に嫌がらせをされる日々が待っていると知っていたからだ。このロンベルクでリカルド様の妻として暮らしていく方が幸せだと思ったから。
(……だからと言って、ロンベルクに残って本物のリカルド様の妻になるなんて、私がそんな気持ちになれるわけがないわ)
カレン様の言う通り、私はヴァレリー伯爵家に戻るべきだ。
まずは辺境伯夫人として屋敷のみんなを守る。魔獣の件が落ち着いて、皆の無事を見届けたら、ここを去ろう。
「カレン様。お気をつけて。皆さまの無事をお祈りしております」
「ありがとう。じゃあ行くわね」
私はカレン様の背中を見送り、柱の陰から出て騎士団の姿をのぞく。
遠くにいるユーリ様と目が合った。
しばらくそのまま私を見つめた後、ユーリ様は剣を高く振り上げて大声で号令をかけた。その声に合わせてロンベルク騎士団は森へ消えていった。




