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2.身代わり花嫁


 私――リゼット・ヴァレリーが、妹の身代わりとしてロンベルク辺境伯に嫁ぐことが決まったのは、三カ月ほど前のことだった。


「お姉様! 私の代わりにリカルド・シャゼル様に嫁いでくれますわよね?」

「……あなたの代わりに、私が結婚ですって?」


 義妹であるソフィは満面の笑みで何度も頷き、その場でピョンピョン跳ねてご機嫌だ。私に結婚を押し付けて喜ぶなんて、もしかしてお相手がお気に召さない方だったのかしら?


 椅子に腰かけて、私たちのやり取りをしばらく静観していたお父様が、口を開く。


「元々はソフィを娶りたいという話だったのだが、仕事もロクにせず女遊びばかりしていると悪評高い辺境伯にソフィはもったいないだろう? それに比べてお前は、あの浮気者の母親が産んだ娘だ。お前こそ奴にお似合いの相手じゃないか」

「お父様、お母様は浮気などしていないと何度申し上げれば……」

「黙れ!」


 激しく怒るお父様。こうなると、もう止められない。

 私はそれ以上反論するのを諦めて、口をつぐんだ。



「お姉様、ロンベルク領はとても寒いらしいわ。風邪をひかないように気を付けてね! ……あ、お姉様は隙間風には慣れっこだから、心配は無用かしら?」

「この結婚は国王陛下のご命令だ。口が裂けても離婚したいなどと言うなよ。お前が下手に離婚して悪評が立り、ソフィの将来にまで傷を付けることは絶対に許さん!」


 滝のように浴びせられる罵倒の言葉の数々。

 こんな状況に慣れ過ぎていて、私が彼らの言葉に傷つくことはもうない。

 お父様や妹から遠く離れたロンベルクに行けば、この罵詈雑言から逃れられて、逆に幸せになれるかもしれないという考えが頭を過る。


 でも、私にはここを離れられない理由があった。



「お父様! 私がここを離れたら、お母様の看病はどうなるのですか? お母様の看病やお世話が疎かになるようなら、私はロンベルクに行くことはできません」

「……アマンダのことは心配いらん。これまでどおり医者も往診に来るのだから。しかし、お前がロンベルク辺境伯との結婚に失敗するようなことがあったら、その時はどうなるか分からんぞ」

「お父様、それではまるで人質のよう……」

「うるさい!!」


 何を言っても、今のお父様には通じない。


 お母様の看病をきちんと約束してくれるのならば……私はソフィのため、身代わり花嫁としてロンベルクへ向かおう。ここで私が抵抗したところで、お父様の意思が変わることはないのだから。



「分かりました、ロンベルク辺境伯へ嫁ぎます。どうか、お母様の看病や診察が疎かにならないようにお願いします。それと……」

「まだ何か条件を付けるというのか!」

「……ヴァレリー家の家名に傷がつくようなことは致しません。お母様の看病のために、元々私の侍女だったグレースをつけていただけませんか?」


 幼い頃から私の侍女をしてくれていたグレースなら、私がいない間も安心してお母様を任せられる。お母様に何かあれば、きっと守ってくれるはず。お父様とソフィにだけ任せるわけにはいかないもの。



「分かった、そうしよう」

「……ありがとうございます。それでは失礼します」


 必ずお母様のことを頼みますと念押しし、私は部屋を出た。



 お父様がお母様のことを『浮気者』だと誤解しているのは、私の髪の色のせいだ。お父様もお母様も混じり気のない銀髪なのに、生まれた私の髪が菫色(すみれいろ)だったから。

 私のことを実の娘だと信じられなかったお父様は、お母様に辛くあたった。そんな中、お母様は数年前に体調を崩し、意識不明の寝たきりとなってしまった。今ではまるで眠っているように、ベッドに横たわっている。


 お父様は以前から、使用人のシビルという女性を愛妾としていた。そのシビルが生んだ子が、銀髪の妹ソフィだ。


 さすがに本妻のいるヴァレリー家で、ソフィを産んで育てることは難しかったのだろう。シビルは故郷に戻って出産した。そして、お母様が寝たきりの病になったのを知って彼女たちは王都に戻り、再びこの家で暮らすようになった。


 シビルはまるでヴァレリー家の女主人のように振る舞い、ソフィはお父様の養子となった。

 私は自室を追い出され、今は使用人部屋の一室で生活している。


 この家は、妹のソフィを中心に回っている。

 妹を溺愛しているお父様に反抗したところで、結果は何も変わらない。


 今回の縁談だって、きっと妹は深く考えず、「何となく嫌だ」という程度の理由で断っているのだろう。少しわがままを言えばお父様はすぐに聞き入れてくれるので、妹はそれをいいことに自由奔放に生きている。


 ロンベルク辺境伯との縁談なんて、伯爵家の我が家からすれば身に余る話だ。

 しかし、結婚のお相手が無類の女好きであるという噂を、ソフィは聞き流せなかったのだろう。


 私は元々、誰とも結婚する予定はなかった。この息苦しい場所を離れられるなら、今より悪くなることは無い気がする。お母様のことを除いては。


 自分の使用人部屋に戻った私は扉を閉め、側に置いてある椅子を扉の前に移動させた。

 

 以前、私の部屋だった場所は、今はソフィの部屋になっている。

 元気だった頃のお母様との思い出が詰まったものはほとんど、私が部屋を追い出された時に勝手に処分されてしまった。お母様はどうせ目を覚まさないのだから不要だろうという、お父様からの指示だった。


 私が初めてこの使用人部屋に来たとき、予め部屋の鍵も窓の鍵も壊してあった。鍵を直したところで、どうせまたすぐに壊される。だから、誰かが夜中に部屋に入って来ないよう、毎日こうして扉の前に棚や椅子を移動させておくのが日課になった。


 伯爵家の娘なのに使用人部屋に住み、働きながらなんとか日々の生活を送る私。

 傍から見れば不幸な令嬢かもしれない。だけど、この生活を始めたからこそ気付いたこともたくさんある。今となってはむしろ、ここに来て良かったとさえ思っている。


 伯爵家の中に住まわせてもらっているから、お母様の診察にも立ち会えるし看病だってできる。


 ソフィに嫌がらせをされることも多かったけど、買い出しと称して屋敷の外に出て気分転換したり、街の人とお友達になったりして、今の生活はそれなりに楽しい。


 でも、ここでの生活ももう終わり。

 ロンベルクは私にとって、新しい故郷になってくれるかしら?


 次の日の朝、まだみんなが寝静まっている時間に、私はひっそりとお母様の寝室に寄った。

 今にも目を開いて私に笑いかけてくれそうな、美しい寝顔のお母様。


(お母様、大丈夫よ。グレースがしっかりお母様の看病をしてくれる。私はロンベルク辺境伯に嫁ぐけれど、遠くからお母様のことをいつも思ってるわ)


 白くて長いお母様の指を撫でながら、私の目からは涙がこぼれ出ていた。


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