１８．水いらずの仮初夫婦
「旦那様、お仕事がお忙しかったのではないですか？ お食事を執務室に運んでもらうこともできましたのに」
「ああ、別に仕事をしていたわけではなく、着替えたり道に迷っ……いや、せっかくアルヴィラを一緒に摘んだから、夕食くらい共にしたいな……と……」
相変わらずモゴモゴと狼狽えながら話す旦那様。どんな話題なら、笑顔を見せてくださるだろう。運ばれてきた食事をいただきながら考えを巡らせる。
ロンベルクに来てから、旦那様と食事を共にするのは初めてだ。旦那様が一体どういう会話を好むのか見当がつかない。当たり障りのない話題でも振ってみようか。
顔を上げると、花瓶に生けられたアルヴィラの花が視界に入った。
「……実は、王都に『アルヴィラ』という名前の食堂があるんですよ」
店主のおばあちゃんの話でもしようかと、私は話題を振った。
「ああ、知っている」
「えっ！ 旦那様も『アルヴィラ』をご存じなのですか？」
「ロンベルクに来る前は王都で生活していたし、『アルヴィラ』にも行ったことがあるんだ」
……驚いた。
旦那様が、あの食堂に行ったことがあるなんて。
旦那様は口元をナフキンで拭うと、照れくさそうな顔をして目を泳がせた。
「……だから、そのアルヴィラでリゼットの姿を見かけたことがある」
「私を？」
「そのスミレ色の髪が印象的だったし、それに、その……一生懸命働く姿はとても可愛い……いや、熱心に働く子だなと思って覚えていた」
旦那様はそう言い終えると、顔を真っ赤にして再びナイフとフォークを取った。
（私が王都の食堂で給仕の仕事をしていたのを、ご存じだったなんて……！）
「旦那様、もしかして私のことを『愛するつもりはない』と仰ったのは、それが原因でしょうか？ 伯爵家の娘と結婚したはずなのに、食堂で働いていた娘が来て驚かれたのでは？」
「それは違う！」
旦那様は声を上げて立ち上がった。勢いで椅子が後ろに倒れ、テーブルの上にあったナイフとフォークも床に落ちる。大きな音に驚いたウォルターが、何事かと慌てて駆けつけた。
旦那様は我に返ったようにハッとして、咳払いをしながら座り直す。
「リゼット、誤解を与えるようなことを言ってすまなかった。あの夜の俺の言葉で、君を傷つけたと思う。詳しくは言えないが、決して君が悪いわけではない。どちらかと言うと俺の都合だ。だから、傷つかないで欲しい……」
「旦那様……」
「俺がこんなことを言えた立場ではないことは分かっている。だが、本当に君は何も悪くないんだ」
そう言って、旦那様は深々と頭を下げた。
「旦那様、顔を上げてください。何かご事情があるのは分かりました。私は気にしていません」
「しかし……」
「あっ、そうだわ！ せっかくの夕食ですから何か楽しいお話をしましょう！ 私、アルヴィラを食べてみようかと思うのですが」
ロンベルクの森の、あれだけ澄んだ湖のそばに咲いていた花だ。
魔獣を浄化することのできる水で育ったなら、毒性もないだろう。
「君がアルヴィラを!? ちょっと待て、先に俺が食べる。それで明日まで何事もなければ、次は君が明日の夕食に食べてみればいい」
「……旦那様、それはもしかして、明日も夕食をご一緒してもいいということですか？」
私の言葉に驚いた旦那様が、目をまんまるにしてこちらを見る。ご自分で明日の夕食の話をしたくせに、自分の言葉に驚いているみたいで、なんだかおかしい。
「……君さえよければ、明日も夕食を共にしよう」
「ありがとうございます。さあ、旦那様。アルヴィラを召し上がって下さい。私ちゃんと見てますから」
旦那様は頷いて、アルヴィラの花を一輪手に取った。花びらを一枚ちぎって、恐る恐る口に入れる。
「いかがですか？」
「うん……まあ、味はない」
怪訝な顔でモグモグしている旦那様が可愛くて、私はつい笑いが堪えられず吹き出した。
この時の私たちは知る由もなかった。
このアルヴィラを食べたせいで、翌朝、旦那様に異変が起こってしまうなんて。
