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14.初めての外出

 旦那様と初めて会った夜、彼は私に言った。


「君のことを愛するつもりはない」


 結婚式に現れず、初夜にそんな言葉を言い残して私の目の前から去った旦那様。


(それなのに……)


 今朝、私は旦那様の案内でロンベルクの森に入ることになっている。旦那様が私を一緒の馬に乗せてくれるそうだ。嫌っている政略結婚の相手を、わざわざ自分の馬に乗せるなんて、旦那様も不快に感じられるのではないだろうか。


 二つ返事で「ロンベルクの森に行きたい!」と返事をしてしまって、旦那様には悪いことをした気がする。今からでもお断りしようかと、馬を連れてきた旦那様に駆け寄った。


「旦那様! おはようございます。あの、もしも旦那様が大変なようでしたら、私は森に入るのを遠慮しようかと……」


 私がすべて言い終わる前に、旦那様は私に手を差し出す。

 その手の上には、いつものスミレがのせられていた。


「スミレ……! 旦那様、今朝もスミレを摘みに行ってくださったのですか?」

「今から出かけるというのにすまない。つい、いつものクセで……」

「ありがとうございます! 嬉しいです。では、これは押し花にしますね。実はアルヴィラを探すために、花の図鑑を持ってきたんです。ここに挟んでおきます」


 王都から持ってきた、母が大切にしていた花図鑑。

 表紙を開き、スミレの花を三輪並べてそっと閉じる。花の香りがふんわりと漂い、私は目を閉じてその香りを胸いっぱいに吸い込んだ。満足してゆっくりと目を開けると、旦那様も笑顔を見せている。


「まあ、旦那様も花がお好きなのですね。普段、そんな笑顔をなかなか見たことがないので新鮮です」

「…………行くか」


 旦那様は照れくさそうに、私に背を向ける。こんな純粋な反応を見ていると、旦那様が女の人を取っ替え引っ替えしているようには思えない。人というのは、見た目では分からないものだ。


 私たちは馬の横に並んで、ほかの騎士たちと待ち合わせをしている訓練場に向かって歩き始めた。


 ……はずだった。



「旦那様」

「……なんだ」

「もし違ったら大変失礼なんですが、道に迷ってませんか?」

「……」


 やっぱり。

 先程から同じところを行ったり来たり、変な道に入ったと思ったら引き返す。

 私もこの屋敷で頻繁に道に迷うから、気持ちはよく分かる。


 旦那様は今、迷子になっている。

 ご自分の屋敷なのに……? なぜ?


「あ、いたいた! こっちよー!」


 遠く背後から、女性の声が聞こえる。振り返ると、昨日お会いしたばかりのカレン様と、もう一人男性騎士が手を振っていた。


 迷子だった私たちは、カレン様の案内で無事にロンベルクの森に向けて出発した。先導するのは男性騎士のハンス様。続いて旦那様と私、最後尾はカレン様だ。

 旦那様との距離は今までにないほど近い。馬が歩くのに合わせて、私の背中と旦那様の胸や腕が時折触れる。その度に旦那様はビクッとして体を離す。


(よっぽど私のことが嫌いなのね……)


 厚着をしてきたけれど、それでも森の中は肌寒く感じる。旦那様の体の熱が温かくて心地良い。せっかくの背中の温もりが、触れた瞬間すぐに遠のくのを寂しく感じ、私は振り返って旦那様の顔を見上げた。すると、旦那様の鼻からつうっと赤いものが……!


「旦那様!? 鼻血が出ていませんか?  少し休みましょう!」

「へっ!? 鼻ッ……!」


 旦那様の冷たかった第一印象が、一緒にいればいるほど崩れていくように思うのは、気のせいだろうか。私の声を聞いたカレン様の馬が、すぐにこちらに駆け寄ってくる。旦那様も手綱を引いて馬を止めた。


「……リカルド、 大丈夫? 馬を私が繋ぐから、これをどうぞ」


 カレン様が、鼻血を拭くための手巾を旦那様に手渡した。さすが騎士様、緊急時の対応にとても慣れていらっしゃる。


 道中、この森の中にはところどころ、火で焼かれた跡が生々しく残っていた。しかし奥に進むにつれ、そんな戦いの跡も目につかなくなっていった。既にかなり森の奥までやって来たが、この辺りはかつて魔獣が住み着いていたとは思えないほど穏やかで、空気も澄み、神聖な空気が漂っている。


 こんな静かな場所で、ロンベルク騎士団が魔獣と戦っていたなんて、信じられない。


「カレン様、この森に住む魔獣はすべて死んでしまったのですか?」


 側にいたカレン様に声をかける。


「すべてではないわ。もう少し先へ行くと湖があるのだけど、その湖の水で最後に残った魔獣たちを浄化することができたの。魔獣を全滅させるのはさすがに気が引けてね。魔獣と言っても、元は普通の動物だった子だから」

「そうなんですね。時々森に様子を見に来ているのですか?」

「そうよ。浄化された動物たちが、再び魔獣化せずに暮らしているかを見守っているの。いつもはもう少し大所帯で来るのだけど、今日はリカルドが、気心しれた私たちだけで行きたいって言うものだから」

「そうですか、旦那様が……」


 少し離れたところにいる旦那様は、ハンス様と談笑している。

 鼻血もすぐに止まったようで良かった。こんなに肌寒いのに、なぜ鼻血なんか出たんだろう。


「ところでリゼットさんは……リカルドのこと、どう思っているの?」


 カレン様が小声で尋ねてくる。


「どうもこうも、特になくて……」

「えっ? 好きとか嫌いとか、男性としてどう思うか、とか」

「実は、旦那様とはほとんどお話したことがありませんので……。それに旦那様は、ほかにたくさんお相手がいらっしゃるかと」


 ……私ったら。

 少し嫌味だったかしら。


 だって、仮初の妻の私よりも、カレン様のほうがよほど旦那様のことを知っているはずだもの。


「……そうなんだ。リゼットさんは、別にそれでいいの?」


 このままでいいのか、嫌なのか。

 私に選択する権利などない。


 この世で一番大切なお母様を守るため、私はここに来ざるを得なかった。旦那様だって、国王陛下の命である結婚相手を断れなかった。私たち二人の関係は、それ以上でもそれ以下でもない。

 自分の意思とは関係なく勝手に決められた結婚のために、旦那様に「浮気をしないでほしい」なんて頼むことはできない。


 結局私は、カレン様からの問いに答えることができないまま立ち尽くしていた。

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