１３．律儀さと冷たさ
扉を開けると、そこに立っていたのは旦那様だった。サロンに来た時と同じ服装をしているところを見ると、カレン様と別れたその足で私の部屋まで来たようだ。
「どうなさいましたか？ カレン様は……」
「カレンは異動の挨拶に来ただけだったから、もう帰った」
「そうですか」
続く沈黙。
……なんでここに来たの？
「旦那様、何か私に御用でしたでしょうか？」
「いや……あの、部屋に入ってもよろしいですか」
「え？ はい、どうぞ……」
なぜかまた丁寧語になっている旦那様を部屋の中にお通しして、汗を拭けるようにタオルを渡す。私の部屋に来るだけで、こんなに息が切れて汗だくになることはあるだろうか？ まるで、私と同じように屋敷の中で道に迷ったあとのような……？
「ありがとうございます」
彼は小さく御礼を言ったあとしばらく沈黙し、やっと本題に入った。
「先ほどは、カレンが大変失礼した。彼女は何か変なことを言っていなかったかな？ 例えば、俺のこととか」
「変なことと言いますか、お二人の、過去の関係性について？ その、あの……」
（もう！ なんと言えばいいの？ あなたたち恋人同士だったらしいじゃないですか、とでも言えばいいのかしら？）
旦那様への返答に困った私は、しばらく考えてなんとか回答をひねり出した。
「……とても親密なご関係だったとお聞きしました」
「誰が!?」
「旦那様と、カレン様ですけど？」
「旦那様と言うのは……リカルド・シャゼルのことだな？」
「はい、そうです。あの、何をお聞きになりたいのですか？」
「いやいや、なんでもない。念のため確認したかっただけだ」
旦那様は汗を拭くフリをして、タオルで顔を隠してしまった。お顔は見えないけれど、考えてみればこうして二人で膝を突き合わせてお話するのは初めてだ。
「旦那様、せっかくの機会ですので一つ質問してもよろしいですか？」
「……なんだ」
「毎朝私の部屋にスミレを贈って下さるのは、旦那様でしょうか？」
タオルの中でぶっと吹き出す声がした。
「…………リゼットは、花が好きだろう？ 髪の色もスミレ色だからちょうど良いと思って」
「まあ！ やっぱりそうだったのですね。私はお花が大好きですし、何よりそのお気持ちが嬉しいです。ありがとうございます」
タオルに包まれて、表情が見えないままの旦那様。
私の御礼の気持ちがきちんと伝わっていたらいいけど。
スミレの贈り主が旦那様であることは分かった。過去に恋人同士だったカレン様とも、いまだに距離が近くて親密なのだということも分かった。
でもそれなら、私のことを愛するつもりがないと言いながら、毎朝スミレを送ってくれる……その理由は何？
「……明日」
「え？ 明日、どうかされましたか？」
やっとのことでタオルから顔を出した旦那様。せっかくの綺麗な亜麻色の髪は乱れてボサボサになっている。
「雪解けしたから、明日一度ロンベルクの森に入って調査をしてこなければいけない。明日の朝はスミレを贈れない……申し訳ない」
「え……？」
旦那様の律儀な考え方に、つい笑いがこみあげる。
「ふふっ」
「なっ……何か、俺は変なことを言ったかな」
「いいえ、旦那様は律儀なのか冷たいのかお優しいのか、分からなくておかしくなってしまいました。笑ってごめんなさい」
「……そうか。もしリゼットさえ良ければ、一緒に行くか？」
「私も一緒に、ロンベルクの森へ？」
食堂『アルヴィラ』のおばあちゃんから聞いた、ロンベルクの森に咲くという花のお話を思い出す。おばあちゃんから話を聞いたあと図鑑で調べたところ、アルヴィラの花は早春に咲くと書いてあった。ちょうど今頃の季節ではないだろうか。
「旦那様！ ロンベルクの森には、アルヴィラという花が咲くと聞いたのです。その花を見られるかしら」
「……アルヴィラ？ ああ、あの店の名前はそこから……」
「え？」
「いやいや、なんでもない！ こっちの話だ」
旦那様はまた慌てている。
「アルヴィラの花は、染物に使うそうなんです」
「染物？」
「はい。赤や青などのよくある色ではなくて、銀色に布を染め上げるという珍しい花です。ロンベルクの森にしか咲かないと本で読みました」
長年魔獣が住んでいた、ロンベルクの森。魔獣のせいで人が森に入ることは難しく、アルヴィラの花を実際に見た人はほとんどいないと聞く。そんな伝説の花に出会えるかもしれないと思うと、楽しみでたまらなくなってきた。
「旦那様、もしも足手まといでなければ、私も一緒に連れて行ってくださいますか？」
もちろん、と言いながらも顔を真っ赤にして、旦那様は部屋を出て行った。
（明日が楽しみだわ。もう一度図鑑を読み込んでおこう）
書棚の前で図鑑をパラパラとめくっていると、今度はネリーが部屋に入ってきた。
「リゼット様、なんだか楽しそうなお顔ですけどどうされました？」
「ええ、明日お出かけすることになったの。準備を手伝って！ あと、毎朝スミレを贈ってくれていたのは旦那様だということが分かったわ」
「あら、そうだったんですか！ そんなに嬉しそうになさって……リゼット様はスミレがお好きなんですね」
「スミレはもちろん好きよ、花は全部好き……って私、旦那様にそんな話をしたことがあったかしら？」
数回しか顔を合わせたことのない旦那様に「花が好き」なんてお伝えした覚えはないけど、なぜご存じだったのだろうか。
