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【祝1500PV】君と死ぬために生きてきた  作者: 霜月ルイ
第1章: 心の扉が、溶けていく。
3/28

第3話:まだ壊れてないのが、一番こわかった。


※本話には、家庭内暴力・性的被害・心的外傷・自傷行為など、強い心理的負荷を伴う描写が含まれます。

ご自身の体調やご経験に応じて、どうかご無理のない範囲でお読みください。


**


第3話では、ヒロイン・真白 ましろ・みおの過去が語られます。


美しさという言葉に押し潰され、

家庭という名の密室に“壊されていった”少女の記憶。


これは、完全なフィクションではありません。


書き手自身の記憶の破片と、かつて抱えていた痛みをもとに、

限界まで現実に即して描いています。


どこにも届かなかった声。

誰にも救われなかった夜。


そうしたものを、一つずつ拾い上げて、

少しでも“物語”にしていけたらと願っています。


 私は小さいころから、「綺麗だね」と言われて育ってきた。


 近所の人も、親戚も、学校の先生も、みんなそう言った。

髪は、光に透けるような色をしていた。

肌は白くて、血管がすぐ浮いて見えると言われた。

灰色がかった瞳は、「何を考えてるかわからない」と、大人たちに笑われた。


「澪ちゃんは綺麗な子ね」「お人形さんみたいね」――そう言われるたびに、

私は少しずつ、「人間じゃなくなっていく」ような気がしていた。


 母は、それが気に入らなかったらしい。

私の髪を引っ張って、「色ばっかり薄くて、色素が足りないだけじゃない」と言った。

 

 私がそんな顔をしていたのを見て、母は怒鳴った。

「そんな顔、どこで覚えたの!」


 どんな顔だったのか、私にはわからなかった。

ただ鏡に映った自分は、泣いているわけでも、笑っているわけでもなかった。

何も感じていないような、ただ空っぽな表情だったと思う。


 でも母は、それを見て怒った。


 たぶん――

私が「可哀想なふり」をしているように見えたのかもしれない。


 何もしていないのに、何かを責められているような、

そんな気持ちだけが、ずっと胸に残っていた。


 アイスを買ってもらった帰り道、母は急に黙って歩き出して、私はずっと後ろから追いかけるしかなかった。

鏡を見るたびに思った。

“綺麗”って、誰のためにある言葉なんだろう。

私は、私のままじゃだめだったのに――

どうして“綺麗”だと怒られるのか、ずっとわからなかった。



 父は、あまり喋らなかった。

でも、沈黙の中で、私のことを“見ていた”。

テレビの音が流れるなかで、リモコンを持った手が止まって、

視線だけが私の脚や胸元を、舐めるように往復していた。


 笑っていても、その目は、冷たかった。

あたたかさなんてなかった。

“そういう目”だって、子どもでもわかる。


 父からはよく手が伸びてきた。

撫でるような、確かめるような触れ方だった。

嫌だと言うと、「抱っこしてるだけだろ」と笑った。


 ある日、眠っているときにふと目を覚ましたら、

部屋のドアが、少しだけ開いていた。

風かもしれない。

気のせいかもしれない。

でも――どうしてだろう、朝起きたとき、パジャマのボタンが外れていた。


 母に言おうかと思ったこともある。

でも、言葉が喉まで出かけた瞬間、母が無言で箸を置く音を聞いて、やめた。

見て見ぬふりをするというのは、たぶん、ああいうことなんだと思う。


 それ以来、私は人に近づかれると息を止めるようになった。

触れられることが、ただの「触れられること」じゃない気がして。

優しい声でも、急に冷たく感じるときがあった。


 ある日、夕飯のあと、父が私の髪を撫でた。

「大きくなったな」と言って、笑っていた。

そのねっとりとした笑い方が、私は気持ち悪いと思った。

でも、母はそれを黙って見ていた。


 食器を片づけている途中、母がふいに振り向いた。

目が合った瞬間、空気がきしんだ気がした。


 「男を誘うような目をしないで」


 そう言って、母は私の頬を平手で叩いた。

何も言い返せなかった。

なぜ叩かれたのか、本当にわからなかったから。


 母は続けた。

 

「女ってのはね、自分が女じゃなくなったときに、娘が一番憎たらしく見えるのよ。鏡みたいに、全部こっちに映すから」

 

 そう言いながら、また髪を引っ張った。

私はそのとき、“母は私を女として見ていた”のだと気づいた。


 母が見ていたのは、「娘」じゃなかった。

父の視線を奪う“何か”だった。

だから私は、いつの間にか“敵”になっていた。

あのときの手の平の感触は、今でも左の頬に残っている気がする。

 


 誰かに言ったこともある。

保健室の先生、学童のスタッフ、近所の親戚――

でも、みんな「そんなこと言っちゃだめ」「親御さんは立派な方でしょ」と目を逸らした。

母に告げ口されたときは、髪を掴まれて押し入れに閉じ込められた。


押し入れの中は真っ暗で、埃の匂いがして、私はずっと息を潜めていた。

母の声が遠くで響いていた。

「うちの恥さらし」「誰に似たのかしら」「淫売」

私は、何も答えなかった。

答えたら、もっと悪いことが起きる気がしていた。


 いつからだったか、自分の体の感覚が、わからなくなった。

風が冷たいと思っても、それが寒いのかどうかが分からなかった。

誰かに触れられても、それが優しいのか、汚いのか、判断できなくなった。

 

笑ってるのに、涙が出るときがあった。


 でもそれを誰に言っても、伝わらないと知っていたから、何も言わなかった。

いつからだったか、体の境界がわからなくなった。

誰かに触れられても、それが「他人」なのか、自分なのか、

ただの“何かが動いてる”だけにしか思えなかった。


♢ 


 深夜になると父が私の部屋に来るのが当たり前になった。

それが嫌だったのもあるが、私は家の外に居場所を求めるようになった。

人と繋がっていないと、呼吸が止まってしまいそうだった。

優しくされたいわけじゃない。

大事にされたいわけでもない。

ただ、誰かの体温で、自分のかたちを確かめたかった。


 知らない男の人の部屋に、黙ってついていったこともあった。

何をされても、もう驚かなかった。

怖くなかったし、恥ずかしくもなかった。

ただ、「ああ、まだちゃんと壊れてないんだな」って思っただけだった。


 “好き”って言われると、ぞっとした。

 “可愛いね”って言われると、消えたくなった。


 それでも、自分から求めた。

「このくらいで壊れますように」って、願うように。


ある晩、知らない男に抱きしめられたとき、突然、吐き気が込み上げてきた。

何も言わずに逃げた。逃げながら、足が震えていた。


 ああ、私はまだ“壊れてない”んだ――


 そう思ったら、悔しさとも怒りともつかないものが喉の奥に詰まった。

泣けなかった。怒れなかった。

私は、ただ“消えたかった”。

壊れてしまうことよりも、壊れないまま生きていることの方が、よほど恐ろしかった。



 夜、家に帰れなかった。

ドアの前まで来て、何度もチャイムを押そうとして、結局、背を向けた。

真夜中のコンビニの前で座り込んでいたら、警察に声をかけられた。


 「家、どこ?」って訊かれても、何も言えなかった。

「帰りたくない」って、声に出した瞬間、涙が止まらなくなった。

そのとき、初めて、「助けて」って言ったと思う。


 そのあとのことは、よく覚えていない。


 警察署の部屋は、ひどく明るかった。

どこかで書類をめくる音と、カツカツという靴の音がしていた。

私の名前を呼ぶ声がして、

大人たちが何かを話していたけれど、

そのほとんどは、意味を持たない音にしか聞こえなかった。


 「親御さんとは連絡が取れましたが――」

 「真白さん、あなたの証言は、記録されます」

 「ここから先は、弁護士と――」


 誰かが、私のことを“保護対象”って言った。

それが、いいことなのか悪いことなのかも、わからなかった。


 「ご両親は今――」

その言葉の続きは、聞こえなかった。

あるいは、聞きたくなかったのかもしれない。


 私の父と母が、どうなったかは知らない。

誰も説明してくれなかったし、私は訊こうともしなかった。


その日から私は、「あの家の子じゃなくなった」だけだった。



 次に目を覚ましたとき、

私は白い天井の下にいた。


 その日の夜、誰もいないはずの部屋で、

足音のような気配が聞こえると、息が止まりそうになる。

鍵がかかっていても、安心できなかった。

光の角度、物音の反響、空気の湿度――全部が、あの家を思い出させる。


 夢の中で、父が私の名前を呼び、生暖かい感触が蘇る。

母の足音が階段を上がってくる。

目が覚めても、その声が耳の奥に残っていて、

自分の爪を、無意識に噛んでいた。


 誰かが少しでも早口になると、心臓がひゅっと縮む。

白衣の人がドアを開ける音に、背中が凍る。

そんなとき、自分の腕がどこにあるかもわからなくなって、

体が誰かのものみたいに勝手に震えていた。


 記憶は断片しか残っていない。

でも、怖かった感覚だけが、いつまでも消えてくれなかった。


 眠っていても、誰かの視線に肩をすくめて起きることがあった。

誰にも触れられていないのに、背中がぞわりと冷たくなる。

あの家の気配が、いまだに皮膚の裏にこびりついている気がする。


 “終わったこと”になっているのは、大人たちの世界だけだった。

私だけがまだ、あの夜の中にいた。


第3話、ここまで読んでくださり本当にありがとうございます。


この章を書くにあたって、何度も手が止まりました。

過去の記憶が波のように押し寄せてきて、

何を書き残すべきで、何を伏せるべきなのか――何度も悩みました。


けれど、この物語がただの「暗い話」では終わらないために。

ヒロインの“これまで”を、どうしても丁寧に描いておきたかったのです。


傷つきながら、それでも生き延びた少女のことを、

どうか、ほんの少しでも覚えていていただけたらうれしいです。


次話から、物語は再び“現在”へと戻ります。

彼女が“他者と共にいる”ことをどう受け止めていくのか――

その静かな変化を、見守っていただけたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
言葉を失うほどの重さと、細やかな描写に胸が締め付けられました。澪の痛みが真実のように迫ってきて、読む手が震えました。壊れなかった心の叫びに、深い祈りを感じます。
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