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【祝1500PV】君と死ぬために生きてきた  作者: 霜月ルイ
第1章: 心の扉が、溶けていく。
15/28

第15話:祈りの形をした侵食。

ふたりきりの部屋、夜が深まるたびに、境界は曖昧になっていく。

これは、“好き”という言葉が呪いに変わる夜の記録。

※本話には、精神的・身体的な支配、同意の曖昧な性描写、依存・侵食・自己喪失を含む重い表現があります。

読了の際はご自身の心の状態にご留意ください。(R15相当)




 夕食のあとの廊下は、少しだけ湿気を帯びた熱気で満ちていた。

 照明の光がやや黄色くくすんで見えるのは、蛍光灯のせいか、それとも僕の目のせいか。

 ミオが食器を返しに行っている間、僕は病棟の壁際で一息ついていた。

 たまたま通りかかった看護師と目が合い、自然な流れで、ほんの少しだけ言葉を交わした。


 「ユウくん、だいぶ元気そうね。顔色もいいし、声にも張りがある」


 その言葉に、僕は笑って頷いた。


 「ありがとうございます。……薬が、効いてるのかもしれません」


 言葉は、もう口が覚えている。

 反射のように出てくる“元気な自分”の応答。

 それを受けて、看護師も柔らかく笑った。


 「うんうん、ちゃんと眠れてる? 食事も摂れてる?」


 「はい、ちゃんと……全部、できてます」


 会話の途中、もう一人、同世代くらいの女子の入所者が近づいてきた。

 名前は覚えていない。顔だけは、何度か見たことがあった。

 彼女はどこかおどけた調子で、「ユウくんって、話しやすいよね」と言いながら、僕の隣に並んだ。

 少し笑いながら、日常のささいな話――テレビの番組、夕飯の味、明日の天気――そういう話をした。


 僕は、ただうなずいていただけだったけれど、

 その場の空気は、どこかやわらかく、たしかに“外の世界”に似ていた。


 ――だからこそ、気づくのが遅れたのかもしれない。


 背中に、視線を感じた。


 ふと、振り返る。

 そこに、ミオが立っていた。


 笑っていた。


 それはとても自然で、優しげな微笑だった。

 けれど、その笑顔の奥にある“何か”が、僕の喉をすうっと冷たく撫でた。


 「ユウ、もう戻ろ?」


 その声は、柔らかかった。

 けれど、語尾の揺らぎのなさが、まるで命令のように響いた。


 そして、ミオは看護師と入所者の方に向き直り、少しだけ頭を下げた。


 「ごめんなさい、ちょっとユウをお借りしますね」


 にこやかに、礼儀正しく。

 だけど、その“お借りします”という言葉に込められた所有の響きは、

 彼女がもう“自分の領分を侵された”と感じている証拠だった。


 僕の手を、ミオが握った。


 やさしい力だった。

 けれど、その指は離れようとする素振りを見せるだけで、

 まるで手錠のように、逃がす気配はなかった。


 「じゃあ、また」


 そう言って、ミオは僕を連れて歩き出した。

 無理やりではなかった。

 けれど、僕が抗うという選択肢を持っていないことを、彼女は知っていた。


 廊下の床が、靴音を吸い込むように静かだった。

 背後で、看護師と入所者が少しだけ言葉を交わす声が聞こえた。

 けれど、それもすぐに遠ざかっていった。


 僕の手を握るミオの指先が、少しだけ震えていた。

 それが怒りなのか、不安なのか、喜びなのか――わからなかった。

 でも、たしかに彼女は、僕を“取り戻す”ように歩いていた。


 部屋のドアが近づいてくる。

 静かに、何かが“閉ざされる予感”が、背筋に滲みはじめていた。


 ♢


 扉が、静かに閉まった。

 その瞬間、空気の密度が変わったのが分かった。

 廊下のざわめきが遮断され、部屋はぴたりと沈黙に包まれる。

 背中に張りつくような湿度、息を飲むような静けさ――すべてが密閉された空間に変わっていた。


 ミオの手はまだ僕の手を握っていた。

 でも、その強さが、さっきよりも少しだけ変わっていた。

 “引く”ための力ではなく、“逃がさない”ための圧。

 優しいふりをしたまま、確実に“鍵をかける手”へと変わっていた。


 僕が何か言おうと、ほんのわずか口を開いたそのときだった。


 ドン、と鈍い音を立てて、僕の背がベッドに沈み込んだ。


 思考が追いつくより早く、視界が揺れ、天井が滲んだ。

 ミオが僕を押し倒していた。

 激しさはなかった。怒鳴り声も、荒い息遣いもなかった。

 ただ、無言で、しかし一切のためらいなく、僕の身体をベッドに封じ込めた。


 ミオの目が、見下ろしていた。

 笑っていなかった。

 目の奥の光だけが、狂ったように濡れていた。

 でもその口元は、あくまで“穏やかな恋人”の形を保っていた。


 「……私だけ見ててって、言ったよね」


 声は静かだった。

 優しい口調で、でもどこにも優しさのない声音だった。

 あくまで“確認”のように。

 間違いがあったことを、ただ訂正するだけのように。


 次の瞬間、ミオの唇が重なった。

 強く、深く、押しつけるように。

 舌がねじ込まれる。口の奥まで入り込み、喉の奥をかき回すように暴れる。

 息が詰まる。喉が鳴る。

 それでも、僕は抵抗しなかった。

 抵抗できなかった。


 唇の隙間から、何かが溢れていく。

 涙か、汗か、唾液か――もはや判別できない熱の膜が、顔を這った。


 ミオは、ずっと何かを呟いていた。

 「ごめんね……ごめんね、ユウ……ごめんね……」

 繰り返し、呪文のように。


 その声は震えていた。

 でも、手の力は緩まなかった。

 僕のシャツを掴んでいる指が、布越しに爪を立てていた。


 そして――


 ミオが僕の首筋に、顔を埋めたかと思うと、

 次の瞬間、痛みが走った。


 小さく、けれど確かな“裂ける感触”。

 牙のような歯が、皮膚を破った。

 血の味が、唇の端に滲む。


 「……ごめんね、ごめんね……ユウは、わたしだけのものなの……」


 ミオの涙が、僕の首筋を伝った。

 血と涙と汗が混じり合い、どこまでが誰のものか、もうわからなかった。


 その痛みさえも、どこか遠くで起きている気がした。

 鈍く、くぐもった感覚。

 まるで他人の身体に起きた出来事を、夢越しに見ているようだった。


 ――これは怒りでも、悲しみでもない。

 ただ、“私だけのもの”でいてほしいという、純粋すぎる衝動。

 だからミオは、噛んだ。

 僕を刻印するように、壊さない程度に、でも確実に“私のもの”とするために。


 僕は、目を閉じた。

 何も考えなかった。考えるという機能が、遠ざかっていった。


 ……抗えない。

 抗う必要すら、もう感じなくなっていた。


 ただ、身体が反応する。

 呼吸が震える。

 熱がこもる。

 心だけが、どこにもいなかった。


 ――僕は、もう拒絶できる場所にいない。

 拒絶できない身体。感情の麻痺。

 それでもミオが微笑むのなら、それでいいのかもしれない。


 ♢


 「……ユウは、私だけのユウなんだから」


 その言葉が落ちた瞬間、僕の身体はもう彼女の中に呑み込まれていた。

 吐息、熱、肌の擦れあい、唾液の音――どれも生々しいのに、どこか現実感がなかった。

 ただ、ミオの身体だけが確かで、

 その中に包まれていくことが、“逃げ道”であるかのように思えた。


 ミオの動きは、最初から抑えが利いていなかった。

 焦るように、追い立てるように、深く求めて、突き刺して、搾り取る。

 節度も余裕もなかった。

 ただ、“繰り返すこと”だけが、彼女の意識の全てを支配していた。


 何度も、何度も、身体が重なる。

 腰が打ちつけられるたび、ベッドの軋む音が濁った呼吸に飲まれていく。

 キス、吐息、囁き――その合間に、彼女は何度も僕の名を呼んだ。

 祈りのように。呪文のように。

 愛でも欲望でもない、“存在を確認するための呪文”。


 時計が、19時を指していた。

 ミオが僕の上に跨る姿が、天井の灯りに逆光で滲んで見えた。

 流れる髪、汗の光、紅潮した頬――そのすべてが美しいのに、どこかで“壊れた何か”を想起させた。


 夜のあいだ、何度も、何度も繰り返された。

 腰が打ちつけられるたび、ベッドの軋む音が濁った呼吸に飲まれていく。

 キス、吐息、囁き――その合間に、彼女は何度も僕の名を呼んだ。

 祈りのように。呪文のように。


 日付が変わっても、彼女は止まらなかった。

 その手が、僕の胸に、肩に、腹に、しがみつくように這う。

 爪が時折食い込む。ひとつ、またひとつ、印が刻まれていく。


 深夜、彼女の動きはゆるやかになった。

 それでも、終わりは来なかった。

 吐き出すたび、僕の中の“何か”が剥がれていく気がした。

 快楽でも、痛みでもない。感覚の残滓だけが、空虚の底に沈んでいく。


 そして、朝が近づいても――

 行為は終わらなかった。

 ベッドの上には、“ただ反応する器”だけが残されていた。



 最後に見た時刻は、朝の6時をわずかに越えていた。


 呼吸は浅く、鼓動は遅く、けれど確かに胸の奥で何かがまだ“動いて”いた。

 それが命なのか、残響なのか、自分でも判断がつかない。

 喉の奥には、飲み込めなかった声がこびりついていて、

 身体の芯が、微かに軋むように痛んでいた。


 ……でも、それすらも、自分のものじゃないような感覚だった。

 身体が、“どこかの誰かの記録媒体”になったみたいに。


 そのとき、眠っていたはずのミオが、ふいに声を漏らした。

 夢の中で誰かと話すように、かすかに唇が動いていた。


 「……ねえ、ユウ。わたしね、きっと、間違ってるんだよ」


 その声は震えていなかった。

 ただ、事実を淡々となぞるように、囁かれていた。


 「でも……もう引き返せないんだ。

  だって……ユウが、わたしを置いてどこかに行こうとするのが……

  怖かったんだよ……ずっと……」


 僕はまぶたを閉じたまま、その声を聞いていた。

 目を開けなければ、きっと“何か”に気づかなくて済む気がした。

 彼女の声が、夢と現のあわいで、ゆっくりと溶けていく。


 「ずっと、ずっと……一緒にいてくれるって、信じてたのに……

  わたしだけじゃ、不安だったんだ……だから、ね……」


 語尾は音にならなかった。

 けれど、その沈黙の余白に、ミオの“確信”がにじんでいた。


 ――もう、引き返さない。

 彼女は“壊すことでしか、愛せなかった”のだ。


 ♢


 カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいた。

 まだ完全には昇りきっていない弱い光が、病室の壁にぼんやりと滲んでいる。

 その白さは、まるで何かを消し去ろうとするようで、僕はただ、天井を見つめたまま瞬きもできなかった。


 身体が重いわけではなかった。

 動けないほど疲れているわけでもない。

 それでも――起き上がれなかった。


 ベッドの上、シーツが波打つように乱れていた。

 乾いた汗と、滲んだ体液と、いくつかの染み。

 無数の熱の痕跡が、既に冷たくなってこびりついている。

 少し動くだけで、布が皮膚にひっかかる。

 乾いて、固くなって、まるでそれ自体が僕を縛っているようだった。


 僕の隣で、ミオが眠っていた。

 穏やかな寝顔。口元には微かな笑み。

 まるですべてを成し遂げたあとの満足のように、静かに、すやすやと呼吸をしている。

 夜を通してあれほど動き続けていたはずなのに、その寝顔には一切の疲労がなかった。

 いや、それすら“役割を終えた器”のように感じられた。


 僕は、彼女を見なかった。

 見たらきっと、何かが戻れなくなる気がした。


 だから僕は、ただ天井だけを見つめていた。


 頭の中が空白だった。

 思考が流れ込む余地がなかった。

 ただ、“抜け殻”として、ベッドの上に横たわっているだけだった。


 ――僕の中身は、すべて、あの夜の中で溶けてしまった。


 ミオが名前を呼ぶたびに、愛してると囁くたびに、

 そして何度も僕を抱きしめるたびに、

 彼女の中に、僕がひとつひとつ、吸い取られていった。

 快楽でも、痛みでもない。

 それは、ただ“侵食”だった。


 いつの間にか、“僕”という存在がどこにあるのか、分からなくなっていた。

 心の奥にあったはずの何かが、層ごと削り取られて、

 その空洞に、ミオの声や熱だけが染み込んでいく。

 もう戻れない。

 それは、“自分”という物語の最終ページを誰かに破られた感覚だった。


 心があったはずの場所は、いま、空洞のようだった。

 音を立てても、跳ね返るものがない。

 無音。無重力。無色。


 けれど、ミオは――満たされていた。

 彼女の呼吸が穏やかすぎて、まるで儀式を終えた神官のように見えた。

 役目を果たし、すべてを収めた者の眠り。

 一方で、僕はその祭壇に捧げられた生贄のようだった。

 儀式は成功した。その代わりに、“僕”は失われた。


 僕のすべてを、確かに受け取ったのだろう。

 それが愛であろうとなかろうと、

 行為が儀式であれ暴力であれ、

 彼女にとっては、“それでよかった”のだ。


 だから、笑って眠っている。


 ふと、昨夜の廊下で交わした会話と、看護師の視線を思い出した。

 あのとき、あの目だけは、僕の“仮面”の裏を見抜いていた。


 今なら、分かる気がする。

 あの視線が告げていたのは、「まだ戻れるうちに」という警鐘だったのかもしれない。


 でも、もう遅い。

 戻る場所は、とうに喪われていた。

 “ミオの中”でしか、生きられなくなってしまったのだから。


 どれくらい時間が経ったのか、分からなかった。

 静寂の中で、ミオの体温だけが、なおも僕の肌に残っている。


 目を閉じたままの僕の耳元に、かすかな気配が降ってきた。

 シーツが擦れる音、布団の重みが変わる気配。

 そして、ミオの唇が、そっと僕のまぶたに触れた。


 「ユウ……まだ、ここにいる?」


 僕は答えなかった。

 答えを待たずに、ミオは僕の胸に顔を埋めた。

 そのまま、静かに呟いた。


 「ねえ、もう一度だけ、……わたしの中で、確かめさせて?」


 その声には、哀願のような、祈りのような、

 でもどこかで――“命令”のような響きが混じっていた。


 僕の手を、ミオが導く。

 彼女の胸の上に、僕の指が置かれる。

 鼓動が聞こえた。彼女のものか、自分のものか、区別がつかない。


 「ほら……ね? 一緒になれば、怖くないんだよ」


 目を閉じたまま、僕は頷いた。

 反射のように。拒絶の余地すらない、条件反射のように。


 ミオが、僕の額にキスを落とした。

 それは、“別れ”ではなく――“最終確認”のようだった。

 キスの跡が、額に印を残すような気がした。境界が、そこからじわじわと、溶けていく。


 好きだったはずなのに。

 たしかに、愛していたはずなのに――

 その“感覚”が、もう思い出せなかった。


 最初に手を繋いだとき、

 初めて名前を呼ばれたとき、

 心臓が跳ねた感覚が、霞んでいる。


 覚えているのは、“奪われていく感覚”だけだった。

 それすらも、やがて消えてしまうだろう。

 まるで、最初からなかったように。

 今なら、なんとなく、わかる気がした。

 ミオが求めていたのは、“僕”じゃなかったんだ。

 たぶん――名前でも、身体でも、想いでもなくて。


 ああ、これは愛なんかじゃない。

 これは、救われたいだけの呪いだ。


 誰かに触れてもらわないと、壊れてしまう心。

 誰かを信じてしまわないと、自分の形がわからなくなる魂。


 ミオは、たぶん、それを“僕”で埋めようとした。

 僕の声で、僕の手で、僕の体温で、

 自分が“ここにいていい”って、確かめたかっただけだった。


 でもそれは――愛じゃない。

 祈りのふりをした、呪文だった。

 その言葉を唱えるたびに、ミオは僕を“神様”にしようとした。

 崇めるように、すがるように、壊していったんだ。

 ミオは、神様でいたいわけじゃなかった。

 “絶対者”として、僕を飲み込むしかなかっただけだった。


 ……怖かった。

 胸の奥に残っていた何かが、じわじわと凍っていくのがわかった。

 彼女の中で生きるっていうことは、

 僕が僕じゃなくなる、ってことだったんだ。



 接触も、行為も、言葉も――それらはすべて、“教義の儀式”だった。


 だから、僕は自由を与えられなかった。

 問い返すことも、逃げることも、ただの選択肢ですらなかった。

 ミオの中にあったのは、愛ではなく、“正しさ”だったのだ。

 ――この関係こそが正しい。この結びつきこそが、救済なのだと。


 そう思えば、少しだけ、納得がいった。

 ミオがあれほど丁寧に僕を“包み”、そして“飲み込んでいった”理由が。

 それは愛ではなかった。

 ただ――ミオの信じる“正義”だったのだ。


 誰かが、呼んだ気がした。


 耳ではなく、意識の奥で。


 ――ユウくん。


 あの声は、誰だっただろう。

 懐かしくて、あたたかくて、でも、もう思い出せない。


 「……まだ、間に合うよ」


 「君のままで、生きて」


 ――ねえ、目を開けて――


 複数の声が、重なるように僕を包んだ。

 過去のどこかから、今のどこかから、混ざりあって――僕を引き戻そうとする。


 誰かが、僕を“見つけよう”としていた気がした。

 でも、それが一番、怖かった。

 見つかったら、存在を返されてしまう気がして――



 でも。


 違う。

 違うんだ。


 あの声を聞けば、世界の“縁”が裂けてしまう気がした。

 もう一度、“誰か”になってしまう気がした。


 戻れば、また名前を呼ばれ、また心を持たなければいけない。

 そうなったら、きっと――


 ……僕は、また壊してしまう。


 また、誰かを。

 また、僕自身を。


 ……怖い。


 言葉も、顔も、涙も、全部。

 名前のないままで、もう触れたくなかった。


 だから――


 「……ミオ」


 その名前を、喉の奥で、呪文のように唱える。


 ミオの中にいれば、何も考えずに済む。

 呼吸だけで、生きていける。

 感情を手放したまま、沈んでいける。


 そうして僕は、“誰かの声”を、静かに遠ざけた。

 あたたかさも、善意も、希望も――すべて、遠ざけた。


 そして、ただ一人の名前だけを胸に、

 僕は、深く、深く――沈んでいった。



 ――そして、僕は目を閉じた。

 目を閉じれば、少しだけ自分の境界が曖昧になった。

 眠りでも覚醒でもない、名前のない場所。

 そこに僕は、沈んでいった。


 “わたしを見て”――あの願いは、

 いつしか“わたししか見ちゃいけない”という命令に変わっていた。

 でももう、考える気力さえ残っていなかった。

 願いと命令の違いなんて、遠い昔の言葉みたいだった。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。


第15話では、ユウという存在が「個」としてではなく、「関係性の中でしか存在を許されない」状況へと沈んでいく様を描きました。


ミオはユウを愛しています。けれど、その愛は彼を“対等な人間”としてではなく、“わたしだけのもの”という一方的な正しさとして貫かれていきます。

そしてユウもまた、その支配の中に“安らぎ”を見出してしまう――それは、あまりに静かな破壊でした。


本話の終盤で挿入した“誰かの声”は、かつての世界からの救いの手です。

けれどユウはその声を拒み、ミオの名を呪文のように唱える道を選んだ。

それが正解だったのか、不正解だったのか――その判断は、読者の皆様に委ねたいと思います。

どうか、彼らの物語を、もう少しだけ見守ってください。

よろしければ、ブックマークや感想、レビューを残していただけると、創作の大きな励みになります。

一つひとつ、大切に読ませていただきます。



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