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番外編03:見ようとすれば、ありすぎる1


 目を開けるとそこにあるのは、まあるい空だった。

 広い広い青。

 顔を照らす木漏れ日はきらきらと瞬いて、まるでフィアリルの瞳の色のようだと、やくたいもないことをマティアスは思った。


「……僕、まだ生きてたわけ?」


 先ほど―――あれからどれほど時間が経ったかは知らないが、自分の脳内では―――つい先ほど、自分の愚行と償いようもない罪をまざまざと見せつけられたのに、その自分はまだ、のうのうと生きているのか。


「―――っ!」


 動こうとして、激痛がマティアスを襲った。

 背中で血が流れる感覚がする。足は、筋肉が死んだようにピクリとも動かなかった。痛みを感じることすらもはや奇跡だ。

 落ちた衝撃でだろう、ズタズタの腕は麻痺して痛みすらない。神経が何本か切れたのかもしれない。医療になど興味もなかったから、本当のことなどわかりはしないが。


「ははっ」


 あまりにもバカバカしすぎて涙も出ない。『自業自得』という言葉がこれほど似合う結末もそうはないだろう。

 頭がガンガンする。ひどく、のどが渇いていた。肺に血が溜まっているのか、呼吸するのさえ、のたうち回りたくなるほどに痛い。


 もっと容赦なく自分を責めてほしかった。罪を見せつけてほしかった。

 そうすれば地獄で情状酌量されないかと―――どうせこんな小細工は見抜かれるに違いないのに。

 そうして絞り出すように声を紡ぐ。


「あー、死ぬな、これ。間違いなく死ぬ。てかもう死んでたりしないか?」


 言って、そんなわけないかと独り言ちる。

 だって、死んでたとしたら、こんな―――


「こんな天国みたいな場所に、僕が居るわけがない……」


 口に出してみればより一層、この場所は天国のように思えた。

 肌に触れる草はやわらかく、穏やかな陽光はマティアスの冷えた頬を温めた。

 髪をそよがせる風はお日様のにおいがして、遠くで水の音がする。


「こんな場所が死に場所なんて、神様も随分気前がいいな」


 猛烈な眠気に包まれる。

 死ぬんだな、とマティアスは今度こそ覚悟を決めた。

 いや、最初からほとんど死んでいるようなものだったのだから、覚悟を決めたというのは正しくない。


 地獄は、どれほどかかるだろう。

 百年か、千年か、あるいはもっと長いだろうか。


 東諸国シェールレクスグードの人間がああも女神を―――生まれ変わりの象徴を崇拝する理由が、マティアスには今少しだけわかるようだった。

 もし、生まれ変わったら。


 ―――もし、生まれ変われるのなら。


 今度は愛に飢えたりせずに、好いた女性をただ想いたい。

 嫉妬に狂って愛した人を傷つけることも、他の人を当てがって見せつけるようなこともせずに。

 親切に親切で返したい。

 優しくしてくれた存在に、恥じない者になりたい。


 死ぬ間際になって、今まで思い出しもしなかった顔が、いくつもいくつも蘇る。

 ルルフィーナがこちらを睨む目、あわれむような父王のまなざし、グレーデールの町の住人の呆れた目線の数々、東諸国の男たちの嫌悪を含んだ瞳。


 見事に悪感情ばかりでまたもや笑いが漏れる。


 こんなことを思うのも、まったく今更のことでしかないのに。

 自分に失望していく人たちの顔がいくつもいくつも溢れて消えない。


 謝っても、許されないだろう。

 許されるつもりも、ない。


 でも。


「―――ごめん」


 ここで口にするくらいのことは、見逃してもらえないだろうか。


「ごめん」


 記憶の中で、たった三回だけ、なんの悪意も含まずに自分を見た双眸。

 初めて執務室に来て笑ったフィアリルの金茶と、あの日まっすぐにマティアスを見て国を去ったルーベルの柘榴石。それから、さっき出会った紅竜の、刺されたように見開かれた金色こんじき


 せめてそのまなざしに、恥じることの無いように。

 マティアスが起こした罪のありかに、目を背けることの無いように。


「本当に、ごめん……」


 マティアスは目を閉じる。

 自分の意識が内側へと引っ張られるような、そんな奇妙な感覚がやってくる。


 頬を涙が伝っていった。

 彼らのことで泣けたのであれば、もう何も心残りはあるまい。


 そう、思ったときだった。



「誰に謝ってるのー?」



 舌ったらずで、甘えるような、マティアスの胸の内をそっと覗き込むような、幼い声がマティアスの耳を撫でた。


「ねー、おにーちゃ? なんでこんなところで寝っ転がってるのー?」


 何者かがマティアスの腹によじ登ってきた感覚がした。

 さらさらとした何かが、ふさがりかけの傷に触れてくすぐったい。


 ―――ふさがりかけ……?


 自分の思考の矛盾に気付き、内側に引っ張られていた意識が急速に浮上する。


「血が、止まってる……?」


 自分の声がやけに明瞭に耳に届いて、マティアスは信じられない気持ちで閉じていた目を開ける。

 先ほどまで焼き付くように痛かった肺とのどが、今は少しも痛くない。


 声のする方に目をやると、一人の幼子が不思議そうに首を傾げながらマティアスの腹にしがみついていて、マティアスと目が合うと、にぱっと笑った。


(この子が……やったのか……?)


 しかしすぐにマティアスの様子がおかしいことに気付いたのか、心配そうに顔を顰める。


「どこか、痛い? お腹すいたの?」


 実を言えば、マティアスは今なぜか体に痛みがまったくなかったし、お腹もすいてなかったし、ただ、目の前の小さな子どものぷにぷにもっちりのほっぺが、己のかさついた頬に押し付けられるのを呆然としたまま享受しているのみだった。


 やわらかくて、あたたかくて、マティアスの知らない、体温というものがそこにはあった。


「い、や……おにーちゃんは、たった今元気になった」


 正直にそう伝えると、幼子はますます怪訝な顔をする。


 目に見えるものを目に見えるとおりにとらえているだけなのに。

 自分の見ているものは、経験の通りに動作していない。


 そう言いたげに、じぃっとマティアスを見つめて、その幼子は口を開いた。


「でも、おにーちゃ、泣いてるよ?」


 言われて初めてそのことに気付いた。

 血と土で汚れたマティアスの服に、水滴がぼたぼたと落ちてしみを作っていく。


「なんで、泣いてる?」


 やっぱりどこか痛い?

 それとも何か悲しい?


「オリィ、痛いの『飛んでけ』したけど、ダメだった?」


 そう言って、あちこちを覗き込む幼子をそっと制して、諭すようにマティアスは言った。


「大丈夫だ。どこも痛くないよ。君が心配することも、なにもない。おにーちゃんは、今ちょっと懺悔中だったんだ」

「ざんげちゅー?」

「そう。懺悔。悪いことをしたから、戒めてくださいとお願いしている最中だった」

「いましめー?」


 多分どの単語もわかっていないであろうその幼子は、マティアスの言う言葉をただ繰り返し、首を傾げた。


「『ごめんなさい』と謝ることだよ」

「それなら、オリィもわかる!」

「そうか。君は賢いな。おにーちゃんは、そうするわけがたった今わかったばかりなのに」

「ほんと!? オリィ、すごい? すごい?」


 せがむように尋ねるその子に頷き返してやると、幼子はまた笑った。


「君は、オリィというのか」

「うん! あの川の向こうで、ばーちゃと二人で住んでるの!」


「そうか、オリィ。では君はもう家に帰るんだ。おばあさんが心配するだろ?」

「えー」

「賢いオリィならできるはずだぞ」

「なら、オリィ、別にかしこくなくっていい!」


 途端に不機嫌になってそっぽを向いてしまったオリィに何と声をかけてよいかわからず、マティアスはただおろおろと両手を空に彷徨わせた。


 マティアスは不安だった。

 自分のような愚かな人間のそばに居たのでは、いつ何がきっかけでこの純真な子に過ちを犯させてしまうかわからない。

 今この一時さえも、自分は何かこの子に悪影響を与えてはいないだろうか。


 そんなことになるくらいなら、どれだけ嫌われたっていいから、自分みたいな男からは一刻も早く離れさせ、安全で、安心で、あたたかい場所で笑っていてほしい。


「オリィ……そうだ、僕が家まで送って行こう。そうしたら君はおとなしく家に戻るか?」

「え! おにーちゃと家に帰っていいの!?」

「ま、待て、僕は君を家に帰したらそこでわかれ……」

「おにーちゃと、晩ごはん一緒に食べれる!?」


 きらきらと期待を含んだ目でマティアスを見つめるオリィは、少しも譲る気配がない。

 何ならすでに、オリィの中でマティアスとの晩餐は決定事項のようで、「おにーちゃっとごっはん! おにーちゃっとごっはん!」と言いながら、そこらをぴょいぴょいと跳ねまわっている。


「……き、君のおばあさんが『よし』というのであれば、な」


 そんな言葉でお茶を濁す。

 おそらくオリィのおばあさんはマティアスが席に着くのを拒否する。するはずだ。してくれ。


 マティアスは身なりが汚いし、汚れ方も何だか物騒だし、そもそも溢れ出る悪者オーラと鼻につく嫌な奴オーラがきちんと仕事をしてくれるはずだ。雰囲気に漏れずそういう人間であるのは事実なのだし、普通の人であればまず家にあげることはないだろう。


 オリィのおばあさんが常識人であることに望みをかけ、マティアスはオリィとの家路を歩いた。


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