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番外編03:救いようがなさすぎる2



 ―――こっちよ。


「フィアリル……?」


 ふいに、彼女の鈴の音のような声が聞こえた気がして、マティアスは立ち止まった。

 辺りを見渡すが、フィアリルはおろか、人の姿すら見えない。


 ―――こっちだってば。


 マティアスの袖が引っ張られた。

 姿は見えないけれど、甘くねだるようなフィアリルの口調が嬉しく、マティアスは声に誘われるようにして一歩目を踏んだ。


「僕を、追いかけてきたのか?」


 その先は、足が勝手に歩き出す。


―――こっちこっち


 その声はマティアスの問いには答えず、ただどこかへと導くようにマティアスにささやきかける。


 だんだんと、雪が深くなってきた。

 鬱蒼とした針葉樹の森―――人どころか、獣一匹すらいない。

 生命の気配というものがまるで感じられない、どこまでも静かな森だった。


 その静けさの中で、フィアリルの声だけがマティアスの耳にそっと話しかける。


 ―――マティアスってば、はーやーくー


「ああ、わかった。わかったから―――少し待っていろ」


 まるで恋人同士の会話じゃないか、と若干鼻を高くしながらマティアスは笑んだ。

 やはりフィアリルはマティアスのことを慕っていたのだ。


 こんなところまでマティアスを探しにやってきて、親切に道案内までしてくれるだなんて、よほど恋しかったのだろう。


 ―――もー! マティアスったら、やーっと来た!


 フィアリルの声がそう言ったとき、少し先に開けた場所が見えた。

 何者か、人の姿シルエットがマティアスの視界に映る。


「はは、待たせてしまったか。まったく、最初からこのように素直であれば僕も……」


 言いながら、暗い森を抜けた。

 ざあっと、雪交じりの強い風が一陣、マティアスの眼前を吹き降りて行った。


 それにつられて顔をあげ―――


 マティアスは唖然として口を開いた。


「―――は?」


 マティアスの視線の先、靴先からの長さで言えばちょうど一歩と言ったところか。


 ―――そこには地面がなかった。


 咄嗟に後ろの木を掴む。

 その拍子に足が滑りそうになって、慌てて体を引っ込めるが、タイミング悪くも、ちょうどその時もう一度強い風が吹いた。


 その勢いでマティアスの体は空に投げ出された。

 必死で掴んでいる木がギシリと音を立てるたびに、絶望が近づいてくるようだ。


「なにが―――どうなっている」


 ―――なーんだ、つまんないの。


 その声は頭上から降ってきた。

 見上げると、そこに居たのは


「……魔物?」


 マティアスがその解を導き出したのは、ほとんど直感と言ってよかった。

 結界で守られた国セントランドでは、魔物はその姿をほとんど見せない。



 それは幼い子供のような姿で、人を象っているようだった。

 闇に溶けるような黒く長い髪。吸い込まれそうな紫の瞳と、無邪気に弧を描く口元。


 唯一人と違ったのは、その背中に白い翼があることだった。


「もう少しで、死んだのになーぁ」


 心底残念そうに唇を尖らせるその少女は、フィアリルそっくりの声で言った。


「おまえが、フィアリルのふりをして……!」

「へーぇ。お兄さんには、私の声が、“フィアリル”って人のものと同じに聞こえるんだね」

「なん……だと」


 少女は、面白いおもちゃでも見つけたみたいな、にたぁとした笑みを浮かべる。


「お兄さんさ、まだ気づかない? 自分が命の危機だってこと」


 悪魔のような存在のくせに、天使のように可愛らしく微笑むところも、彼女に似ている。


「あのね、あなたの体の自由を、奪ってみようかなと思うの」


 語尾にハートマークでもつきそうなほどに、その魔物の出すフィアリルの声は、甘ったるかった。


「私、人の体の自由を奪って好き勝手するの、だぁいすきなんだ。必死で抵抗するところとか、見てて面白いよね―――無意味なのに」


 あはは、と笑うその声は、フィアリルのものであったが、人のものではなかった。

 彼女の言うことはあまりにも残忍なことだと、マティアスにもはっきりと分かった。


 人の自由を奪って好き勝手する? 本人の了承を得ぬままで、傷つけることが『だぁいすき』だと?


「この―――情を知らぬ化け物が……。人の心を、何だと思っている……!」


 途端、冷めたような視線がマティアスに注がれた。

 今まで面白がって見ていた芝居が、急につまらないものになり下がったときのような。


 ふぅん、とさしたる興味もなさそうに少女は頷いた。




「それ、あなたが言うの?」




 恐怖に駆られて竦もうとした身体が、竦めないことに気付いたように固まる。

 この魔物に対峙してからこの瞬間までマティアスを支えていた正義感が、足元から音を立てて崩れ落ちていく。


 うふふ、と気高く―――あるいは優雅に―――魔物しょうじょは笑った。


「私の声はねぇ、あなたが今一番欲している人の声に聞こえるんだって。便利なことに―――」


 木にしがみついたままで動けないでいるマティアスの顔に、少女が自分の顔を、ずいと近づける。


「―――この姿も、記憶も、写し取ったみたいに共有できる」


 そう言って、少女はにこりと笑った。


「ね、これ、あなたがしたことでしょう? をベッドに押さえつけて、逃げられないように上に被さって、無理やりにでも、奪おうとしたの」


 自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。


 声を出せないほどの恐怖が。

 自分の体の決定権を、自分が持っていないことの恐怖が、今更になって、マティアスを襲う。


 少女のささやきを聞き取るこの耳が、今この瞬間に切り落とされても、何も不思議ではなかった。

 もちろん、マティアスとこの世界をつなぐこの腕が、今この瞬間に消し飛んでも。



「さぞかし楽しかったでしょ。―――己の快楽のためだけに、他人を犠牲にするだなんていう『化け物』の真似事は」



 もう一度、強い風が吹いた。

 少女の黒い髪が風にはためき、舞う雪片で、一瞬視界が真白に染まる。


 次第に、目の前に浮かんでいた少女の、髪も瞳も、マティアスが焦がれてやまないフィアリルの色に変わっていった。

 よくよく見てみれば、目の前に居るのはやっぱりフィアリルで。彼女は、それはそれは優しいまなざしで、マティアスのことを見つめていた。


「―――フィア、リル……」



 いつの間にか、自由の利くようになっていた身体をひねる。

 両手で掴んでいた手を片方だけ離して、伸ばす。


 その手が届く前に、彼女の姿はひょいと飛び退いた。

 そして数歩先の距離で、マティアスに向かって手を伸ばしていた。

 その甘やかな金茶の瞳を細めて、マティアスを愛おしげに見ている。


(ああ―――僕は……)


 彼女の瞳を見つめ返しながら、思う。


 ―――本当は。


(閨とか、彼女の体とか―――そんなものを欲したんじゃなくて……)


 マティアスがどれだけ物を贈ろうが、声をかけようが、果ては寝室へと連れ込もうが。

 決して自分の方を見ようとしないフィアリル。


 押し倒したときの、恐怖に染まった瞳。マティアスを突き飛ばした、拒絶を含んだ手。


 本当は、わかっていた。

 恥ずかしいとか、身分が、とか。

 そういうものと関係なく、自分が彼女に拒絶されていたこと。


 手に入らないのが悔しくて、彼女の心も体も、すべて自分だけのものにしたくて。

 あいつになら―――髪飾り一つにすら、心を許すくせにと。


 ―――本当は。


 マティアスよりも優秀なことも、マティアスよりも人望があることも、最初から分かっていた。


 彼女が王妃の座などに指先ほどの興味がないことも、ルルフィーナと親しかったのはマティアスを手に入れる為ではないことも。


(全部知ってた)


 マティアスは、ただ―――


(最初からそうやって、僕のことも―――いや、僕だけを―――)


 マティアスは木から両手を離した。

 手を差し出す、フィアリルの姿をした何かに向かって、一歩を踏む。


「―――僕だけを、見ろよ」


 マティアスの二歩目の足の下に、地面はなかった。

 黒々とした闇の中に吸い込まれるように、マティアスは堕ちていく。


―――


「―――きっも。久々に、胸糞の悪い記憶を共有されちゃったな」


 それを、フィアリルの姿をした何かは、じっと見ていた。


「せいぜい、地獄でも無視されればいい」


 見送って、いた―――。



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