番外編01:祖国の王妃がすごすぎる2
『じゃあ、今度の竜の日までにはひと段落つけておいてね。『大切な人に会う魔法』で迎えに行くから』
「まあ嬉しい。……そうよね、今はあなたの帰る場所にも、大切な人がいるものね」
女性の声に、本当にうれしそうに、王妃は言った。
そして、心からの安堵を覗かせる。
『大切な人に会う魔法』はその名の通り、大切な人の元へと会いに行ける魔法だ。
ただし行くことができるのはその大切な人がいる場所だけなので、帰るときは、帰る先に大切な人の存在がなければならない。
『ルルは〆切を決めておかないと、突き詰めるとこまで突き詰めちゃうからね。ちゃんと言ったからね? 竜の日には強制的に連れて行くからね?』
「まあまあ! フィアリルには敵いませんわね。わたくしよりわたくしのことわかってらっしゃるのでなくって?」
『あたぼーよ。何年一緒に相棒やってきたと思ってるんだか』
「ふふ、そうだったわね」
ついには王妃が口を開けて笑う。
それがどれだけ凄いことか、知っているのは三人の臣下たちと、ジェームズ国王だけ。
「―――そうか、リー上級官はきちんと逃げおおせたのだったか」
王妃の会話に耳をそばだてていた臣の一人がどこかほっとしたように笑んだ。
前王太子によるリー家の娘の国外追放劇は、この王宮では有名な話だった。
最近王宮に上がった官吏の中には知らないものもいるが、多くがあのドラマチックな展開の後の惨劇を目の当たりにしていたからだ。
進まない政策、精霊界や賢者との連携は全くと言っていいほどうまくいかず、フロストランドからは再三、その元王太子の愚行を知らせる報告が届いていた。
当時第二王子であったジェームズ国王と婚約を結びなおした、まだ公爵令嬢だった王妃は、まず最初に、王宮で働く官吏全員に深々と頭を下げた。
『王族の末端に名を連ねるものとして、今回の元婚約者の不始末、心から謝罪いたします』
王族は頭を下げてはいけない。
そう教わってきたにもかかわらず、その行動をとったルルフィーナ公爵令嬢を糾弾する声も一部にはあったが、大部分がそれを好意的にとらえた。
『わたくしは、立場上、国民に向かって頭を下げることはできません。けれど、共にこの国を支える仲間にそれができなくて、どうして次期王妃を名乗れましょうか』
ルルフィーナ公爵令嬢のこの言に心を動かされたものは多かった。
ここに居る三人の臣下たちも、例に漏れずである。
「―――よかった。あの日、王妃殿下が何としてでも逃がそうとした、大事なご友人が無事で」
「何を言う。我らにはいつも鬼みたいに怖い上官であったぞ」
「はっはっは! そういえばそうであったな。いくら経歴が長いと言っても、十七の頃に我ら男どもを叱りつけるような豪胆な上官はあの人ぐらいだろうさ」
「そうか、もう五年も経つのだったな……」
懐かしそうに遠くを見る二人の臣に付いて行けない、今年入ったばかりの十五の少年の臣は、どことなく心細そうに言った。
「先輩たちはいいなあ。僕も、リー上級官に教わってみたかった」
「やめておけ! あの人は、それはもう怖いお人だったんだからな!?」
「そうだぞ! 伝達ミスがあろうものなら、『くすぐる魔法』をかけられて、一時間くらい放置されるんだからな!?」
すかさず先輩臣から否の声が飛ぶ。
あれはつらかった……と我慢強さには定評のある臣が遠い目をしながら言うものだから、少年の臣は震えあがった。
けれど、そう言いつつも、やはり親しみ深げに懐かしげに、そしてどこか誇らしげに話す先輩臣の顔を見ると、やっぱりうらやましいと、少年の臣は思うのだった。
「まあ、三人とも、おしゃべりが多すぎてお手が止まってらしてよ?」
王妃の声に、話し込んでいた三人の臣下は我に返った。
通信魔法の陣の向こうから、あっはっはと、それはそれは楽しげな笑い声が聞こえてくる。
『リュース、ハーヴ、あまりルルを困らせるなよ。また『くすぐる魔法』かけちゃうぞ』
名を呼ばれ、二人の臣は背筋を伸ばした。
覚えられていた、という喜びが、リュースとハーヴの背筋をびゅんと駆け抜ける。
「「はっ、はい!」」
『あははっ! 相変わらずの、いー返事じゃん。がんばってね』
もう一度、はい、と返事を返す。
二人にとっては、ずっと憧れの上司だったのだ。
「リー上級官! ぼ、ぼくにも何か!」
それは、その話を何度も聞かされて育った少年の臣にとっても同じらしい。
目をきらきらさせ、挙手をしながら陣に歩み寄る臣に、陣の向こうの声は照れくさげだ。
『へえ、ルル、新しい子?』
「ブラードというの。今年入ったばかりの十五歳」
『ほほーぅ。若々しいですなぁ』
「もう。フィアリルったら、どこぞのおっさんみたいなこと言って」
『えー? 若いっていいことじゃん。それだけで未来は明るいよ』
「否定はしませんけど」
仕方なさそうに王妃は笑っている。
臣下たちは、二人がまるで隣同士で話しているような錯覚に陥る。
『えー、ブラード君だっけ? これからも、ルルと、リュースとハーヴを助けてやってね』
「は、はい!!」
激励がよほどうれしかったのか、少年の臣は威勢よく返事をし、やる気十分に目の前の資料にとりかかり始めた。
『フィアリル、公爵令嬢様と話してるんじゃないの……?』
陣の向こうからぶすくれた声が聞こえて来て、お? という空気が執務室に流れる。
『ルルはもう王妃様だよ? 昔の仕事仲間がルルのもとで働いてるんだ』
『ふーん』
『あー、なにその目は。疑いの目ですかー?』
『嫉妬の目でーす』
『心外だなー。わたしの夫のルーベル君は、その奥さんのフィアリルちゃんが誰を好きなのか知らないんだー』
唐突にゆるい痴話喧嘩が始まり、執務室に桃色の空気が流れる。
『あ、紹介するね? 夫のルーベル。わたしの好きな人』
『―――っ!』
フィアリルの声に続いて悶絶する男の人の声が聞こえてくる。
そろそろ犬も食わないものになってきた。
『……ルーベル・アウストラリスです……』
「よ、よろしくお願いします。リー上級官の元部下のリュースと申します」
「同じくハーヴです」
しばらく、沈黙が場を支配したが、陣の向こうの男性のひねり出すような一言でそれは終息を迎えた。
『―――君たちも、遊びに来るといいよ』
一拍置いて、執務室にわっと歓声が上がった。
「休暇! 王妃殿下、休暇をください!」
「わ、わたくしめも!」
「ぼくも!」
次々に手が上がり、王妃はやれやれとため息をついた。
「まったく、仕方のない臣ですこと……」
「だめ、でしょうか……」
王妃は仕切りなおすようにパンと一つ手を叩き、にっこりと雅に笑って言った。
「今度の竜の日は、王宮の業務を一切休みとします」
みんなで押しかけますわよ、と続ける王妃に、彼女の執務室は今までで一番騒がしくなったんだとか。
―――そして次の竜の日。
魔女の噂が流れていたフロストランドの奥地―――アイスフィールドは、史上最も賑やかだった。
そして、目が合ったら命を取られる魔女の噂は、その三日後にはきれいさっぱりなくなった。
代わりに『奥からパーティ会場みたいにやかましい楽しげな声が聞こえてくる森』として、逆に噂になったとか、ならなかったとか。