番外編01:祖国の王妃がすごすぎる1
北国フロストランドの奥地、セレリス・フォレスト。
その先にある秘された土地アイスフィールド。
一年の大半を雪が覆い、鬱蒼とした森に囲まれたその土地には、ある噂が流れていた。
―――アイスフィールドには魔女が住んでいる。目を合わせたら命を取られるぞ。
隣国セントランドの王妃、ルルフィーナ・セントランドは、その噂を聞いて目を輝かせた。
「まあ! それはどんなにか美しい金髪と琥珀色の瞳の持ち主なのでしょうね?」
彼女は稀代の賢妃として大陸中に名をはせる。
一時期、亡国の噂すら囁かれたセントランドが、このたった数年のうちに持ち直したのはこの王妃の献身あってこそ。
子宝にも恵まれ、第二王子だったジェームズ・セントランドとの間には三人の王子と二人の王女が居る。
ジェームズが妻にと望んだのはルルフィーナただ一人であり、側室を娶ることもなく、彼の寵愛をこの王妃が一身に受けたことも理由であろうが。
「目を合わせたら命を奪われる? あの子に? 三人目の子どもが生まれたばかりで、浮かれているんじゃないでしょうね」
うふふ、と雅に微笑む王妃を前に、三人の臣下たちは揃って目を見合わせた。
どうやらその魔女とこの王妃は知り合いであるらしい、ということに気付いたからである。
そういえば、と臣下たちは記憶を辿った。
なぜかここ三年、アイスフィールドにあるという一つの家に向けて、出産祝いを選ぶ機会があったのである。
それぞれ、子供用のカトラリーやらおもちゃやら何やらを見繕った覚えがある。
子ども服とかはいいのか、と思ったが、王妃の「それに関しては本職がいるから」という謎の一言により却下になった。
曰く、おもちゃやカトラリーもグレーだそう。
「ところで、どうしてそんな噂がここまで?」
「ああ、それが……」
臣下の一人が口火を切った。
今、市井では、その魔女と一人の戦士のラブストーリーの舞台が大流行しているのだ。
王都で知らないものはいないというほどの盛況ぶりで、劇場は毎日のようにその脚本を演じ、満員御礼の旗が連日挙がっている。
「昨日は、わたくしめの妻と三歳の娘が見に行ったんだそうですが、それはそれはよい舞台であったと。特に、魔女が戦士に本心を吐露する場面では、婦女は涙し、紳士は思わず感嘆の息を漏らすほどだそうで」
「……」
その脚本が、実は本当にあった話をモデルにしているらしい、という噂が発端だった。
アイスフィールドは聖地のような扱いを受けているようで、実際に赴いた、もの好きな貴族もいたようだ。
それで帰って来たものは、みなキツネにつままれたような顔をしている。
口をそろえて言うのは、「美しい女が森の中に居て、クマのような男を従えていた。目が合ったと思った瞬間、森の入り口に戻っていた」というもの。
あまりにも不思議な出来事に、憶測が憶測を呼び、ついには「アイスフィールドに住む魔女と目を合わせると、命を取られる」という内容の噂が出回ったというわけである。
物語や舞台などを嗜み、こよなく愛するルルフィーナ王妃ならば、きっと興味を示すのではないかと、その話を持ってきたのだった。
「脚本の作者が誰か、わかっていないところも噂に拍車をかけているようですな。まあ、取り締まるほどのものではないかと思われますが、一応お耳に入れておいていただければと……」
臣下がそう言って王妃の方を向いた。
珍しくこの手の話題に食いつかなかったことを不思議に思ってのことでもある。
いつもなら、流行りの舞台の話など一番に仕入れて来そうなものだが。
(近頃、立て込んでいてお忙しそうだったからな。王妃様もお疲れなのだろう。国王陛下と共に、お仕事がひと段落したら劇場の席を予約しておくか)
臣下はそんなことを考えていたのだが、王妃の顔を見て目をまんまるにした。
「王妃様……?」
王妃は両手で顔を覆っていた。
耳まで真っ赤になっている。
長く仕えてはいたが、こんな反応をする王妃の姿ははじめてで、一同は言葉を失くした。
「えぇ……あの脚本、そんなに流行っちゃったのぉ……?」
手慰みのつもりだったのに、と嘆く王妃に、臣下の一人が何を思い出したのか、「あ」と声を発する。
「そう言えば、王妃様の部屋付きの侍女のところに王立劇場の関係者が来ておりませんでしたか?」
それは他の臣下にも覚えがあった。
国営印刷所の職員が顔を出したり、こちらは商会の人間だが、出版社の人間が来たときに取り次いだこともある。
てっきり、王妃が本を仕入れるための人脈であると思っていたのだが……。
「実はその脚本書いたの、わたくしなの……」
一番最初に動いたのは、昨日娘が舞台を見に行ったと言った臣だ。
懐からおもむろに取り出したのは、ペンとハンカチである。
「王妃殿下、失礼とは重々承知で申し上げますが、サインを一筆いただけませんでしょうか……?」
「え~? そんなに持ち上げないでくださいな。恥ずかしいではありませんか」
「娘に持ち帰ってやりたいのです!」
「え~?」
まんざらでもない顔をしながら、王妃はさらさらとそのハンカチにペンネームらしきサインを記す。
大袈裟な礼をして、その臣はおそらくこの世に一つしかないであろうそのハンカチを受け取っていた。
「それにしても、どうしましょう……。フィアリルの迷惑になってはいないかしら……? お、お手紙を書いて許しを……いえ、それよりもあのクマみたいな旦那のほうが厄介かしら……」
一人でブツブツと何かしゃべっている王妃はしかし、政務をする手は決して止めない。
ものすごい速さで印璽を押し、サインを引いている。
しかも適当ではなく、確実に目を通し、本当に必要な政策だけをきちんと選んでいるようだ。
臣下たちが確認で目を通すが、意見を申し立てることは少ない。もちろんまったく言わないわけではないが、彼女の仕事は大抵完璧だし、臣下の諫言も決して無為にはしない。
「まずは、ええと、あの子の居場所は分かるのだし、通信魔法を飛ばさなくちゃ。弾かれないといいのだけど……」
彼女の執務机には、西の技術大国ヴィスドムから贈られた魔電話が置かれていたが、どうやら今回は通信魔法を使うらしい。
よほどプライベートな用事なのか。
通信魔法は、相手とのつながりが強固でなくてはうまく繋がらないとされている。魔法使いでない彼女が唯一使えるこの魔法は、魔法使いの友人から教わったものだと聞いたが、もしやその友人とやらが、件の魔女だったりするんだろうか。
「もしもし、フィアリル……?」
『―――ルルフィーナ!? めずらし! 久しぶりだねぇ! どうしたの?』
のんびりのほほんとした声が魔法陣から聞こえてくる。
三人いる臣下のうち二人は、その声と名前に聞き覚えがあった。
以前、この王宮に勤めていた優秀な官吏で、二人の上司であった女性のものだった。
もはや伝説とも言われるその上司のことを知らない若手の臣は、俊敏な動きで陣のそばに移動する他二名の臣の様子を目を白黒させて見ている。
「ごめんなさい。今、セントランドで、わたくしの書いたあなたがモデルの脚本がヒットしてしまったみたいでね、そちらに聖地巡礼とか何とかで足を運ぶ人間が増えてしまったそうなの……迷惑になっていないかしらと思って……」
『あー、だから最近この辺りに人が多いんだ……。まあ、私の家に来るには『鍵』がなくちゃいけないし、気にしなくても大丈夫だよ』
「本当にごめんなさいね」
『いーよいーよぉ。あ、この前出産祝いに贈ってくれた毛糸、ありがと! ルーベルがね、「腕が鳴るなぁ」って喜んでたよ』
「まあ! 本当? わたくし、とっても悩んだのよ。材料を贈ればいいって気づけたわたくしは多分天才よ」
『大丈夫、多分じゃなくて天才だから……ていうと、調子に乗っちゃうかな? 私の親友は』
軽い口調でぽんぽんと繰り出される会話は、とても親しげで、普段の完璧な王妃のふるまいからは想像もつかない。
いつまでも話していたい、というような気安げで安心しきった王妃の表情は、忙しくて、しばらく張りつめていた執務室の空気をやわらげた。
『仕事が落ち着いたら、遊びにおいでよ。ルルなら、『鍵』を開けても問題ないし』
「まあ! いいの? せっかくだし、キャロットケーキを焼いちゃおうかしらぁ」
『わああ……ルルのキャロットケーキ、久々だなぁ……。あっ! それなら子供たちも連れておいでよ! うちの子たちも喜ぶし。送り迎えまで責任もって、魔女のフィアリルがやるからさ。久しぶりに、ゆっくりしようよ』
「お言葉に甘えちゃおうかしらぁ……。最近、子供たちとの時間もとれなくて……さびしい思いをさせていたから」
『ルル』という愛称は、今ではジェームズ国王陛下しか呼ぶことを許されないやんごとなき呼称であるが、その声の主は随分前からそうしているかのように違和感なくそう呼んだ。
子供たちに寂しい思いをさせていた、という王妃の本音を何とはなしに聞き出してしまうその女性の声は、他の臣を驚愕させるに十分だった。