婚姻魔法で縛られたので嫁さん一筋で生きてゆきます
「『婚姻魔法』?」
「そう、私たちで『婚姻魔法』を結びましょう」
そう言って、金色の長い髪をなびかせて、微笑むアリシア。彼女の顔は優しさに溢れ、整った顔立ちとも相まって、まるで女神が降臨したかの様な神聖さを感じさせる。
見慣れているはずの彼女の笑顔。それなのに、何度見てもドキドキして、ときめきが止まらない。そんなことを思いながらもハロルドは、微笑み返す。
「それはいい考えだね、僕らの愛は永遠だから」
緑の短髪で精悍な顔の彼が微笑むと、まるで子供の様な純粋さを想起させる。その透き通ったハロルドの笑顔に、アリシアは彼の心の中のことなど気づくことなく、ドキドキが止まらなくなっていた。
「婚姻魔法」とは、契約魔法の一種で、結婚を誓い合った者同士が行う、永遠の愛を誓う魔法だ。この魔法を結んだ者同士は絶対に裏切りを許されない。相手に害をなす行為をしたり、浮気などをすれば、魔法の効果により最悪、死に至る。尤も、裏切り行為を考えただけで全身に激痛が走るので、実行に移すなんてことはまずできないが。
もちろん、離婚することも出来ない。
この魔法を悪く言う人達もいる。彼らは、「『婚姻魔法』は結婚版の奴隷魔法だ」と言う。相手を意のままにする様な奴隷魔法とは多少違うが、縛るという点ではさほど変わらない。それどころか、契約期間を自由に決められれる奴隷契約魔法と違い、「婚姻魔法」はどちらかが死ぬまで、一生続く。そんなものは「愛の奴隷にすぎない」というのが彼らが主張する意見だ。
だが、今時「婚姻魔法」なんて滅多なことでお目に書かれるものではない。その理由は歴史的経緯があった。
50年ほど前には、結婚に際し「婚姻魔法」を結ぶことが法的に決められていた。結婚は家と家との結びつき。お互いの家に不利益がないように、友好を結ぶという意味で、行われていたと聞く。
だが時代が進むにつれ結婚の意味が変わってきた。家と家との結びつきというものから、当人同士の感覚によるものに移り変わってきた。
そうなると、軽い気持ちで結婚したが、合わないため離婚したい等と言い出す者が出てきた。
しかし、「婚姻魔法」の契約により離婚はできない。
その要望に呼応するかのように「婚姻魔法」を破棄することを商売にする者が現れはじめた。彼らは離婚屋と呼ばれた。
元来、契約魔法の破棄はご法度である。理由は言わずもがな。商人が取引契約を破棄して、金を払わないなどのトラブルが起きたら、商売が成り立たなくなる。商売以外でも、機密を漏らさない契約に破棄される不安があれば、契約の意味はないも同然。社会が混乱する。
そのため、契約魔法を破棄する魔法は厳しく制限され、隠匿されていた。「婚姻魔法」も契約魔法の一種であるため、それを解除することはご法度であったのだ。
しかし、秘密とはどこかから漏れるもの。経緯は不明だが、契約破棄の魔法を入手した裏稼業の者が、離婚屋として手を広げていったのだ。
離婚屋は厳しく取り締まられ、頼んだものも摘発されていった。
しかし離婚を望む人たちは無くならず、離婚屋は新たに発生し、無くなることはなかった。
また、取り締まりの回避も巧妙であった。離婚屋のアジトを特定し踏み込んだときには蛻の殻、ということも多々あり、摘発することも難しくなっていった。
そういったことが何年も繰り返された結果、とうとう、結婚に際して婚姻契約を行うという、法そのものが無くなった。人々は結婚も離婚も、当事者の自由に行えることとなり、契約を破棄する離婚屋の存在も消えて行った。
それが50年ばかり前のこと。
以後は有力者同士の政略結婚など、よほどのことでしか「婚姻魔法」が結ばれることは無くなっていた。
そんな「婚姻魔法」をアリシアとハロルドは結ぼうと言うのだ。しかし、時がたちすぎていて、「婚姻魔法」について、儀式の手順など、具体的なことがわからなくなっていた。結婚式を執り行う神官ですら、二人に相談され、面食らっていた。当初、神官は遠回りに「婚姻魔法」を避けるように言ってきたが、特に、アリシアに食い下がられ、その熱意に負け、了承せざるを得なかった。
行われなくなって久しい「婚姻魔法」の手順は、結婚式を執り行う神殿でも、覚えているものは少なかった。それでも、神官は「婚姻魔法」について調査し、ついに神殿の記録を見つけ出した。そして、儀式の準備は、当日までに滞りなく進められることになった。
結婚式当日。
久しぶりに「婚姻魔法」が結ばれるとあって、 二人の親族、友人、関係者のみならず、直接のかかわりのない者や、たまたま訪れていた旅行者まで、好奇心から参列しており、神殿は二人の結婚式を一目見たいと思う者で溢れかえっていた。
大勢が見守る中、神殿の一番奥に立つ神官に、向かい合うように立つ新郎新婦。
神殿内は満員のであるにも関わらず、まるで無人であるかのように、しんと静まり返っていた。
その中に、神官の声が響き渡る。
「アリシアよ。そなたは、清い家庭を作り、健やかなるときも、病める時も、喜びのときも、悲しみの時も、富めるときも、貧しいときも、妻としての分を果たし、死が二人を分かつまで、夫ハロルドを愛し、支え、真心を尽くすことを誓いますか?」
アリシアが右手を上げ、厳かに答える。
「誓います」
「ハロルドよ。そなたは、清い家庭を作り、健やかなるときも、病める時も、喜びのときも、悲しみの時も、富めるときも、貧しいときも、夫としての分を果たし、死が二人を分かつまで、妻アリシアを愛し、支え、真心を尽くすことを誓いますか?」
ハロルドが右手を上げ、厳かに答える。
「誓います」
二人の言葉を聞いた、神官が静かに言う。
「ここに、二人の誓いはなされ、準備は整った。それでは契約の証をここに示し、『婚姻魔法』の成就をなさい」
アリシアとハロルドは向かい合う。そして、お互いの手を合わせ握り、見つめ合う。しばし見つめ合ったあと、二人の顔が近づいて行く。
唇と唇が重なり、二人は抱きしめ合う。二人の体が重なり、一つになったそのとき、神々しい光が発せられた。
今ここに、「婚姻魔法」により永遠の愛を誓った、一組の夫婦が誕生した。
「素敵!」
「ブラボー!」
「素晴らしい!」
「ハロルドー! アリシア―! お幸せに!」
「『婚姻魔法』ばんざーい!」
今まさに誕生した夫婦への、参列者からの祝福の声と拍手が鳴りひびく。未だ光り続ける二人は晴れ晴れとした表情で、お互いから離れると手をつなぎ、まばゆい光を発しながら、神殿から歩き去っていった。
「婚姻魔法」というものを一目見ようと神殿に来たにもかかわらず、満員で中に入れなかった者たちは、光り輝きながら、笑顔で神殿から出てくる新婚夫婦を見ると、感動の余り声を上げながら、拍手で二人を祝福するのであった。神殿から広がる拍手の渦は街中に響き渡っていた。
「婚姻魔法」が行われなくなって50年。この2人の結婚式は、街中の話題となっていた。神々しい光に包まれ、抱き合い、口づけをする二人を見た者は、興奮さめやらぬままその様子を語り、その瞬間を見られずとも、光り輝きながら神殿を去る二人を、拍手で見送った者は、うっとりしながらその時のことを語った。
やがて、吟遊詩人が語る定番の物語となり、最も純粋な愛の物語として、演劇の題目ともなり、人気を博した。
この結婚式が語り継がれる中で、現代の若者の間では、永遠の愛を誓うと言う意味で「婚姻魔法」が見直されることとなった。そして、結婚の際に「婚姻魔法」を結ぶことが一大ブームとなっている。
しかし、ひと時の感情で「婚姻魔法」を結んでしまい、離婚することもできず悩む者も少なからず存在した。
違法な契約破棄を生業にする裏稼業、離婚屋の摘発もされ始めており、「婚姻魔法」は再び、現代の社会問題となっていくのであった。