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アセンブル3 ― backstage  作者: 桜木樹
第一章 backstage
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第8話 牛山太郎の場合

 結婚とは人生においての一大転機である――


 それによって(のち)の人生が幸福なものとなるか、あるいは不幸となるか……


 俺にとってのそれは間違いなく後者だった。


 …………


 芸能生活の中で絶頂期を迎えていた俺は、多忙なスケジュールの合間を縫っては夜な夜な女遊びを繰り返していた。派手に遊んでも大抵のことなら金で解決できていたし、多少のことなら事務所がなんとかしてくれた。だがいくら金があっても他人をいのままに操ることなんてできない。


「私のお腹の中にはあなたの子どもがいます」


 そう告げてきたのは数ヶ月前に一夜をともにした女。その場限りの関係だった女。


 俺は女の言葉を信じなかった。その理由は、こういうことを言い出す(やから)はこの女がはじめてではなかったからだ。

 トップスターにまで上り詰めると途端に親戚や友人が増えた。それと同時に身に覚えのない元カノや子どもも増えていった。だがそれらはあくまで“自称”だ。


 だから、その女の言葉を聞いた時の俺の心境は、


 ――ああ、またか……ってな具合だった。


 しかし、その女は本当に俺の子を孕んでいた。それがわかるのは、約7ヶ月後のことだった。


 …………


 あの時の女が赤子を抱いて再び俺の前に現れた。


「この子はあなたと私の子です」


 そして、また同じ言葉を繰り返す。

 

 しかもご丁寧にDNA鑑定の証明書まで持ち出してきたのだから信じるしかなかった。なまじ一度寝たことがあるだけに言い逃れができない。このことが公になれば俺の芸能生活に支障が出るのは必然だ。


「いくら欲しいんだ?」


 いつものように金で解決しようと試みた。


 だが、返ってきた言葉は、「金はいらないから結婚してくれ」だった。


 正直耳を疑った。


 相手から見れば毎日テレビで見ていて、いつも会っているふうな錯覚を覚えるのかもしれないが、こっちにしてみればたった一度しか会ったことのない人間だ。


 そんなやつと結婚などできるわけがない。


 だが、その女は結婚してくれなければこのことを公表するだの、週刊誌に売るだのと半ば脅迫まがいなことを言い出した。


 俺にも落ち度はある。ここでごねて話が大きくなれば世間体が悪くなるのは俺の方だ。だが俺はアイドル売りしている人間だ。その俺が結婚などしようものならファンが黙ってないだろう。


 それでも事を大きくするのは得策ではない。そう判断して、事務所を交えて協議を重ねた結果、俺は結婚という選択を選ばざるを得なくなった。


 まあいい。


 結婚しても芸能活動ができなくなるわけじゃない。もちろんファンはごっそり減るだろうが。


 ――と、そんなふうに考えていたのも束の間。さらなる悲劇がオレを襲う。


 …………


 俺に対するネットによる誹謗中傷。こんなものは予想の範疇だった。


 普段ネットを利用しない俺にとっては蛙の面に水だ。しかし予想外だったのは、俺のファンの一部が結婚相手に対する誹謗中傷や殺害予告をはじめたのだ。


 ――相手はどこの誰でどんな奴だ!――


 息巻いた連中が、犯人を血眼になって捜す警察のように特定作業を始める。俺という人間に興味のなかった連中までもが面白がって騒ぎに便乗する始末。

 まったく別の女性が俺の嫁として祭り上げられ、それに対してのクレームが俺の事務所に寄せられてくる――


 溜まったものではなかった。


 はっきり言えば、自分の結婚相手に対する愛情など1ミリもない。そいつがどうなろうと俺の知ったことではなかった。だが、無関係の人間に迷惑がかかって仕事がやりにくくなるのは不本意だ。


 事務所が最終的に下した判断は一時休業だった。


 …………


 ほとぼりが冷めるまでの間。俺は空虚な時間を過ごしていた。


 外に出れば他人の目があるし、いつもに増してマスコミの目が多い以上ずっと家にいることになる。家にいれば妻と会う機会も増えるが、そこには会話らしい会話はなかった。同じ家に住んでいる赤の他人状態。


 家事子育てはぜんぶ相手に任せっきり。これを機に手伝おうとも思わない。


 一刻も早く芸能界に復帰したい――


 あのステージに立ってスポットライトを浴びて――


 ファンの黄色い声援を浴びて――


 そんなことばかりを考える毎日だった。


 …………


 夫婦間で久々に会話らしい会話をした。


 それは相手からのお願いだった。


 家事を手伝えとか、子育てを手伝えとかそういった文句を言われるのかと思っていたら違った。


「もう芸能界には戻らないで」だった。


 理由を訊くと、妻は俺に手紙を差し出した。


 それは脅迫文だった。


 ドラマの撮影なんかで目にしたことはあるが、本物を見るのははじめてだった。俺宛に事務所にそういったものが何度か届いたという話は聞いたことがあるが、そいうのは俺のもとに届く前にマネージャーや事務の管理のやつが検閲して弾く仕組みになっている。

 こんなものを本当に送りつけてくるやつがいるのかと心底呆れた。


 恐怖は感じていなかった。


 なぜなら脅迫の相手が俺じゃなくて妻だったからだ。


 未だ執念深く妻を特定しようとしている輩がいるらしいことは知っていた。そいつらがついに俺の自宅の住所を割り出したのだろう。


 妻は俺が芸能界に復帰すると家でひとりになる時間が増えることを危惧しているのだろう。俺が家にいることで少なくとも相手は手出ししてこないと思っている。


 確かにそうかもしれない。


 ――だからなんだと言うのだ?


 俺には関係ないことだ。


 …………


 休業をはじめてからおよそ3ヶ月。


 テレビからはすっかり俺の話題が消え去っていた。同時に俺の中には焦りが芽生えていた。


 芸能人にとって忘れ去られることほど辛いことはない。次々と新しい役者やアイドルが売れていくと俺の居場所がなくなってしまう。まだ事務所をクビになってはいないがそれも時間の問題のように思えた。


 そんなとき、俺のもとに一本の電話が掛かってきた。


 電話の相手は安西(あんざい)という名の映画監督で、昔一度だけ一緒に仕事をしたことがある人だった。


 正直な話、監督としての腕は三流以下。だが芸能界への復帰の足がかりになるのならば、それがどんなに頼りない藁だろうとも縋りたい気持ちだった。


 安西監督からの連絡の内容は、新作映画への出演依頼だった。


 ――ビンゴ!!


 心の中で指を鳴らした。


 電話では努めて冷静に会話に応じ、俺は打ち合わせの日取りをこぎつけた。


 なんでもその映画は、俺が出演していることを完全に隠して公開して、最後にその存在を明かすという演出がなされるというものだった。芸能界復帰のサプライズとして俺のために用意された映画。特撮というのが如何ともし難いが、贅沢が言える立場にないのはわかっている。


 しかし……


 ここに来てまたも妻の存在がネックとなった。


 なんとしても芸能界復帰を認めようとしない妻。果ては真実を公表すると言い出す始末。


 世間的には俺と妻は少し前から付き合っていてその末に結婚したことになっている。それが実は一度会っただけの女を孕ませてしまい、仕方ないから結婚しました――なんてことがバレたら休業どころの話ではない。


 ――どうしてこうもうまくいかないのだ。


 俺の中の彼女に対する感情は『無』から徐々に『憎しみ』に変わっていった。


 …………


 クスリの話ってのは金のあるやつの所に来るものだ。俺も芸能界にいた頃に何度かお誘いの話をもらったことがある。


 もちろん全部断っていた。


 だが、よもやこんな形で自分から連絡することになるなんて思ってもいなかった。


 問題は今もその連絡先が通じるかどうかだったがそれは杞憂に終わった。いくつかあった連絡のうち最初に選んだものが普通に繋がった。


「クスリを売ってくれないか?」


 そう伝えると、トントン拍子に話は進む。


 取引場所はディバインキャッスル。日程は気にしなくてもいいと言われた。とにかくそこへ行けばクスリを渡す。それだけだった。


 最後に俺は、致死性の高い強烈なやつがいいとお願いした。


 …………


 ディバインキャッスル。


 噂程度には聞いていたが、実際にそこへ足を運んでみると、クスリの取引にこれほどまでに適した場所はないと思った。


 金は先に渡してあるのであとはクスリをもらうだけ。ただそれだけのはずだった……が、ここでまたしても不運な出来事に見舞われた。


 コンシェルジュとして付いてきた女が俺のファンだった。しかも厄介系の勘違いなファン。


 森園かな子――素朴で内気な第一印象とは打って変わって彼女は押しの強い女だった。


 いきなり部屋に押し入ってきてファンです、好きですの連呼。それから「これおそろいなんですよ!」と左手の指輪を見せびらかしてきた。俺が昔主演を務めていたドラマで使っていた小道具と同じものらしいのだが記憶にない。


 いつも思うが、熱心なファンは俺以上に俺に詳しい。職業柄仕方ないとは言え、こういうのに関しては薄ら寒いものを感じずにはいられない。


 彼女は、食事だけでもとしつこく迫ってきて俺の部屋で共に昼食を取ることになった。


 饒舌に語る彼女の話を適当に聞き流しながらこの状況をどうしたものかと考えていた。


 そこでふと思いついたのがさっきもらったクスリだった。もらったクスリは14錠。少しくらい使っても大丈夫だろう。それに、このクスリがいかほどのものかここで試しておくのも悪くない。


 もちろん殺すつもりなんてなかった。ただ黙らせようと思っただけだった。


 俺は死角になっているテーブルの下で、手の感覚だけを頼りにクスリを2錠取り出す。それを彼女が見ていない隙を狙ってワインのボトルに入れた。

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