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狡知の勇者とファーストステップ

作者: 友里 一

 初めてやつと出会った時。その目が心に焼き付いた、

 人ならぬ異形のものに姿を変えていても。

 いやだからこそ。

 その目の貪欲に、真摯に、何かを求めるギラつきが強烈に心に訴えかけてきた。




 異星人やミュータント、人ならざる姿を持つ者たちが現れ、数々の衝突や惨劇の後、彼らは徐々に社会に受け容れられつつあった。

 オッド・アビリティ──OA──頭文字をとってそう呼称される彼らは、時に価値観や権利、その他諸々の問題を抱えつつも地球の他に寄る辺なく、または惹かれ、普通人に交じり暮らしていた。

 過渡期の『あの頃』の大規模な混乱は去っていたが、まだまだ平穏とは言えない時代だった。

 僕は少しでもかつて、平和と呼ばれた時代に僕の街を近づけたくて警官……それもOA事件への対処をメインとする部門を希望した。

 しかし実際配属されてみると、期待していた熱は、そこにはなかった。

 『あの頃』の残した爪痕は余りに大きく。いくら『あの頃』と呼び過去にしようと試みても、明らかに現在と地続きだった。

 いくら頑張ったところで。

 一人が大海に石を投げ入れたところで大波を起こすことは出来なかった。

 頑張ろうが頑張るまいが、今日も明日も犯罪は起こり人は死に、悪は栄える。

 そんな時代で空回りを続ける内、僕自身も熱を失い、日々の業務を淡々と熟し、事件もおざなりに、問題の出ぬ程度に適当に向き合い、昇進のことしか考えなくなっていた。

 そんな時、やつと出会った。


 ――OA者同士が揉めている。

 そんな通報があった。

「武宮、お前行け」

 先輩が気だるげに僕に振った。

 しめたと思った。楽な仕事になると。適当に潰し合わせて勝った方を鎮圧すればいい。

 それだけでも昇進への点数稼ぎになる。

 そんな気分で僕は自分のCOATを装着し、現場に向かった。

 対特殊犯罪機構・COAT――Counter on Odd Ability Troopers――

 それが僕の所属の名であり、また装備の名であった。

 全身を覆うナノマテリアルで構成されたパワードスーツはライフル弾すら跳ね返し、筋力を補助し、岩すら砕く力を与えてくれる。

 しかしその日の現場は、そんな装備に守られていても怖気の奮うものだった。

 二人のOAはどちらも傷だらけで、アスファルトには最早どっちのものかも解らない血だまりがいくつも出来ていた。

 正面が伺える一人は服を着た熊のような姿。

 ぬいぐるみのような可愛いらしいものではなく、全身これ筋肉といったゴツゴツとした体に触れるだけで皮膚を切りそうな剛い毛がびっしり生えている。

 そして――コイツ自身の想像から得たものだろうが――小刀のような鋭く長い爪を備えていた。

 何よりその殺意の籠った目が恐ろしかった。目の前の小男をどう殺すか思案するような目。

 もう一人は後ろ姿しか拝めない。熊のOAより一回り小さなその男は、鬼を思わせる風貌だった。黒のジャンパーを羽織り、黒い金属性の皮膚を持つ一本角の鬼。

 双方既にボロボロだった。肩で息を切らし、身体のあちこちから出血している。

 止めなければ、と思うが、どちらもまだ殺気に満ちている。どちらを抑えるか。判断を誤れば一方が勢いづいて、もう一方を殺しかねない。

 現場に張りつめていた緊張の糸が、僕にも結びついていた。

 黒鬼が腰を深く落とす。その手には苦無が握られているのが見えた。飛び掛かる前触れを見せ、僕はやむなく銃を構え叫んだ。

「そこまでにしろ! COATだ‼ それ以上続けるなら実力を行使して鎮圧する‼ 無事は保障できない‼」

 手持ちの銃の弾丸はショック弾ではある。打ち込まれれば体が麻痺して動きを止める非致死性の武器ではあるが、元より個体によって能力に大きな差のあるOA能力者を『これくらいなら死なないだろう』という程度の調整がなされており、過信するのは危険である。相手のフィジカル次第で予期せぬダメージを負うことも、全く効果がないことも有り得る。

 熊が口を開いた。

「どうする? おまわりが何か言ってるぜ」

「おめぇが謝るんならやめてやってもいい。出来るか? 地面に手と顔くっつけてごめんなさいって言うんだよ」

 熊が鼻で笑い、口に溜まった血を地べたに吐き捨てた。

 それを合図に、黒鬼が飛び掛かった。

「! 止せ‼」

 僕は反射的に銃の引き金を引いた。

 銃口から飛び出したショック弾は、黒鬼に着弾――せず、その直前で静止した。

 どちらかのOA能力――おそらくは黒鬼の――が発動したのだ。

 黒鬼はそのままの勢いで熊に肉薄し、苦無で切り付ける。

 熊はそれを無視して腕を振り下ろし、黒鬼を打ち据えた。あたりに鈍い音が響く。

「今ので何本目かな?」

 確かに骨が折れた音だ。だが黒鬼の方はそれをものともせず、熊の背後に回りこみ、また切りつける。

「ご心配はありがてえがよ。自分の出血量気にした方がいいんじゃねえか」

 熊は舌打ちしながら、黒鬼の方へと向き直る。

 僕はどうするべきか動きあぐねていた。第二射を放った所で、また止められるだけだ。

 と、静止していた弾丸が動き出し――

「お、ぐっ」

 熊の背中に着弾した。

 痙攣したかと思うと、そのまま地面にくずおれる。

 体格から考えて、熊の方を昏倒させるには二発必要だと思っていた。

「血ィ流し過ぎたな」

 黒鬼は、せせら笑うように言う。

 熊の身体には、苦無によるものだろう切り傷があちこちに見受けられた。

 アスファルトに流れた血の大部分は熊のものだった。

 意識がかなり朦朧としていたはずで、ショック弾一発で倒れた理由が理解できた。

 ともあれ、戦闘は終わった。

 黒鬼に声を掛けようとしたところ。

 黒鬼が熊の頭をがっしと掴んだ。

「謝れよ」

 頬をぴしゃぴしゃと叩き、気付けをしようとしている。

「待……お前、もう気絶してるだろ!」

 慌てて黒鬼に組み付き羽交い絞めにする。

「だから起こすんだろうが! 邪魔すんじゃねえ! 俺はこいつの口から謝罪が出るまで止める気はねえ‼」

 黒鬼は完全に頭に血が登っていた。

 しっかり掴んではいたが、これだけぼろぼろの身体のどこに力が残っているのかと思う程、力強くもがいていた。

 このままでは話にならない。止む無く羽交い絞めからバックチョークに移行し、しめ落とした。

 意識が途切れるまで、黒鬼は暴れ続け、熊からの謝罪を引き出そうと叫び続けていた。




 黒鬼が眠っている間に、所持していた身分証から、身元を割り出すことが出来た。

 名は鉄 七生。職業は探偵となっていたが、用心棒や人探しなど荒事を取り扱うことが多いらしく、また対OA犯罪特別協力要員として登録されていた。

 悪い意味で名は売れているらしく、署に担ぎこんだ時、先輩にはイヤそうな顔をされた。

「面倒な奴と関わり合いになったな」

 署のデータベースを参照しても大分素行が悪い。普通は要員なら自由の飛び道具の携行不可。刃物も刃渡り5CM以下の物に限るとなっていた。

 過剰な暴力の記録が非常に多い。これ以上積み重なれば登録抹消も有り得る要注意人物としてマークされていた。

 目を覚ますと、これもOA能力によるものか、彼の怪我は大方治っていた。簡単な検査な後、問題なしとして聴取が始まった。

 人間の姿に戻った鉄は、中肉中背の男だった。

 大雑把に刈られた髪、ボロボロになった黒のジャンパーと相まってうさん臭さを漂わせていた。

 不服そうに曲がった眉。その下のㇶネた目つきがなにより印象的だった。その奥に何か、強烈な意志が隠れている気がした。

「襲われたから抵抗した。他に言うことはありませんやね」

 七生の態度は不遜だった。何を聞かれても不機嫌に同じことを繰り返すばかり。熊の方が先に何か吹っ掛けたらしいこと以外、何もわからなかった。

「お前もプロならそんだけで帰すワケにいかないのは分かってるだろうが!」

 同席した先輩は次第に熱くなり、聴取というよりは取調べの様相を呈していた。

「後は熊野郎に聞きゃあ良いでしょうが。他に被害も出てねえ小競り合いでムキになっちまって」

 理由がどうあれ、負けた熊が口を割るかどうか。怪しいところだった。

「相手にあんだけ怪我さしといて……」

「俺だって重症ですよ。骨何本折れたか知れない。正当防衛の範疇だと思いますがねぇ」

 先輩と目も合わせず七生は素っ気なく答える。

「お前は能力でとっくに治っとるだろうが!」

「骨折したって事実はかわらねえわなぁ! ギリギリくっついてるってだけですよ。ちゃんとしたお医者の治療が必要なんだ。今だって痛くてしょうがねぇんだ」

 そう言って、わざとらしく体をさすって見せる。

「……いい加減にしないと探偵許可も特対も取り消すことになるぞ」

 そっぽを向いていた七生の目が先輩を捉えた。

「どうぞ。お好きに。俺も許可があろうがなかろうが好きにやるだけです」

 先輩が何か言おうとしたが、七生は思わず口を挟んだ。

「好きにやる、とは具体的に何をするつもりなんだ?」

「さっきのCOATか。援護射撃どうもな」

 先の戦闘に居たのが僕だと、声と体格で察したらしい。

 礼のような皮肉を言われて僕はどきりとした。そもそもはこの男を狙って引き金を引いたからだ。

「俺はな。気に入らねえ奴を痛めつけてやりてえだけなんだ。それでこの商売やってる。それさえできりゃあ他はどうだろうがいいんだ!」

 僕はまたどきりとしていた。目の奥にある強い意志の正体がわかったからだ。

 これまで触れたことのないような、純粋で苛烈な憎しみ。

 それがこの男を突き動かしているらしかった。

 先輩がまた何か言おうとした所で、部屋のドアが開いた。

「熊の方のOAの被害者を名乗る女性が来られてます」

 ドアを開けた同僚が言った。

 七生の舌打ちが聞こえた。




 被害者を名乗るのは東雲 若葉という女性だった。

 現場近くの酒場で、ウェイトレスをしているらしい。際どい制服がウリの店だった。給料は良いが、あまり良い噂は聞かない。

 黒目がちの大きな目。女性らしい体のラインをふわふわとした白いセーターが包んでいた。薄い桃色のロングカートも柔らかな印象を際立てている。

 黒く、艶やかな髪はルーズサイドテールに。

 なんとなく、小動物を思わせる、びくびくした印象だった。

「……あの、あの熊みたいな人に触られたんです。お店で。いやだって言ったのに……」

 女性の、震える声での訴えを、先輩は半笑いで聞いていた。

 確かにまだ気絶したままの熊のOAも評判は悪い。灰熊 嵐士。反社会団体との繋がりも見え隠れする荒くれ者で、女性にちょっかいを出してはトラブルになっている。

「本当です! 店のカメラにも映像は残ってます! それをあの人が助けてくれて……!」

 七生を指してそう言う。

「女に良いカッコしたかった訳ね」

 先輩は薄笑いで、腐した。

「関係ない!」

 七生は必死に反論する。

「あのクソ熊が俺の革ジャンをだせええっつーから喧嘩になっただけだ! その人は関係ない!」

 女性はぐ、と堪える表情で、七生の姿を見た。傷だらけになった革ジャンと穴だらけになったジーンズを。

 そして、決意の籠った声で言った。

「……とにかく、被害届は出します!」

「そんなことで?」

 先輩は鼻で笑った。

「あんまりねえ得にはならんと思いますよ。それどころか損かもねえ。最悪仕事続けられなくなっちゃうかもねえ。いいじゃないの。減るもんでなし」

 先輩は被害届を受け取るのを渋った。

 確かに被害届を出して、コトを大きくすれば若葉さんが仕事を続けられるか微妙な所ではあった。

 だからだろう。七生は何か言いたそうではあったが、むっつり黙ったままだ。先輩の態度は気に障るが、若葉さんの不利になるようなことは出来ない。

 先輩の本心は、この程度の犯罪では大して点数にならないというハラだろう。

 なんなら七生の方にうまいこと罪を着せた方がこれからの仕事が楽になる、そう考えているのが透けて見えた。

「それでも、出します」

「解りました。こちらへ」

 先輩がまた何か言う前に僕は立ち上がり、手続きを進めるべく別室へ案内する。

 僕が担当するなら先輩もそう文句はないだろう。

 部屋を出る時、七生は表情の読めない目で僕と若葉さんをじ、と見ていた。

 

 手続きはあっけないほどすんなり終わった。コーヒーメーカーで二人分のコーヒーを淹れていると、若葉さんが口を開いた。

「……あの。ありがとうございます」

「いえ、仕事ですから」

 嘘だ。少し前の僕なら、先輩と同じようになあなあにしようとしただろう。

 しかし、もっと前の僕なら、こうした筈だ。

 それを七生が思い出させてくれた。

 七生が熊に執拗に求めていた謝罪は、自分に向けてではなく、若葉さんに謝れと言っていたのだ。

 それに気付いた時。僕の奥で何かが、熱くなった。





 次の非番。僕は話したいこともあって、七生を訪ねた。

 前日の激務で夕方まで寝てしまったせいで、出発が遅れた。営業時間は終わっており、事務所に七生の姿はなかった。

 何人かに聞き込みを行い、七生の行きつけを見つけることが出来た。

 事務所からほど近い、ルポレという名の昼はカフェで、夜はアルコールも出すという店だった。

 洋風、アンティーク調の小奇麗な店内を覗く.。薄暗がりの中、七生の姿があった。

 あの日と違って元気だったし、身綺麗にしていたが、それでもどこなとくうさん臭い雰囲気は健在だった。

 カウンターテーブルについて、ウェイトレスと談笑しながらちびちびグラスの酒を舐めている。

 そのあからさまな陽気さは、見る人が見れば卑屈さを見出すだろう。

「ここ、良いかい?」

 七生の隣の椅子を引く。僕に気付いたウェイトレスがいらっしゃいませの声を残して、水とメニューを取りに行った。

 七生はすぐに僕と気付いた様子だった。

「良いが……奇遇だな、おまわりさん」

 ウェイトレスの後ろ姿にコーヒーを頼む。

「いや、話があって探したんだ」

「ふゥん……おまわりさんに目を掛けてもらえるとはね。光栄の至りだよ。急ぐのか?」

「緊急という訳じゃないが……」

「急ぎじゃないなら邪魔しねえで欲しかったがね……もうちょいで連絡先聞けたモンをよお」

 七生は不服気に頬杖をつくと、グラスの中身を一気に干した。

 それからふと閃いたように、

「酒は? 呑むほうか?」

「嫌いじゃないが……」

「そんなら一つ、遊ぼうや」

 僕にコーヒーを持ってきたウェイトレスを七生が呼び留める。

「すんません。ショットグラス二つと、この店で一番、強い酒。ボトルでお願いします」

 七生はニヤニヤと僕の手元のコーヒーを見ていた。

 七生の言う『遊び』とはおそらく、呑みくらべだろう。

 自信ありげだが、当の本人は相変わらず、ちびちび舐めている。

「……何呑んでたんだ?」

「これか? 梅酒。お湯割りだ」

 この店の照明のせいかも知れないが、七生の顔はうっすら火照って見える。

「……度数は?」

「たぶん九」

 僕は底知れぬ恐怖を感じた。

 なんだ……こいつ。なんでこんな自信満々なんだ? 九度の梅酒で……。しかもそのお湯割りで……どうしてこんなドヤれるんだ?

 何か作戦があるのか? 油断させるための罠か? それとも、そもそも呑み比べを企んでるというのが間違いなのか?

「お待たせしました。……ウチで一番強いのこれらしいんですけど」

 そう言ってテーブルに置かれたボトルは、スピリタスだった。

 最高の純度を誇る九十六度のウォッカ。微かな火の気でも引火し、消防法でも危険物に定められる酒である。

「あ、スピリタスあるんだ。へぇー……そうなんだ……」

 目に見えて七生の表情は曇っていた。

「弱いのに変えてもらうか?」

「うるせえ! 気ィ使ってんじゃねえ! ……いや? ひょっとしてお前、ビビッてんのか?」

「……」

 なんだ……コイツ……。

「さてルールは簡単だ。相手のグラスに酒を注いで、相手が飲み干したら、今度は逆に注いでもらって飲み干す。その繰り返しだ! 解ったか?」

「ああ……まあ……」

「代金は負けた方持ち。OK?」

「はい……」

「安心しろ。俺のOAは変身してなきゃ一般人と一緒だ」

 やっぱり呑み比べじゃないか。

 何でこの人こんなドヤ顔できるの?

 僕が若干引いていると、やや遠巻きに見ているウェイトレスにウインクして見せた。

 僕を出汁に呑み比べで良いカッコしたいらしいが、今時分呑み比べやらウインクやらでアピールするあたり、絶望的と言えた。絶対連絡先もらえないと思う。

「ッし。アンタからだ」

 そう言うと、トクトクと僕の前のグラスに注ぎ始める。

 こうして遊びは始まり。


 一瞬で決着がついた。

「なあ、もうやめておかないか」

「うぶべえ。ぼべばばだびぶばっぶびべべえ」

 口の中がスピリタスで一杯になっているせいで、七生のセリフは全部うがいの音に聞こえる。

 かろうじて負けを認めていないのは伝わってくる。

 七生は三巡目から怪しくなり、四巡目からは飲み込むのを諦めてどんどん頬に貯めていく作戦に出た。七生は顔のみならず、皮膚が見えている部分は全部真っ赤になっていた。

 それで僕は気付いたのだが、コイツは本物の馬鹿だ。

「ぶび、ぼばべぼばんばぼ」

 そう言ってボトルを掴もうとするが、無理に喋ったのがまずかったのか、七生はむせた。

「うぷっうふっうぶうう」

 口の中の酒をこぼすまいと踏ん張るせいで、顔面は大変悲惨なことになっていた。

 僕は深いため息を一つつく。酔いの調子はというと、今の所、全く回っていない。ピンピンしている。

 もう一つため息をついて、ボトルを掴み、

「べ?」

 そのままラッパのみで、半分程を一気に干した。

「は?」

 七生は驚きのあまり、口の中のスピリタスを飲み込んでしまった。

「僕の勝ちでいいね? 遊びだし、ムキにならないでくれよ」

「え? え?」

 七生が腰を抜かした。たとえでなく文字通りに。

 キャパ以上のものを一気に飲み込んだせいだろう。

「悪く思わないでくれ。実家が酒屋でね」

「クソ過ぎる。ファッキンコップがよ」

 そう言うと七生は床で意識を失った。

 どうしようこれ……。寝ゲロされても困るし。

「またですか、七生さん」

 呆れた様子でウェイトレスが言った。

「あ」

 髪型をストレートに変え、この店の制服を着ていたために気がづかなかったが、そのウェイトレスは若葉さんだった。

「あれ? あ、あの節はお世話になりました!」

 制服でないためか、若葉さんの方も僕に一瞬気付かなかったらしい。

 心なしか、あの時より表情も明るく見える。

 僕も慌てて会釈を返す。

「またってことは、よく潰れてるんですか? この人」

「ええ。しょっちゅう!」

 あの日からそう経ってないのにしょっちゅうってそれ毎日ってことになりませんかね。

「どう処理してるんですか?」

「店長が後で捨ててくれます。適当な所に」

 捨てちゃうんだ……。

 己の運命を知ってか知らずか、七生はわりかし安らかな寝息を立てている。

「というか店、移られてたんですね」

「はい。あの後やっぱり辞めることになって。困ってたら七生さんがこのお店、紹介してくれたんです。信頼できるからって」

 そう言って七生を見る若葉さんの目は優しい。

 とてもこの後捨てられる者を見る目ではない。

「案外、面倒見良いんですね……」

「ええ。確かに評判は悪いですし、バカだし、ファッションも言動もダサいし、間が抜けてるし、目つきがいやらしいし、ギャグセン低いし、バカですけど、本当に付き合いある人で、七生さん嫌ってる人ってあんまり居ないと思います。バカだけど」

「案外毒吐きますね」

 すげえバカ強調するあたり、本当にバカなのだろうな、と思う。

「私も感謝してるんです。このお店、ほんとに良い所だし」

「その恩人後で捨てられるんですよね……」

「まあ次の日にはリスポンしてるしそういうものなんだなって……」

 扱いがゲームの雑魚のそれ。

 扱いは兎も角、七生のスタンスというものがおぼろげに見えて来たのは大きい。

 ワンチャンス狙いの下種な下心は確実にあるだろうが、この一連のバカなふるまいも、おそらく若葉さんを元気づけようとしてやったことなのだろう。センスはないが。

 呑み比べの流れで、一瞬、持ってきた話はナシにしようかとも思ったが、やっぱり、話そう。

 僕は腰を落とし、七生の身体を起こした。

 うっすら目を開け、回らぬ呂律で言う。

「ぁんだ?」

「帰ろう。充分呑んだろ。送るよ」

 何やらむにゃむにゃ言うのが聞こえたが、構わず肩を貸し、半ば引きずるようにして歩いた。

「お会計を」

 若葉さんに声を掛けると、ちょうど来ていた店の男性が言った。

「コーヒー代だけでいいですよ。あとはそのバカに付けとくんで」

 ダンディな髭を蓄えたナイスミドルは、苦笑しつつ言った。

「転がしといてもらって大丈夫ですが……ご友人ですか?」

「……どうでしょうか」


 店を出ると、夜風が酒で火照った体に心地良かった。

「おわ!?」

 感触が変わったのでふと七生を見ると、あの日見た姿、硬質で無機質な鬼のような姿に変わっており、僕は驚いて手を放してしまった。

「いってぇなあ。起こしたり引きずったり付き飛ばしたりよお……俺は〇〇(考え中)じゃないんだよ」

「すまん、いきなり姿が変わったから」

「あぁ?」

 七生は自分の手を見る。

「あー。命の危険を感じて勝手に変身しちまったらしいな」

「酒でか?」

「そうなるな」

「めちゃくちゃ酒弱いんじゃないか……なんで酔った時点で変身しないんだ……まさか……」

 ツケを払いたくないばっかりに店外で変身して酔い覚ましてるのでは? という疑惑が持ち上がる。

「バッカ。見損なうな。そこまで落ちぶれてねえわ。ちゃんと潰れてたわい」

 どっちにしろダメなやつでは?

「お前……あれ呑んでなんともないのか?」

「ああ。うわばみだから」

 流石に少々刺激的だったし、ちょっとした冒険だったが、思いの外なんともなくて自分でちょっと引いてる。

 七生は深いため息をついて、言った。

「で。話ってのは何だ? 仕事の依頼か?」

 七生は、アスファルトにどっかと腰を下ろした。

「まだ酔ってるだろう。日を改めるよ」

「勿体つけんで話せや」

「単純に酔ってる奴に話すのが心配なんだよ!」

「心配するな。俺は酒で失敗したことねえのが数少ない自慢なんだ」

「説得力すごいな」

 説得力グランプリがあったらナンバーワン狙えるな。

 ワーストの方でな。

 ともあれ、話さないと納得しそうにない。

「君のOA、変身で体が強化されるのと、あれは……物の動きを止められるのか」

「そうだ。ま。テレキネシスの変形てことになるかな」

「飛び道具と相性良いのに禁止されてる?」

「そうだ。おかげ様でな」

「僕と組んで仕事しないか?」

「ふゥん……」

 七生は思案して言った。

「戦闘面だけの都合じゃないな?」

 僕はごくりと唾を呑んだ。

「出世したいからね。トラブルメーカーで通ってるそうじゃないか。君と組めば仕事の方から舞い込んでくる。探さなくてもね。沢山仕事をこなせばそれだけ道は開けるから……」

「なるほどなるほど。俺のメリットは?」

 見透かすような視線を感じた。

「取り分が六対四ならどうだい? 僕が四、君が六だ」

「おまわりさんは歩合制で働いてるワケじゃないだろ?」

「実際歩合制みたいなもんだよ」

 OA発生以降しくみもコロコロ変わっているが、事件の重要性に応じてなにかしらの手当が付く、というのはCOAT設立以降動いていない。

「ま。いいだろう。乗った。細かい条件は追い追いツメるとして。アンタと組もう」

 七生はすっくと立ちあがった。

「だがまあ、勘違いするなよ。損得勘定で組むんじゃあない。アンタが気に入ったから組むんだ。そこのとこよく覚えておくんだな」

 酔っているのか? そう疑ったが、去っていく足取りはしっかりしていた。




「そういやお前の得物、あれ何? 何で苦無なんだ?」

「……師匠が忍の者なんだよ」

「……全部うさん臭いお前のセリフの中でも一番嘘臭いな」

 それから、非番の日や仕事終わりに、細かな取決めや、連携の訓練を行った。

 七生は戦闘となると、獰猛だが、狡猾な立ち回りが出来た。フェイント、挑発、目くらまし。考えなしに見える攻撃の合間合間に、こういった卑劣な小技が巧みに織り込まれており、相手を怒らせ、ペースを狂わせることに長けていることが分かった。

 それは、力や特殊能力で格上の相手をも降すため七生が必死で身に着けたものだ。

 それは逆説的に七生のOA者として力負けしやすいということを示すものでもあった。無生物をその場にあるいはそのままの形で保つという特殊能力こそ強力な反面、使う度集中力を要し精神的に多大な負荷が掛かるということだった。敏捷性には見るものはあったが、基礎的な筋力は下の下だった。健康な成人男性よりちょっと強いといった程度だ。COAT装着時の僕に単純な力比べで七生が勝ったことはなかった。


 


 その日は非番で、ルポレで食事をしていた。

 訓練の後反省会や打ち合わせをしばしばここで行う内、いつの間にか行きつけになっていた。

 七生が若葉さんを心配して様子を見たがり、ここ以外での会食を嫌がったのが主な理由だった。

 若葉さんはあの日の追い詰められ、張りつめた感は消え、明るい表情で働いていた。

 若葉さんが本気で七生のことを嫌っている人間はそう居ないと言っていたのは本当らしいと分かった。

 店で七生を見つけた人間の反応は挨拶して去って行くか、談笑の輪に加わるか、舌打ちして去って行くか、腐った卵をぶつけて去って行くか、と言った具合だった。

 やっぱりそれなりに嫌われてるかもしれない。

 あれ以降七生がみっともなく酔い潰れることはなかった。

「思ってたより綺麗に呑むじゃないか」

 七生はまた梅酒のお湯割りだった。

「うるせえよ」

 そう言って七生は一口呑んだ。

 その時、非常時連絡用の携帯端末が鳴った。

 先輩からだった。

 現金を満載した輸送車が暴走しているということだった。

 連絡も着かず、居るべき場所に居ないと言う。それで

「武宮お前、止めてこい」

「解りました」

 そう言って通話を切る。

「すげえ安請け合いすんのな」

 傍で聞いていた七生は他人事のように言って梅酒を干した。

「まあ誰かがやらなきゃいけないことだし。僕らがやらなきゃ誰もやらない」

 七生はしばらく、カラになったグラスを暫く眺めていたが。

「若葉さん! ジョッキでお冷! お願いします‼」

「はーい」

 ほどなくして運ばれてきた水を一気飲みすると、七生はすっくと立ちあがった。

「行くか」


 治安の悪化、犯罪の凶悪化に伴い、貴重品の輸送のセキュリティの強化は急務だった。

 現金輸送車などはその最たるもので、OA犯罪が社会問題化してすぐに手が入った分野である。

 車そのものが米国などで使用されていたアーマードトラックと呼ばれる頑強で馬力のある物に変わり、乗員も身元の確かな者のみに限られ、OA持ちの訓練されたガードが必ず搭乗することになっている。

 それでも過信した向こう見ずや、緻密な作戦を携えた頭脳派が輸送車を狙う事件は枚挙に暇がなく、車体も体制も日々強化され続けている。

 今ではOAを応用した技術の恩恵で、テレキネシスなどのある程度の能力は無効化されている。おそらくそれが七生が渋った理由だろう。

 物理的な力では止められるOA者の居ない程のモンスターマシンと化している。

 警備車両も三台必ずくっつくことになっているが、到着地点の銀行までもう間もなくという、規定に従い警備車両が離れた所で突如コースを外れ暴走を始めたという。

 まだ目視で追えているが、ビーコンからの信号は途絶えており、振り切られれば大ごとだった。


 輸送車に追いつくべく愛車を走らせていると、助手席の七生が聞いてきた。

「なんか作戦考えてるか?」

「まるでない」

「お前、ショットガンに撃たれたとして……平気か?」

「試したことはないが……弾全部モロにもらったら厳しいモンがあるな。装薬盛られてたらダメかもしんない」

 七生が乾いた笑いをこぼす。

「僕のCOATより脆いな……」

「うるせえな」

「すまん!事実が人を傷つけることをうっかり失念してた!」

「心のこもった謝罪をどうもな!」

 七生はまだ何か言いたそうだったが、飲み込んで話を進めた。

「乗員のリストは?」

 僕は前を見たまま、ロックを解除した端末を放り渡した。

 七生は端末を操作する。

「エロ画像の一つもないとは……欠如してんな、おもてなしの心ってモンが」

「仕事用で見るやつがあるか。真面目にやれ」

「冗談だ。ガードは弾丸の軌道変えられる奴か……うってつけだな」

 経歴に傷のない二人だ。勤務前も勤務中も、変身能力者に入れ替わられた形跡もなく、襲撃を受けたという報告もない。

「天職だろうにな。何でこんなことを」

「転職したくなったとか?」

「……」

「こっち睨むな‼ 前見て運転しろや。危ねえだろボケ」

 不快だったが、視線を前に戻した。一応警告する。

「次駄洒落が出たらこの車ごと海に飛び込むので、そのつもりでいてくれ」

「駄洒落に村とか焼かれた方ですか?」

「そうかもね。真面目な話、動機はなんだろう」

「さてなあ。弱み握られたか、洗脳されたか、女なり博打なりデカい借金こしらえたか。大穴で、イイ子ちゃんの経歴自体この日の為の準備だったりしてな」

 七生は眼前の景色を見、それからカーナビを見た。

「まあ、ホントに大穴だが、ムショにブチ込んだ後も目ぇ付けといた方がいいかも知れんぜ」

 ぼやくように言うと、カーナビを操作する。

 追跡するべき輸送車の予想進路は、取り合えず道なりを進むように設定してある。

「先回りするか。スラムにやってくれ」

「スラム?」

 OA発生期に受けた壊滅的な打撃。激戦区となった地区は今も復興の手が及んでいない廃墟街となり、世界に点在している。

 そんな場所には決まって立ち直れない人々が集まり、法を無視して住み着きスラムを形成することがままある。

 その一つが確かに、この近くにあった。

 しかし、そんな治安の悪い所に潜り込めば、折角奪ったブツをまた第三者に奪われるリスクが高くなるというものだ。

「他のお行儀の良い所なら知らんがなあ、スラムには事前に金撒いときゃ転ぶやつがひしめいてるからな」

 確かに七生の言う通りではあった。

 スラムとなれば食い詰め者はごまんといる。金さえもらえば見て見ぬ振りはおろか、こっちの妨害にだって手を貸す者も多いだろう。

「まあ賭けではあるがな。ホントに魔が差しての犯行なら全然見当違うとこ目指して行くかも知れねえしよ。どうする? このまま追いかけるか? 山張って先回りしてみるか?」

 僕は無言で車を輸送車から最寄りのスラムの入り口に向かわせた。


 スラムに到着した後。僕はCOATを装着した。七生も変身を済ませている。どちらかが、車を降りる必要が出てきた時の為に、七生には骨伝導のインカムを渡してある。これで僕のCOATと通信連絡が出来る。

 七生提案による所の『仕掛け』を用意し、廃墟と廃墟の間に車ごと身を隠し、じっと待つ。すぐに出られるようエンジンは掛けたままだ。

「……いつ来てもひどいもんだ」

 華やかで整備された街の中心部と打って変わって、この辺りは戦後と見まごうような有様だった。

 実際OA犯罪の大発生期は毎日戦争のような騒ぎだった。

 あの頃は死体が転がっていてもそれが日常の風景となり、誰も気にしない荒廃した時期が幾年も続いた。

 この場所は、死体こそ転がっていないがそれ以外はあの光景そのままだった。

 躍起になって復興を急いだ結果、各地区の中心街は以前同様の姿を取り戻すことができたが、こうして取り残された街は犯罪の温床と化してしまっている。

 最近は麻痺していた感覚。この街を見ると苦々しい気分になる、あの感覚が今の僕には戻ってきていた。

 あたりを見回すと、ここに逃げ込むという推測の信ぴょう性が増すように感じた。

 廃ビル、廃店舗。営業こそしている店、人の住んでいるらしいアパートもそこはかとなく怪しげな雰囲気に満ち、隠れる場所はそこここにある。

 今でこそ出歩いている人影はないが、いざコトが起これば逃亡犯の味方をする連中が飛び出して来ても不思議ではない。

 七生はこっちに進路を切ってから方々に電話をしている。

「はいはい、ありがとね」

 そう言って電話を切る。新しく掛ける様子がないので聞いてみる。

「どちら様」

「これでも顔が広い方でね。こっち住みのお友達にここ最近なんかキナ臭い動きなかったか聞いてたんだよ」

「それで?」

「まあ間違いねえかな。はっきり言いたくなさそうな奴も多いが、兎に角コトが起こったら邪魔はしないよう圧は掛けといた」

「こっちに着いてもらうことはできないのか?」

「頼まれてる仕事土壇場でキャンセルさせんのもリスキーなんだ。ゴロツキとは言えそれ以上はさせらんねえよ」

 確かにその通りで七生の読み通り、バックに大がかりな組織のある犯罪だとすればケジメと称して処罰されかねない。

「しかしお前、道決める前に確認してくれよ……」

「すまんすまん。ま、結果オーライでいいじゃねえか。おいでなすったぜ」

 七生があんまり普通の調子で言うので、冗談かと思ったが耳を澄ませば大型車が爆走する音が聞こえてきた。

 爆音がどんどん近づいて来る。走行音は一つだ。警護のパトカーは振り切られたか……。

「楽に済むといいんだが」

 『前準備』が目論見通り行けばこれほど楽なことはないだろう。

「今だな」

 七生が言うと、何かが崩れるような音、次いで、大きな、質量のあるものが地面に落ちる音が聞こえた。

 『前準備』はごく単純なもので、現金輸送車の予想進路の上空に、僕が投げ上げた瓦礫を、七生のOA能力で固定し、現金輸送車が現れたら落として、その進路と退路を絶つというものである。

 COATで補助されているとは言え、僕の腕にも、七生の能力にも限界があり、待機はクールダウンでもあった。

「退路は絶った……次!」

 現金輸送車の姿が見えた。

 七生の『静止』が解除され、横道と前方をふさぐ為の瓦礫が落ちる。輸送車の姿が見える位置まで、車を前に出した。

「……冗談だろ」

 猛スピードで……既に全速力で走っていた輸送車が更にスピードを上げる。

「……っ」

 まだ落ちきらない瓦礫の下をくぐり抜けた。

 ここまではまだ想定内だ。すぐに、車を出し、瓦礫に邪魔されないルート取りで、輸送車においつく。だが、所詮街乗り用の車だ。すぐに置いて行かれることになる。

 七生が輸送車前方に向けてショックガンの銃弾をばら撒き、『静止』させる。

 これで障害物を作れば進路を妨害できる、と思ったのだ。

 現金輸送車はその巨体と、スピードからは考えられぬ程機敏に蛇行を始め、弾幕の間をすり抜けて見せた。

 それだけではない、

「やば」

 窓から腕を伸ばしこちらに散弾を打ち返してきた。

 七生が『静止』を試みるが、散らばり、また敵のOA能力によってより出鱈目な弾道でこちらに殺到する弾丸に対応できていない。

 アクセルを一気に踏み込み、思い切りハンドルを切る。

 躱した、と確信してからブレーキを踏む。が車は廃墟の一つに突っ込んでいた。

 幸いかすり傷だ。走行に支障はない。

 すぐに、追跡を再開する。

「やられたなあ。あいつ相当マリオカートやり込んでやがるぜ」

「マリオカートに鉄砲は出ん」

 そういう問題ではない。僕は動揺しているらしかった。心臓が早鐘を打っている。軽口を飛ばせる分七生はまだ冷静だろう。

 また瓦礫が地面に落下した。無駄になった『前準備』を放棄したのだ。

 バイクの音が聞こえてきた。ミラーで確認すると乗っているのは昆虫のような姿のOA能力者だった。警察車両ではない。騒ぎを聞きつけたのか、一台だけではない。

「お前さっき何で弾の方じゃなくて銃の方『静止』させないんだよ」

「やってはみたがな。出来なかったんだよ。多分車と同じ処置してんだろうぜ」

 七生は苦々しく言う。

「テキさんの増援来ちまったな。どうする? 分が悪ィぞ。本部に連絡はいってんだろ? 一旦退いて応援待つなり作戦練り直すなりした方が良かねえか?」

「駄目だ。退けない」

 七生が溜息をつく。

「スラムで逃げる算段してるなら応援呼んだり考え直したりしてる間に逃げおおせるさ」

「熱くなるなよ。人死にが出てるワケでもあるまいしよぉ。おまわりさんと違って俺にゃあ労災降りねぇんだぞ」

「これから出るよ」

 OAバイカー一人が追い付いてきた。こちらに向かって銃を構えるのが見えた。左手でハンドルを握ったまま右手でショックガンを撃つ。

「お前の見立て通り、バックに組織が付いてるなら今回の入った資金でまた何かやらかすだろ。ヤクにしろ銃にしろ……何であれまた死体が転がるようになるさ。最悪また一つ二つスラムが増えるような大ごとが起こるかもしれない」

 七生が助手席の窓から乗り出して、後続のOAバイカーを撃った。撃ち返して来てはいるようだが、散発的な通常弾がこちらまで届くことはない。

 ヤケクソみたいにぶっ放すもんだから、後方はあっという間に綺麗になった。

「退路は確保出来たみたいだが……退く為かい?」

「あぁ? 仕事の邪魔になるから片付けたんだよ」




「で、作戦は?」

 七生が聞いてくる。

「ない。何も。お前は?」

「出来ればやりたくねえんだよなあ。スマートじゃねえからよお。ゴリ押しだからよお」

「言ってみろよ」

「流石に目的地付近まで行きゃあスピード落とすだろ?」

「落とすだろうな」

「他の要因で遅くなってもいいや。まあ、兎に角そこまではどうにか頑張って尾行していくだろ?」

「あ、ああ」

 どうにか、とか頑張ってとか不安になる単語だ。

「横道に逃げ場のない一本道でお前の車で後ろ塞ぐだろ?」

「ああ」

 道幅と車のサイズ、七生のOA能力を考えればできなくはない。

 塞いだ所で、あの質量の車がUターン出来ない道からバックで逃走を図るとは考えにくい。あくまで念の為ということだろう。

「俺が追い付いて通せんぼするだろ?」

「……できるのか?」

「まあ……なんとかやるんだよ。そんで俺が粘ってる間にお前が瓦礫の山持ってきてバリケード封鎖する」

「んん~~~」

「唸るな。目ぇつぶって考え込むな。前見て運転して‼」

 疑問点が多い。まず僕らの存在を意識してるのにゴール近いからって速度落とすか? 振り切るまでかっ飛ばすんじゃあないのか?

 うまく追い越すとこまで行ったとして通せんぼ出来るか? 向こうはまだ弾残してるだろうし、七生の能力で輸送車の質量とスピードに耐えられるのか?

 『前準備』のバリケードは瓦礫の質量に頼ったものだった。それはこの仕事の開始時点で、輸送車の質量とエンジンパワーを七生のOA能力で押しとどめるのに不安があったからだ。

 ざっと考えるだけでこれだけだ。明らかに荒い。

 煮詰めればもっと難点は出てくるだろう。

「何か代案あるか?」

 輸送車が段々遠ざかっていくのが見える。

「ない! それで行こう‼」

「よし来た」

 折よく、路地から昆虫OAのバイカーが飛びだして来た。

 並走していたが、急に車体が止まり、乗っていた昆虫OAだけがスッ飛んで行く。

 七生が、バイクだけを『静止』させたせいで慣性の法則が良い仕事をした。

 バイクが取り残されぬ内に七生が飛び移り、再び走り始める。

「俺の頭の血管がプッツンする前にバリ封しろよ!」

 インカムを通して七生の声が聞こえる。

「わかった! 骨は拾う!」

「あのなあ、クソ作戦立案したせいでこっちはナーバスになってんだよ」

「悪かったよ。労災要るようなケガしたら僕が治療費出すから!」

「出すから?」

「死ぬなよ!」

「死ぬかよ」

 鼻で笑って七生はバイクを加速させた。


 それなりに良いバイクだったらしい。次第に七生は輸送車に肉薄し始めた。

 輸送車の方でもそれは意識しているらしい。ハンドリングに若干の乱れがある。

 やがて徐々にスピードを落とすと、窓から腕とショットガンが現れると同時に発砲される。

 七生の方も覚悟を決めていたらしく、銃口から弾丸が飛びだすと同時に『静止』が発動する。散弾は一塊となって空中に留まる。

 七生の方もショックガンで応戦するが、輸送車ごと身を躱す。

 運転手の方も何らかのOA能力を持っているのかもしれない。

 さっきの弾幕を避けた時と言い、そう思わせる動きだった。

 七生はショックガンを撃ちつつ、輸送車に接近するが、それを察したテキはまたスピードを上げる。

 七生は普段バイクに乗っているという話は聞かない、ショックガンも僕と組むようになって練習し始めた所だ。

 攻防はどちらも決定打を欠いていた、七生の集中力は明らかに増している。向こうも『静止』を警戒して窓から銃口を覗かせるなり撃つようにしているが、何度やっても阻止している。反面七生のショックガンも狙い通りの所には当たっていない。そろそろ残弾が心配な所だ。

 それでも敵は七生を排除しなくてはならない対象と見做したようだ。

 七生が抜こうとすると速度を上げ阻止するが、逆に、速度を落とすと追う為に輸送車も速度を落としている。

 七生はこれを利用して、露骨ではないものの、少しづつ僕と輸送車の距離を狭めている。

 恐らく七生の目論見はバイクで道を塞いだ後、バリケード形成までの時間短縮と、僕と七生の間に横道が挟まり得る区間を減らすことだろう。

 だが、僕の頭には別の閃きがあった。

 インコムで七生に呼び掛ける。

「七生! 僕の車『静止』させて壊れないようにしてくれ!」

『何で? 今忙し……』

「だからこそだ‼」

『わァったよ……いいぞ』

 僕は思い切りアクセルを踏み込んだ。

 この距離、この速度なら行ける‼

 心の中で愛車に詫びる。

 眼前の輸送車との距離がぐんぐん狭まるそして──

「相棒だけに危ない橋渡らせる訳に行くかァ‼」

 僕は七生に気を取られる輸送車に、思い切り愛車をぶつけた。

 インパクトの瞬間、思い切りハンドルを切る。これでいくらサイズ差があろうと、進路はグラ付き、七生が抜く隙が生まれーー

『ギャァ!』

 ところが激しい衝突音と共に聞こえてきたのは七生の痛ましい叫び声だった。

「え?」

『あのなあ! 気持ちは嬉しいけど『静止』で形保ってるのは俺の気合な訳だからさあ‼』

「…………あ」

b 僕はさっと血の気が退く。つまり、今の衝突で生まれたエネルギーは、僕の車を守る為にそのまま七生に……

「マジでごめん、そこまで気が回らなくてホント、ホントすまん」

『一応さァ! 仕事は進むけどさァ‼ マジでさァ!!!』

 一応、僕の意図した通り、輸送車は蛇行している。それ微々たるものだ。七生は⁉

 というと、頭を抱えているが、なんとか、耐え、耐えている。

『クソがよ!!!!』

 そしてバイクを加速させ──

 輸送車の前に躍り出し──

 そのままバイクを飛び降りた。


 バイクと輸送車がぶつかる

 意識が遠くなるような音

 しかしバイクは無傷で、輸送車を押しとどめたまま立っている。

『武宮、頼む──早く』

 その声に、僕は自分のすべきことに思い至る。

 自分のアイデアに目がくらんで、周りの用途に適した瓦礫に目星を付けておくことを失念していた。

 どっと焦りが押し寄せる。

──あのビルは? そっちの建物は?

──駄目だ解体しなきゃあとても運べやしない。

──他所に探しに──

駄目だ! 七生がもたない

ここまで

ここまで体を張った相棒が

『たけみや』

 こうなったら。

 僕は車から飛び降りた。

 そのまま、一目散に突進する。七生のバイクに乗り上げ

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁあぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「うそだろおまえ」

 輸送車に正面から組み付いた。七生の、呆然とした声が聞こえる。

 スモークガラスのウインドウ越しに、蒼白となった犯人二人の顔が見える。

 なにもかも関係なかった。

 ただただ全力で踏ん張るだけだ。

 叫びを上げて。

 COATの関節が、ギアが、

 僕自身の全身の筋肉が悲鳴を上げる。

 それを掻き消す声量で

 僕は雄叫びを上げた。

 運転手の方は半狂乱でアクセルを踏み込んでいたが。

 遂に輸送車のエンジンが根を上げた。

 一気に抵抗がなくなるのが解った。

「勝っっった」

 それと同時に緊張の糸がぷつりと

 意識もだんだん

「お前は、あたまがおかしい」

 気を失う前、そんな声を聴いた気がした。




 後で聞いた話だと、現場で無傷だったのは犯人二人だけで、七生も応援に駆け付けた警官にその二人を引き渡した後ばったり倒れてしまったらしい。当然と言えば当然の結末だ。連行されていった昆虫OA達もみんな地面にたたきつけられたりショック弾ぶち込まれたりしている訳で。

 二人の動機は本人たちは金に目が眩んで、と供述しているが、昆虫OA達は二人とは別の人間から依頼を受けたと供述しているし、取調の担当者は何か隠している、と踏んでいる。

 もうしばらく、取調は続くだろう。

 事件の後の細々とした処理もキリが着き、僕と七生は打ち上げを行うことになった。

 なったのだが。

「なあ、何べんも言ってるだろ。悪かったったら」

「何べんも言ってるだろーが。別に責めちゃいねえってよ。ただまあ。次からはさあ。気を付けてねって」

 額面通り受け取れれば良いのだが七生の口調には険がある。嫌味ったらしく責められているのか。気持ちとしては怒っているが、理性がそれを抑えており、許そうと努力しているのか判断がつかない。

「今回の配分十対ゼロで良いって」

「そこはそれでお願いしたいね」

 どうしよう。

 僕コイツが解んないよ!

 たすけて。

「まあさあ。いつもいつも俺のことバカだのアホだの言っといてからさあ! 土壇場のアレもさあ! なんて言えば良いんでしょうねえ! 高学歴特有の逆転の発想とでも言えば良いんでしょうかねえ! 学のねえ俺にはとても思いつかない見事なお点前で」

 やっぱバチクソ切れてる気がする。

 こいつこわいな。

「それも悪かったって。……いい加減どこ向かってるか教えてくれよ」

 てっきり打ち上げもいつものルポレで行うものとばかり思っていたが、そうではなく、見知らぬ道を七生について歩いている。

 七生はコンビニで用足した物の入ったレジ袋一つ提げてぶらぶら歩いている。

 暗い夜道の、半分獣道のような階段をもうずっと歩いている。

 どっか高い所で突き飛ばされて死ぬんじゃなかろうか、僕。

「言ったろうが。良いとこだってよ。ほら、もう着くぞ」

 七生が顎をしゃくって示した先は、公園だった。

 山奥の小さな公園。入口の門とブランコ。

 そして、ベンチ二つがぽつんと置かれた小さな公園。

「良いとこねえ」

 やっぱ殺されるんかねえ。

 ぼやく僕を残して、七生はずんずん進み、ベンチに腰掛けた。

 僕の位置からでは、ベンチの先には虚空があるだけだ。

「何突っ立ってんだよ。まあ座れや」

 七生はこちらを向くこともなく、闇夜を睨んだまま言った。

 控えめに言ってめちゃくちゃこわい。

 おそるおそる、歩きだし、ベンチに掛けてみると。

「おお」

 あれだけ登ったことはある、目線のまっすぐ先は確かに虚空だが、眼下を見下ろせば、街が一望できた。

「なかなかのモンだろ。師匠に教えてもらった。他に知ってる奴みたことねえからな。穴場とでも言うのかね」

 月すら出ていないのがかえって良かっただろうか。街の灯りがはっきり見えて。

「ああ。なかなかの──いや……すごい、素晴らしい、よ」

 ここからでは街の傷は見えない。それが無性に。

 なんというか。

「バカ。お前なあ。シラフでそんなセンチになる奴があるかよ」

「あ、ああ」

 どうやら僕は

「呑め。呑め呑め。いいからよ」

 僕は顔を拭って七生の差し出す酒を受け取り、タブを開ける。

「まあなあ。色々言いたいことはあるけどなあ。お前も悪気あってやった訳じゃねえしなあ」

 どうやらこれが七生の偽らざる所らしい。ムカついてはいるが、僕のやったことの全部を認めないという訳にもいかず、と言った所か。

「概ね良い仕事だったってことでよ。ま……おつかれ」

「ああ。お疲れ様でした!!!」

 ぐちゃぐちゃなのは僕も同じだった。

 それをうっちゃるように大声で乾杯に応じ、一息に干した。

 安酒が妙に沁みた。この風景を見ていると色々な。言葉に出来ない色々なものが胸に込み上げてくる。

 黙っているとそういうものに悪酔いしそうで。

「組む時、気に入ったって言ってたの、あれ、どういう意味だ」

 そんな質問が我知らず、出た。

 七生は、黙って夜景を見ていた。

 しばらくそうしていて、無視されたのかとあきらめかけた時、

「初めて会った時。一緒に居たおまわりは『そんなことで』って言ってたよな」

「ああ」

 七生は酒を一口あおった。

「『減るもんじゃない』? 尊厳の話だ。しっかり減ってる。『あの程度のことで』? そっからどんどんエスカレートするんだろうが! 怒るべきだ。この街を良くしたいんなら許しちゃあならねえ筈だ。この街にゃあ腐りきってそんなことも分からなくなってるおまわりがゴロゴロ居るだが」

 最初に会った日、七生が語った憎しみ。あれも恐らく本当のことだろうと思う。

 だが、今の言葉の裏にある、この街への、この傷付き腐った街への愛も、本当だろうと思いたい。

 この風景を見て、僕はそう思う。

「だがお前は違う」

 ぽつりぽつりと七生は言葉を継いでいく。

 いつもの饒舌さはなく。そのことに驚いている内に、結論が出た。

「お前は俺のやったことに納得してた。だから信用した。そして前の仕事では俺の見落としにさえ気付かせてくれた。今は信頼してる」

 不思議なことに、夜の景色は滲んで見えたが僕にはそれが美しいことが、ちゃんと解った。

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