実地見学編 7話
日曜日にあたる、一爪の翌日──二雀の12時半を迎えようとしている頃。
ケントーニハンター学院では3限目の授業が終わり、昼休憩が始まっていた。
今、5年Cクラスの教室を出た彼──否、彼女は正面に向かって左側、食堂へ向かって歩き出す。
彼女はいつも、食堂で昼食を摂る。
日替わりメニューの内容を想像すると、心が浮き立ち、唾液腺から期待と幸福が溢れ出す。
生徒の間でも、この学校の食堂の料理は美味しいと評判だ。
だから食堂へ足を運ぶ者は多いわけだが、その中で彼女の目を引いたものが2人。正確には2人1組。
ケリン・オムラとウィリス・イーリオ。
どうやら、見る限り仲良く談笑している──ように見えたが、ケリンが2人分大笑いしているだけで、ウィリスはさほど楽しそうではなく、かといってつまらなそうでも無かった。
むしろ普段よりは表情に楽しげなニュアンスが加わっていて、それが彼女には少々珍しく、面白く思われた。
「ねぇ、あんたたち」
「──ん。あ、ヴァニラちゃん」
ケリンがヴァニラに気づいた。
「あんたたちって、そんなに仲良かったの?」
「いや。全然」
答えたのはウィリス。彼の味も素っ気もない声音に、ヴァニラは演技力という名の気概を見出した。
「まぁ仲良くはなかったけどさ……これからじゃん!」
力のこもった宣誓にも聞こえるその言葉には、彼なりの努力の予感がある。
「やるべき事が見つかったみたいね」
「うん!もっと団結したいなって思った!」
ケリンの言葉に、ウィリスはフンと鼻を鳴らす。照れ隠しや嘲笑とは、ニュアンスが異なるようだ。
「頑張りなさい」
「よっしゃ!」
「フン……!」
自己評価によるところでも普遍的な彼女の激励に返した2人の声は、どうやら生返事では有り得なかった。
◆
この日の4限目から6限目にかけて、5年Eクラス──近接戦闘特化クラスでは、基礎訓練が行われていた。
最初のメニューは、学院の外周を走る持久力アップのトレーニングだ。
学院の敷地には、校舎・運動場・10面の演習場と、その他を含む様々な施設があり、外周の距離は3キロメートルに迫る。
その外周をインターバルをはさみつつ5周走る種目だ。
外周トレーニングの3周目。「もう」、「やっと」、「まだ」などと議論される折り返し地点で、ウィリス・イーリオは自分の前を行くただ1人の男に、届かない睨みをきかせつつ走り続けていた。
「──おい、白目坊主!」
「なんだウィリス。話しかけて呼吸乱そうとしても、そうはいかんぞ」
「俺たち、周回遅れだって言ったら、信じるか?」
ウィリスは息も絶えだえに、彼の背に問う。
彼は、フッゴ・バギム。この種目においてのみ、ウィリスは彼に負けが込んでいる。
「どっちみち、俺には見えんのだ。ひたすら全力で走る以外に、すべきことは無い!」
「そうかよ」
「なんだ。俺を出し抜いて、初勝利をおさめようって魂胆か?感心せんぞ」
「いや。本当は見えてるんじゃねぇかと思った」
「いいや──まるで見えんな!はっはっは!!」
ウィリスがそう思うのも無理はないほど、フッゴの走りには迷いがない。
──つまり、フッゴ・バギムは盲目なのだ。
しかし彼は、焼石犀の合同演習では最も危険な役を担った。
盲目の身で焼石犀から角を奪った、第9班の近接戦闘員だ。
「ウィリス。おまえ、先週から俺のことむちゃくちゃライバル視してないか?」
「だったらなんだ」
「嫌いなんだな、負けるのが!」
フッゴが言った直後から、ウィリスの返答が無くなった。
かわりに、静かで軽やかな足音がフッゴの背後に迫ってくるのが聞こえる。
そして、フッゴに並んだウィリスのブレの少ない息遣いが、自分の呼吸のリズムに介入してくるのを、フッゴは感じる。
「俺は負けてない。負けたのは、班だ」
「なに?」
「俺はあの時、何も手出ししてない。だから俺は、負けてない……!」
それを捨て台詞に走り去ろうとしたウィリスの足に、フッゴの足音が絡みつく。
「俺は、もう勝ったと思っていた」
「まだ、負けてない」
「──ウィリス。折り返し地点を、どうとらえる……?」
「まだ走れる。白目坊主を、追い越せる……!」
「はっはっは!!いつになったら名前で呼んでくれるんだ!」
2人は走りながら話すことができたが、後続の中にはそうはいかない者もいる。
走る若人を励ましつつ、熱い視線で見送る5年Eクラスの担任教師の傍らに、不気味なほど優しげな笑みを浮かべる物が1人。
「キラーリア殿。べつにヒマなわけじゃありませんよね……?」
「もう、ロウド先生?キラーリア殿はやめてください。メリス先生にしたってそうですけど、若い先生方は半ば面白がってらっしゃるんじゃなくて?」
ヴァニラは彼に対してボディタッチが多い。
彼女の男性の好みのタイプは筋骨隆々の青年であり、最も彼女の性癖に刺さる筋肉の部位は僧帽筋と広背筋だ。
彼女のやっていることはセクシュアルハラスメントだが、彼女の正体を知る同僚はどうにも彼女を拒むことができなかった。
こうなってはもはやパワーハラスメントの範疇ともいえる。
「キラーリア先生。本当にお仕事なさらなくていいんですか?」
「よくないわね」
「じゃあなさってくださいよ!」
「いやでも……若い男のコが苦しみながら頑張っているのを見るの好きなんだもの、私……」
彼女の表情は柔和、ないしとろけそうである。
「いいかげんにしないと、出るとこでますよ?」
「騎士団?裁判?」
「もぉ〜っとコワい人──教頭先生とか」
「センセっ!お仕事がんばってください♡私も仕事に戻りますわ♪」
予測される最悪の事態を忌避すべく、彼──否、彼女はその場を後にしたのだった。