第5話 大団円
思えば、心当たりはいくつもある。
十年前、王都に一緒に行こうと言われたこと。
王都から、年に二度、欠かさず定期的に手紙が送られてきたこと。
キリエが結婚したとかいう噂は一切聞こえてこなかったこと。
俺がアルのことを頼む手紙を出したとき、返信は考え得る限り最速で帰ってきた上、手紙にはびっしりと文章が書いてあったこと。
そのいずれもが、キリエが俺に好意を持っているが故のこと、と考えると凄くしっくりくる。
しっくり来るが……。
「……俺は一度もキリエに好きだ、なんて言われたことないんだが……」
呟くようにそう言えば、アルがやはり呆れた声で言う。
「……そこは女心を分かってやれよ。なんとかあんたから告白して貰おうと昔から必死にアプローチしてたって言ってたぜ、この人」
「マジか。マジか……」
「本当に分かってなかったんだな。意外すぎる。俺のことをあんなに物知らず呼ばわりしたくせに、あんたは恋愛事は子供以下とかさ」
「返す言葉もねぇよ……」
本当にそうだ。
俺にアルを馬鹿にする権利はない。
「しかしよ、おっさん。キリエさんの気持ちはもう分かったろ?」
「あぁ」
「それで、おっさんの方はどうなんだ? キリエさんのこと……どう思ってる?」
「キリエのこと、か……」
考えてみる。
あまりに突然のことで、真っ白になっていた頭をフル回転させて。
俺はかつて、キリエに王都に誘われたとき、断った。
俺はキリエの足手まといになる。
俺では追いつけない。
どこまでも飛んで行こうとする大鳥の足を引っ張るわけにはいかない。
そう思って。
その後は……キリエのことをうらやんでばかりいたような気がする。
S級に俺は憧れていた。
俺もなりたかった。
そうなれば……きっと……きっと?
そもそも、俺はなんでS級になりたかったのだろうか。
いつから……。
思えば、冒険者になりたての頃は、そこまで強い憧れはなかったような記憶がある。
もちろん、なれれば嬉しい、くらいの気持ちはあったが……。
思い起こすに、こうまで憧れが強くなったのは多分、キリエがS級になってから、かな。
急激にその気持ちが強くなった。
何故か……。
それは……俺が……俺もS級にならないと……そう、俺もS級にならないと、キリエについていけないと思ったからだ。
キリエの横を走るためには、キリエと一緒に走れる力がないといけないと。
つまり俺は……キリエと一緒にいたくて……。
「……なんだ。俺はキリエが好きだったのか。最初から」
そう口にすると、すごくすっきりした。
今までずっと感じていた靄が晴れたようだった。
アルがそんな俺を笑って見て、
「……おっさんがすっきりしたみたいでよかったよ」
と言い、さらに、
「……で、キリエさん。あんたも起きてるんでしょう? 狸寝入りはいいですから、おっさんに返事でもしてやったらどうです?」
そう言った。
驚いて俺が膝の上のキリエをバッと見ると、見える耳が真っ赤に染まっていた。
「き、キリエ、お前……」
そう言うと、キリエはもの凄い速度で起き上がり、そして俺の頬をひっ掴んで、
「……い、一度しか言わないから聞いてよね! 私は! あんたが! 好き! ずっと、十年前からね! けっ、結婚……し……きゅうぅぅぅ」
そこまで言って、気絶してしまった。
今度は狸寝入りではないようで、
「……刺激が強すぎたか。しかしおっさんもキリエさんも……物慣れた大人だと思ってたのにとんでもないオコチャマだったんだな……」
「うるせぇよ。それならお前はどうなんだ? そっちの方はよ」
「俺はイースっていう奴と付き合ってるぜ。公爵家の姫ってのがちょっと厄介だが、公爵ともしっかり話が通ってる。だから問題ない。そのうち結婚するつもりだ」
「えぇ……大丈夫なのかよ、それ」
力を狙って囲われたりされそうなんじゃ、と思っての質問だった。
しかしこれにアルは、
「大丈夫だ。昔の俺とは違う。強くなったのもあるが……裏がないか調べたしな。そもそもその姫と会ったのは、その彼女が家を抜け出してたときだぜ? 襲われそうだったから助けたのが馴れ初めだ」
「……もう英雄譚の始まりにしか聞こえねぇな、それ」
「言ってろ」
どうやら俺は冒険者としてだけでなく、恋愛でもすでに大敗北を喫しているらしかった。
弟子の成長が嬉しい。
心の底からそう思った。
しかし、成長早すぎだろとも。
◆◇◆◇◆
「……それでは、病めるときも健やかなるときも、お互い助け合うことを、創造神フィルティアに誓いますか?」
教会で、神官が聖騎士用の鎧を纏った俺と、ウェディングドレスを纏ったキリエにそう尋ねる。
俺が「はい」と言った後に、キリエもいつもの勝ち気な声とは異なる、穏やかで幸せそうな声で、「はい」と答えた。
「それでは誓いのキスを」
横を向いて、キリエのヴェールを上げ、そして顔を近づける。
あと少しで唇が触れあう。
そう思った瞬間、
──バリィン!
という音を立てて、教会の窓が割られた。
そしてそこから三人の人物が現れる。
一人は青年、そして二人は赤い髪と青い髪の女性だった。
「……あれは……」
「……見たことある顔よね。あれは確か、うちの屋敷に忍び込もうとして失敗して捕まえた、アルの知り合いの……」
俺とキリエがそう言った後、教会のベンチで俺たちの結婚式を最前列で見守っていたアルが立ち上がり、そして、
「お前ら……巫山戯るなよ! ここは神聖な教会で、しかも今日やってるのは俺の大事な師匠方の結婚式だぞ! それを……」
そう叫ぶ。
それに対し、闖入者の一人、ギースが笑って言った。
「だからこそだ……アル、お前が絶対ここにいるって分かってたからな! 殺してやる……殺して……!!」
かなり物騒な台詞だ。
殺す?
なんでだ。
金を無心するかパーティーに戻れというかのどちらかだと思っていたのに。
でもそれならこの場に来る時点でもう駄目だろうが。
殺すという目的なら確実にいるということが分かるのである意味正しい選択ではある。
首を傾げる俺に、キリエが言った。
「……あれは魔族化してるわ。魂捧げちゃってるわね」
「呆れたもんだ……あいつらそこまで堕ちたのか」
確かに見てみると、体からどす黒い魔力が吹き出しているのが見えた。
魔族化した者の特徴だ。
魂を捧げることにより、強力な力を手に入れられる邪法。
現在ではそれを行う者などほとんどいないはずだが……。
「……お前を殺した後は……イース姫の生き血も啜ってやる……それで俺たちは魔王様から直接力を賜ることが出来るのだ……」
「お前……イースを……。そうか……お前、ブラン公爵と手を組んだな?」
「そう、俺たちはブラン公爵に、力を……」
ブラン公爵、というのはアルが結婚する予定の相手、イース姫の家のトドーラ公爵家と敵対する家だ。
魔族崇拝の噂が絶えないところで、それは真実だったのだろう。
最近名前が売れてきたアルとイース姫の婚約を知り、それで力をつけられることを嫌ったのだろうな。
それで、アルもイース姫も亡き者にしようと。
しかし人選を誤ったものだ。
色々喋ってしまってるからな、ギース。あんなにも口が軽かったのか……。
ブラン公爵も、それくらいの予防はしておけばよかったのに、無用心か?
……いや、魔族化の影響で大分魔力が増えているようだ。
アルほどじゃないが、キリエの半分はあるな。
それで口止めの契約魔術を破られてしまったというところだろう。
加えてギースたち本人は過剰な魔力に耐えきれず性格や思考にまで大きな歪みが出てしまったか。
なんにせよ、こうなってはブラン公爵も終わりだ。
もちろん、ギースたちを倒せたら、の話だが。
ただ、そんな心配はいらない。
「色々あったが、昔のよしみだ……出来ることなら衛兵に引き渡すくらいにしてやりたいが……魔族にまでなってしまったら、流石に俺でもどうにも出来ない。すまないが、せめて苦しまずに逝け」
アルがそう言って手を掲げると、空から聖なる光が降りてきて、ギースたち三人を照らした。
柔らかな光のようだが、あれは神聖魔術だ。
極めて難解な術式で、しかも適性がなければ僅かにも発動しない代わりに、魔に属する者に強烈なダメージを与えるもの……。
それを浴びたギースたちは、
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!!」
と、断末魔の悲鳴を上げ、ほんの数秒で灰になって消えてしまったのだった。
あまりにも呆気ない最期だが、憎しみがぶつかり合ったりするよりは良かっただろう。
そもそも、アルにとって、もはや恨みを向けるほどにギースたちは気にするような相手でもなくなったのだ。
それくらい、アルは強くなった。
そんなアルは、ギースたちの消滅を確認するとすぐに、
「あ、師匠方! 終わりましたので続きを! キース! キース!」
そう立ち直って、そんなコールをし始めた。
いくらなんでも切り替え早すぎないかと思うが、俺たちに対する気遣いなのだろう。
他の出席者たちも似たようなもので……。
「キリエ……どうする」
「そんなの決まってるじゃない。見せつけてやりましょう」
そう言って近づいてきた。
唇が触れる。
まさか、こんな風になれるとは思わなかった。
始まりは、酒場で少し話を聞いてやろうと思っただけなのに。
全ての運命を美しくまとめてくれたアルに俺は深く感謝し、妻となった女性を強く抱きしめたのだった。