願いを叶えることであり世界構築
声が、聞こえてしまったから。俺は屋上までやってきた。助けてくれ、では決してなかったと断言できる。なにか人には理解できない言語だったような気がするし、酷くノイズが混ざっていて、下手したら耳鳴りが起きてしまいそうだった。これが“最初からこの世界に気づいていた者”の運命なのかもしれない。それでも、屋上まで来た。ならば、やることはたったひとつ。
腕に抱えた少年はカッターナイフの刃で口が裂けていた。止血をしようにも刃が邪魔だった。考えている間にも、俺のワイシャツを赤い染みが浸食していく。気持ち悪い、という感覚はなかった。
「はぁ……」
口から漏れるのはため息ばかりだ。この世界は“願ったことが実現する”。ならば、と神に祈ってみる。忌々しい“死神”だろうがなんだろうが現実を書き換えられるっていうのならやってみやがれってんだ。
かなりやけくそではあったけれど、目の前の少年から全ての刃が取り除かれることを望んでみた。
すると少年は数度咳き込んで、口から刃を吐き出した。その数はざっと数えて四十。中には口内の皮膚が付着しているものもあった。とてもじゃないが見ていられない。
やっぱり人間なんて嫌いだ。
「はぁ……」
爪ががり、と音を立ててコンクリートの床を擦る。
燃え盛る炎のように、怒りという感情が込み上げてくる。あぁ、止められないんだな。理解した時には物陰から飛び出していた。
無論、コンクリートを靴が叩いて音が跳ねる。
彼らがそれに気がつかない程愚かではないということは理解していた。
「なんだお前」
「……なんで、ここが」
野球部って雰囲気の坊主頭で長身の少年は強気だったが、その隣にいた眼鏡で伸ばした黒髪の少年はどうして俺がここに気がついたのかわからないと言った感じに、眉を下げた。
「はぁ……。ここがどんな世界か、だいたい理解できた」
「あぁ?なに言ってやがる」
坊主頭は明らかに怒っていた。殴られたら痛そうだ。
「さしずめ、“いじめが咎められない世界”を“死神”に願った、ってところか」
俺は嘲笑った。
「お前も可愛がってやろうか?なぁ?」
「まずいよ。昌樹」
「うるせぇ、黙ってろ」
昌樹と呼ばれた野球少年風の男が隣にいた眼鏡を裏拳で殴り飛ばす。少年のメガネはフレームがひしゃげ、コンクリートの地面に叩きつけられた。
「殺すぞ。雑魚が」
男の手に、金属製のバットが握られていた。さっきまではなかったのに。
俺はため息をついた。内心では笑っていた。
たった今見たものがこの世界の全てだと理解したからだ。
「死ぬのは、お前かもな。ヤンキーにもなれなかった最低野郎」
次の瞬間、背後で爆発。衝撃で吹き飛ばされた昌樹は、目の前に手をつき、倒れることは回避した。
「残念だな」
迷うことなく、その鼻っ柱を蹴り飛ばす。おそらくは骨まで逝ったであろう衝撃音がして、昌樹は鼻血を飛ばしながら仰向けに倒れた。
倒れた昌樹に近づいて、鎖骨のあたりを踏みつける。
「クソ……が…」
「クソはテメェだ。あの世に行けば反省でもするか?」
「しねぇよ。クソが」
起き上がろうとするが、俺が踏みつけているせいでできない。
「おい悠!なんとかしろ!」
眼鏡の少年へ向けて、その言葉は放たれた。しかし、少年はオドオドするだけで、俺に攻撃しようという気は感じられなかった。
「はぁ……」
ばかばかしくなって、その場を退く。俺の頬を鋭利な刃物が掠めていった。
怯えた顔の眼鏡を壊された少年がこちらを見ていた。
「離れろ……!」
「何言ってんだ。もう離れただろ」
「関わってくるなよ!」
そう言う声は明らかに震えていた。俺は動じることもなく、まっすぐに飛んできたナイフを人差し指と中指で挟んで受け止める。
「じゃあなぜあんなことをした!お前らは間違っている。他人を傷つけて得られる快感なんて、後に残らない。くだらなくて、ゲロが出そうなほど気持ち悪いモノじゃないか!」
「……うるせぇよ」
昌樹の振り下ろしてきた金属バットを躱す。次の瞬間、振り下ろした終着点から横薙ぎのフルスイング。金属製のバットは木製のバットに錆びた釘が大量に刺さった、いわゆる釘バットになっていた。
右手を前に翳す。昌樹は見えない力に阻まれたように、俺に攻撃をすることはできなかった。
「あァ!?」
驚きをあらわにする昌樹を、俺は嘲笑った。
「…………バカめ」
拳を握ると、みかんが潰れるみたいに、釘バットは粉砕された。
「昌樹、どいて」
眼鏡の少年──、悠がナイフを飛ばしてくる。腹に突き刺さった。けれど、問題ない。痛みを感じるだけ。
俺はさっきまでいたところを指さして、問う。必要な疑問は、空に聞いたら教えて貰えた。
「あの少年は……、青木仰は死んだと思っていた。だけど、彼は生きていた」
右肩にナイフが刺さる。痛いけれど、まだ耐えられる。俺は続けた。
「彼は君たちの醜い“願い”に作られた。そのせいで人形になった。呼吸も飯も必要とせず、ただお前たちにいたぶられるためだけに、嫌がる反応をするように出来上がっていたものだった」
ナイフは左の太ももを貫く。それにも構わず更に続ける。
「だけど、君たちが今いたぶっていたそいつ、六宮英二は、俺と変わらぬ人間だった。お前らがどうしてこんなことをしたのかはわからないしわかる気もない」
金属バットが頭に振り下ろされた。きっと昌樹──一条昌樹の目には、俺が脳漿をぶちまけ、凹んだ頭蓋骨を晒しているように見えていることだろう。
「ただ、俺は助けてくれ、という声を聞いてしまった。それが、お前らの運の尽き、“願い”の綻びだった……という訳だ」
次にため息をつく頃には、空から四トントラックが降ってきて、校舎の一角を破壊した。
全ては、俺の“願い”だったから────。
× ×
俺は屋上に一人、佇んでいた。ついでとばかりに六宮英二も四トントラックの下敷きにしてしまったことに、若干の後ろめたさを感じていた。地上には砕けたアスファルトの屑と、荷台の“箱”が酷く歪んだ四トントラック。そして気を失っている人間が三人いた。
騒ぎになっていないことが不思議だったが、“ハコニワ”はそういう世界だったと納得させる。
気配を感じて振り向くと、俺の背後には“死神”がいた。
「キミは本当に……」
“死神”すら、絶句していた。
「ボクは連れてくる人間を間違えたかもしれないね」
“死神”は、髪を掻きむしった。少女然としたその仕草に、目が離せなくなる。
「……なら、今すぐ帰す。ってのはどうだ?」
返事がわかっていても、そう聞いてみた。“死神”の答えは、全く予想と違わなかった。
「それはできない。キミを今から外に出したら、この世界は歪みに耐えきれずに消滅してしまう。そうなればキミ一人のために数万人もの幸福が奪われてしまうよ」
俺は舌打ちをした。屋上の手すりに身体を預けて、“死神”を見る。
きっとこの世界は間違っていると思う。
“快楽機械の思考実験”というものがある。対象となる人間は寝たきりで“いい夢”だけを見ることができる機械に繋がれ、耐えることない“快楽と幸福”を得ることができるというものだ。だけど、それは虚構でしかない。得られる快楽は本物であっても、傍から見た“その人”は眠ったまま、なのだから。
この世界は現実ではない。ここで得られる幸福が、たとえ“本物”だとしても、それはやはり“夢の中の出来事と同じ”なのではないか。
俺は“死神”を睨みつける。“死神”はジャグリングをする道化師のように、両手を広げておどけてみせた。