選択は仲間とか救出とか
くだらない自己紹介タイム。それをぶち壊したのは他でもない俺だった。
「お前らは“ハコニワ”から出て行きたいのか?」
その問いに対して、みんなそれぞれ思うところはあるのだろうが、きっと触れられたくない理由でもあるのだろう。
「やめないか。ここにいる人間がどういう連中かはわかっているだろう?」
黒崎が言った。
「残念。全部わかっている」
俺は笑った。ばかばかしかったからである。俺には刺されて困る傷などないのだ。
「では、どうして」
「お前らが信用に足るか知るべきだ。足りないのなら俺はお前らとは行動を共にしない」
「じゃあ、あんたから話しなさいよ?」
そう声を挙げたのは桃瀬友梨奈だった。俺を睨んでいる。だが、そんな視線には動じない。
「俺に話すことなどない。ただ、緑川結衣を押し付けられても困るというだけだ。現実世界の方が居心地がいいなんておかしいことだとは思わないか?」
「あんた、そんな言い方……。わかった……ごめん、章…」
「ところで、お前のそのカレシは本物か?」
「失礼ね。本物よ!」
「……喋らないのは“死神”に願ったからか?」
「……そうよ」
俺に視線を合わせる桃瀬友梨奈と紫藤章は不愉快そうに身じろぎをしていた。まぁ、それも当然のことだろう。品定めをされるようにプライベートを抉られて良い気はしない。仮に俺がやられる側だったなら今すぐそいつを殴り殺していたところだ。
「お前にそいつの声は聞こえているのか?」
「まぁ…、ね。他の人には聞こえてないって知った時は驚いたけど」
「……なるほど」
俺が顎に手をあて、ひとりで勝手に納得していると、今まで沈黙を貫いてきた白金進が口を開いた。
「……やめておけ。まともじゃないな、お前」
「だから?」
「…………本気で言ってるのか?」
白金が呆れているのは明らかだった。だが、こちらには曲げる理由がない。
「必要なことだ」
「……お前はそんなことをしても他人を信用できるとは結論付けないだろう」
「お前に何がわかる」
俺は白金の胸ぐらを掴んで彼が寄りかかっていた教室の窓に押しつけた。
「黙れ。このままてめぇを落としたっていいんだ」
改めて間近に見る白金進という人間は、ぼさぼさの髪で目元を覆い隠していて、どこか表情が読めない。だけど、口の端が笑っていることを示していた。それから彼は俺にだけ聞こえる声で囁く。
「……それは無意味。こんなことをしている暇はない。お前にだけはいいことを教えてやる」
「つまり?」
「……“死神”の居場所を知る者がこの世界の住人に紛れている」
ふん、と嘲笑うように鼻を鳴らし白金を解放する。勢い余って彼は床にしりもちをついたが、俺は気にしない。
「じゃあな。ふっ…」
踵を返して教室を出る。廊下をしばらく歩くと、自分の内側から込み上げてくるものを抑えきれなくなった。
「……あはっ、あははははっ!」
頭を抱えて、膝から崩れ落ちる。ビニル製の床シートが冷たく、そして痛かった。
「…………はぁっ……。くだらね」
立ち上がる。背後に人の気配を感じて振り向くと、そこには変わらず緑川結衣がいた。
「雫、今日はもう帰ろう?」
結衣の目には涙が浮かんでいて、今にも溢れ出しそうだった。“死神”の奴が作り出したニセモノだって言うのに、どうしてこうも感情的なのだろうか。
「先に帰っていればいい。俺は行くところがあるから」
再び背を向けて歩き出す。もう振り向かない。“現実”からずっと履いていた靴が床を叩く音だけが聞こえてきた。
××
屋上。校舎のあちこちに存在する階段。そのひとつは屋上に通じている。普段は扉が閉まっていて、南京錠によって閉ざされている……はずだ。しかし、いざ来てみれば南京錠は無惨にも破壊され、扉も強引に蹴り飛ばされたのか、中央部からくの字に曲がり、中央は更に凹んで黒ずんでいた。
誰かが強引に突破した。俺はそれだけを理解すると、迷わずに階段を登った。屋上に続く階段は、腐食し、ぼろぼろになったロッカーや、脚の折れた机などが無造作に置かれていて、まるでスクラップ置き場だった。中にはビニールの貼られていない傘もあった。その中を足音ひとつ立てることなく進む。既に誰かが通った後で、ところどころ机が避けられていた。少しは歩きやすくなっていることを感謝したが、きっとそれは虚構だ。中身のない感謝を受け取ってくれる人間は少数派だろう。
ちょうど段数にして二十段を登ったところにドアノブの壊された屋上への入り口があった。
押せば開くその扉の前で、聞き耳を立てる。そこには俺がここに来た理由があるからだ。
聞こえてきたのは叫び声。ああ、やっぱりそうだ。もうやめてくれ、その声が届く先には俺しかいない。とはいえ、こんな世界でもイジメだなんて惨めなことだ。俺なら迷わず飛び降り自殺をすることだろう。
「はぁ……」
俺はため息をついて、それからゆっくりと扉を押して屋上に乗り込む。後ろ手でそっと扉を閉め、音を立てないように壊れて取れかかったドアノブを外した。
少年が二人、そこに立っていた。屋上の柵にもたれかかっている人影もひとつ。そこから離れたところにも一人倒れている。
床に残るまだ乾いていない血の跡がここで起こったことの凄惨さを示していた。
まずは現在進行形で事件が起こっている方を避け、倒れている方を音が出ないよう慎重に屋上に設置されたヒートポンプ設備の影に引きずり込む。彼が倒れている場所には周囲より多くの血痕があった。
「……喋れるか」
話しかけては見るものの、返事はない。意識を失っていた。
「ムダだよ」
“死神”の声がした。見れば俺の脇にそいつは屈んでいた。肩まで伸ばされた癖のある金髪に、黒いフード付きパーカー。そしてそこから飛び出る“ウサギの耳”。本当にコイツのことはよくわからない。
「彼はボクが作ったんだ。向こうにいる暴力魔の願いを叶えるために」
「なぜそんなことを」
少しばかり声には怒りの色が滲んでいた。だけど“死神”はそんなものを気にすることはなく、飄々と答える。
「だって、“願いを叶える”ことがボクの役目だから。それにしてもすごいね。よくココを見つけられた。キミは本当に特別だ」
「音だよ。聞こえた」
「キミは耳もいいんだね。すごい!」
その顔は見えなかったけれど“死神”は笑った気がした。それは幼い少女そのもので、俺をこの世界に閉じ込めた悪魔と同一人物であるとは思えなかった。
「“現実”の人間が傷つけられるよりはよっぽどいいと思うけどな。所詮は魂の宿ってない、“人間のフリをするだけのモノ”なんだから。この子はさっき、カッターナイフの刃を口に詰められた状態で殴られてたんだよ。きっと口の中はズタズタだ。その前は蝉とかカビの生えたパンを食べさせられたりしてたかなぁ?」
どこか楽しそうにそう言った。それから“死神”は立ち上がって、自分の服に着いたホコリを払った。
「でもね。今殴られてる彼、キミと同じ“現実”から連れてきた子なんだよね。助けてあげたら?」
彼女は一歩下がると、そこから消滅した。
後に残された俺には、数分後の未来を選ぶ権利だけが残されていた。