出会いとは終わりの始まり
“ウサギの耳”は俺の前から立ち去った。後には何も残っていない。立ち去った、というよりは“消えた”と言った方が正しいのかもしれない。
『キミはココにいるべきだ』
その声が頭から離れなかった。
俺の願い……。壁、か……。
“ウサギの耳”が言っていたことは概ね正しかったと思う。
俺がココに呼ばれたことも。ここが“ウサギの耳”のテリトリーだってこともな。
現にアイツは俺の目の前で消えて見せた。
しかし、考えても無駄なことはある。
それよりも今はこの世界を探索すべきであるという心の声に従おうと思う。
立ち上がって、制服についた埃を払った。ついでに乱れた襟元も正す。
「そこで何をしている」
教室の入り口付近の壁に、高校の制服を着た男がもたれかかっていた。目元を隠すように伸びた黒い髪がやけに印象に残る。
「さーな。俺にもわからん」
「……今来たばかりか」
「…………?なぜわかる」
「俺も、気付いているからな。この歪な世界に」
「……そうか」
「つーわけで、お前さんにプレゼントだ。忌々しい“死神”からだ」
黒髪の少年の背後、廊下から緑色がかった髪の少女が現れた。それはよく知っている少女で、頭の後ろで纏められた髪が風で揺れた。
それは俺を苦しめる元凶であり、俺が“ハコニワ”に呼ばれた理由だ。
「やっほー、雫。元気?」
「……緑川…………、結衣…………」
「どしたの。そんな怖い顔して」
「…お前、そんな喋り方だったか?」
一歩、後ずさる。結衣はその分の一歩を詰めてきた。まずは、この状況から逃げる方法を考える。思考を回して答えに導く。
「雫、逃げないでよ。一緒に帰ろ?雫の家行ってもいい?あたし雫のこともっと知りたいな!」
「……やめろ。来るな」
「なんで。なんでそんなこと言うの?」
「放っておけよ……」
教室には前後に扉があって、結衣や少年の入ってきた前の扉とは反対側、黒板から遠い扉から出て行こうとした。
「待て、お前はコイツを連れていくしかねぇ。はずだ」
「は?」
思わず少年に掴みかかる。
「どういうことだ」
「言葉通り。“死神”以外にこの少女を削除することはできない。しかし、この世界に彼女の居場所はない。だから、お前が連れて行け」
少年の言葉を受け取って、考えてみるがよくわからない。居場所がないとはどういうことなのだろうか。それに、削除するとはどういう意味だろう。
「……意味がわからない」
「まぁ、無理もないか。説明してやろう。ついてこい」
「まぁ、構わんが……」
「行こ、雫」
「……触れるな」
結衣がつなごうとしてきた手を振り払い、少年の後に続いて歩き出す。背後からぶつくさと文句が聞こえてきた気がしたが、そんなことを気に留める気にはなれなかった。
「どこへ向かう。今更だがお前は誰だ」
少年の肩を掴みかねないくらいに強く腕を伸ばしながら聞く。実際に伸ばした手は、難なく躱されてしまったが。
「俺は黒崎陽平と言う、覚えておけ。それから、お前はココが現実とは違う場所であるということに気がついているみたいだから、今からこの世界の住人どもに会わせてやろう」
「……やはり、相当数いるのか?」
「いや、そんなにはいない。多くても100人……とか、その程度だろう」
「これから会うのは?」
「残念ながらその1%にも満たない。2人だけだ」
「……そうか」
「楽しみだね!」
「お前は黙ってろ」
結衣にデコピンをお見舞いし、悪態をつく。本当に心底鬱陶しい。現実にいるはずの緑川結衣と比較しても三割増し程度の煩わしさを感じて、ため息をつく他になかった。
校舎の構造はよくわからなかったが、人気のない方へと向かっていることは自然と理解できた。霧ヶ峰第四高校の数倍も複雑な廊下を、黒崎と名乗った男は迷うこともなく進む。きっと慣れているのだろう。
そして校舎の果の果て。南京錠と鎖で閉ざされた屋上への扉の脇に、その部屋はあった。黒崎は躊躇することもなく、そこに足を踏み入れる。扉の脇、通常の視線の斜め上、“第二十三講義室”。札には印刷された文字でそう書いてあった。
「なにしてんの。はやく入ろ?」
「……そうだな」
結衣に背中を押され、その境界を越える。
向こう側には人影がひとつ、ふたつ……全部でよっつ。入り口と反対側の窓から射し込む夕陽のせいで、そこに人がいることくらいしか認識できなかった。
「聞いていた人数より多いようだが」
「すまない。忘れていた」
黒崎がそう言うと、ふたつの並んだ人影が騒ぎ出す。
「ちょっと!それどういう意味よ!……ふんふん。章も怒ってる!」
「悪かったって言ってるだろう。お前らはいつも一緒にいるからもはや二人で一人だ」
「ところでそこの目つきの悪い人とポニテの美少女は誰だ、って章が言ってるよ」
どうやら少女と、それから隣にいるのは男らしいことはわかった。
「だってさ、自己紹介でもしてやったらどうだ。ま、こいつらバカだからすぐに忘れると思うが」
「……そうか」
「は?今私のことバカって言ったわね!?」
「実際バカだろ。カップル揃って“ハコニワ(こんなとこ)”にまで来ちまうんだから」
言い合いをする黒崎と女をうるさいと一蹴し、俺は名乗りをあげる。
「……赤羽根雫。この世界は何もかも気に入らないことばかりだ。“ウサギの耳”も、結衣も。だから俺は“ハコニワ”をぶっ壊す」
人影の反応は様々だったけれど、皆一様に口を開こうとしないということだけは共通していた。
「緑川結衣でーっす!雫は、あたしの彼氏なの」
静寂をぶち壊したのは結衣だった。一人だけ飛び跳ねて、場違い甚だしい。こりゃ後の黒歴史確定だな、と俺はため息を吐いた。
「私は桃瀬友梨奈。こっちは紫藤章よ」
先程、黒崎と口論を始めていた彼女はそう名乗った。残る一人は口を開かないかと思っていたが、俺の予想に反して彼は口を開いた。
「……白金進」
「そうか。よろしく」
よろしくするつもりは微塵もなかったし、きっと彼らにも微塵もなかった。それでも、自己紹介の最後を不要な言葉で飾った。
「ところで、お前らは帰りたいのか?」
俺は問う。間違いなくそれはこの世界を変える、もしくは終わらせるためのものだった。