チケットはキミの願い
満たされていない。
その気持ちだけは決して消し去ることができなかった。
俺は幸せだった。
少なくとも一般的な常識に当てはめてみて、俺のことを不幸だ、惨めだと笑う人間はいないだろう。
自分で鏡を見ても、顔が悪いとは思わないし、勉強については常にノー勉でテストを受けても平均並には取れた。
だけど、俺の中身は空虚としか言えないものだった。
常に冷めている。ただ、それだけ。
周りをバカだと蔑みつつも、本当は消えてしまいたいと望んでいた。
俺には彼女と呼ぶべき存在がいた。彼女は可愛かったし、優しかった。だけど、そんな彼女のことすら俺は愛してはいなかった。それに気づいた時にはもう手遅れだったけれど。
気がついた時には、なにもない、真っ白な空間にいて、これは最初夢だと思った。俗に言う明晰夢ってやつだって。
そこには俺と“死神”だけがいた。“死神”はとても可愛らしい少女だった。少なくとも俺にはそう見えた。
“死神”は幼い声で俺に一言、
「“君の理想のハコニワ”へようこそ」
と言った。次の瞬間にはもう意識がなかったのだと思う。俺が最後に目にしたものは“死神”の頭からぴょこんと生えたウサギの耳だった。
××××
目が覚めたら見知らぬ天井があった。辺りを見渡すと、どうやらここは学校であるらしいということがわかった。だけどそれは、俺が通う霞ヶ峰第四高校ではなかった。
ここに来る前、君の理想がナントカカントカって言われたような気がするが、よく思い出せない。まぁ、そんなに大事なことではなかっただろう、と自分を納得させた。
だけど、それだけで俺は気がついてしまった。
ひび割れた空。隙間から射し込む紫色の光。無秩序に建てられた高層ビル群。それらの横っ腹をぶち抜くように、日本一高い電波塔である東京スカイタワーが斜めに建っていた。
「冗談は本命チョコを装った施しくらいにしておけ」
俺が呟くと、背後から笑い声が聞こえた。
「あはははは、キミのセンスはおかしいね」
「……そうか」
「ちょーっと気付くのが早くないかなぁ?」
また、“ウサギの耳”。
そういうデザインのパーカーを着ているような気もするが、耳は本当に生きているかのように跳ねる。これは永遠の謎かもしれない。
「……なんのことだ」
「この世界は、ボクが作ったんだ」
「…絞め殺す」
“ウサギの耳”に手を伸ばす。ノーモーションで繰り出されるそれを避けられた“人間”はいなかったが、まるで瞬間移動でもしたかのように“ウサギの耳”は俺の目の前から消えた。
「キミがボクに触れることは不可能だよ」
「……クソウサギが」
「酷いなぁ。これでもボクはキミの願いが叶って幸せになってくれることを信じていたんだよ?酷いのはキミの方だ」
“ウサギの耳”はしくしくと目元に手をあて泣いている素振りを見せる。
「知らん。俺はなにも願っちゃいない」
「それはウソだよ。キミは強く思ったハズだよ」
「……何を」
「キミは確か……『誰かに心の壁を壊してほしい』……だったかな?」
「……それが、どうなると」
鬱陶しい、それから、イライラする。何もかもが見透かされているみたいで気分が悪い。俺は彼女にすら本心を晒そうとしなかった。本当は打ち明けるべきこともあったのだろう。だが、俺はそれをしなかった。きっと俺の“本当の姿”を知ってしまったら、彼女は俺から離れて行ってしまう。それがどうしようもなく怖かった。“本当の俺”が彼女が思っているように魅力のある人間ではないと知られてしまう、その時、どうなるかがわからないことだけが不安要素だったが、きっと失望されるという確信があった。だから、閉ざしていたのかもしれない。
「キミの“本当の姿”を知っても、キミを受け入れてくれる人間を用意したのに、なんで出会う前に気がついちゃうかな?」
「……そんな人間は…必要ない」
「本当にそうなら、ボクはキミを“ハコニワ”に呼ぶことなんてなかった。ここならなんだって叶うんだよ?ある者は“恋人と永遠に離れない”ことを願い、またある者は“誰からも認識されないこと”を願った。ボクはそれを全部叶えた。今からでも叶う。全て現実になる。だから、キミはココにいるべきだ」
“ウサギの耳”は、また会おうね、と言い残して消えた。後に残ったのは俺と、物音ひとつない、夕方の校舎だけだった。