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 時刻は真夜中。不意に、目が覚めた。


 本日倒れてから二日目の夜。使用人たちは面倒見が良かった。


 部屋に食事が運ばれ、それはレギュラスがかつて好物だったものばかり。だがシュベルツの好みはレギュラスとは正反対。首を横に振って、食事を拒否しても今度はリゾットが運ばれた。


 食事をとらないと薬が飲めないので、食べて下さい。


 執事にそう言われ、しぶしぶとリゾットを口に運ぶ。まだ優しい味がした。


 広い部屋の中で、たった一人で過ごすことは酷く静かだった。昔は狭い部屋に兄妹がぎゅうぎゅうにつまって寝たものだ。確かに狭苦しかったが今ではそれが恋しくてたまらない。


「お坊ちゃま、どうかなさいましたか?」


 部屋の様子を見に訪れた執事。名前はヴィルマン・ウォッカ。この屋敷に来た時から今日まで、随分とお世話になった良い人だ。


 今も飲み物を注いで、渡してくれる。


 シュベルツは渡された飲み物に口を付けた。


「ああ、ヴィルマンさん」

「はい」

「目が覚めてしまって」

「そうですか」

「あの、俺はいつまで寝ていればいいんですか? 寝ているだけだなんて、俺」

「いいえ、お坊ちゃま。今は休息が必要な時で御座います」

「だけど……おれ、痩せないと。頑張らないと」

「……失礼ですが、お坊ちゃま。何故そこまで必死に?」

「何故? 何故だって? そんなこと、痩せればここから出れるんでしょう? お医者様がそう言いました。俺が痩せて、心を入れ替え、公爵様から提示された教養の基準値を満たせば、ここから出れるのだと。だから俺は頑張っているんです」


 この場所から早く出たい。もう七ヶ月だ、七ヶ月もこんな場所で贅沢をしてしまっている。


 七ヶ月で如何にか100㌔近くまで体重を落とす事に成功したが、それ以降中々体重が下がらない。


 もっと頑張らなければきっと罰が当たる。早く、早く、一日でも早く、この場所から。


「……だけど足りない、もっと頑張らないと……だめだ、まだ足りない」


 まだ全然痩せていない。もっと痩せなければ。勉強も頑張って、作法も習って、こんな場所から出ていくんだ。


 母は、弟たちは、妹たちは。


 元気にしているだろうか。心配だ。


 瞬きを繰り返すたびに、ほろりほろりと熱の籠った涙が頬にあとを作る。


「早く、早く俺は、家族に会わなければ」

「家族?」

「そうなんです、俺は早く、家族に会いに行かないといけないんです……だから、俺は……」


 そう言い掛けてシュベルツは意識を手放した。


「これはまた、薬がよく利いてしまいましたか。それにしても、家族……ですか」


 執事ヴィルマンは少しだけ考えるそぶりを見せると、睡眠薬が残るコップを持って部屋を後にした。


***


 季節は雪の降る頃。


 そろそろ、降誕祭の時期。


 降誕祭は毎年、年の終わりに近い時期に三日間かけて行われる祭り。


 シュベルツは勉強も運動もしない日々に飽き飽きしており、その日は人目を盗んでこっそりと部屋を後にした。勿論ベッドの中には布を丸めたものや、クッションなどを掛け布団の中に押し込んだ細工を忘れない。


 書斎や居間、温室には度々足を運んだことがあったが、その他の部屋は公爵の命で出入りを禁じられている場所が多く存在する。


 けれどシュベルツは、この屋敷の中を探検したい気持ちで溢れていた。ちょっとぐらいならいいよな。


 そんな軽い気持ちで行動に移す。


 そろり、そろり、抜き足差し足忍び足。右よし、左よし。後ろよし、前方に進め。


 侍女がとある一室から出ていく。


(たしか、あそこって)


 絶対に入るなと言われている部屋。


 ちょっとだけ覗くくらい、いいだろうよ。


 好奇心でこっそりと部屋の扉を開いてしまった。


「寝室?」


 そこは誰かの寝室だった。シュベルツは覗くだけのつもりが、その身を部屋の中に潜らせてしまう。


 背後の扉はゆっくりと締まっていく。


 シュベルツは一歩一歩、部屋の奥へと進んだ。


 自分の部屋や、外の廊下の正に絢爛豪華とは全く違う静かで古めかしい雰囲気の部屋。内装が全く異なっている。


「あ、これ」


 シュベルツは机の上に置かれた大きな籠の中身を見つけて、顔を綻ばせた。


 籠の中には数種類の毛糸や、刺繍糸、レース糸。編み物や裁縫の道具がこれでもかと詰め込まれていた。


「うわあぁぁ! 凄い、こんなにッ!」


 手に取って一つ一つ見ていると、ふと昔を思い出す。


 幼い頃、母親にマフラーや手袋を編んで貰った記憶がある。兄弟が増えてからは、母親に教わりながら自分も一緒になってよく編んでいたものだ。


 お母さんの編んだセーターを着ると心まで温かくなる。


 もう冬だ。


 シュベルツは寒くなった部屋で鼻水を啜った。


 もう二十二歳だというのに、最近はとても涙脆くなってしまっている。


 思い出にばかり浸っていてはいけない、もっと前を向こう。そろそろ自分の部屋に戻らなければ。シュベルツは踵を返して入った扉を開けようとしたが、その扉は一向に開かない。


 この感覚どこか懐かしい。まるで部屋に監禁されていた時のような……。


「鍵、掛けられたー!?」


 どどど、どうしよう!?


 あたふたと助けを求めて扉を叩くも誰も気づいてはくれず、シュベルツはどうしようかと再び籠の傍に戻る。


 すると籠の底に編み掛けのレースを見つけた。


 そのレースの模様にシュベルツは見覚えがあった。母親が時折編んでいた物と酷く似ている。母は裁縫が好きだった、刺繍だって得意だった。水仕事で荒れた手で、色んな衣服を作ってくれる魔法の手を持ったいた人。


 嗚呼、やっぱり駄目だ。思い出すたびに家族が恋しくなってしまう。


 シュベルツはその編み掛けのレースを持ったまま近くのロッキングチェアに腰を落とした。


 ***


 どれくらいの時間が経ったことだろうか。


 夕刻時、屋敷の中は騒がしくなっていた。


「レギュラス様が、レギュラス様が! お部屋におりません!! どなたか、レギュラス様を見かけておりませんか!!」


 レギュラスの様子を伺いに訪れた侍女が大慌てで屋敷中の使用人に伝え回る。


 屋敷中大捜索。中には屋敷から逃げ出したのではという声が上がる。


 かくいうグレンとケルヴィンもレギュラス捜索に屋敷の中を駆けまわっていた。


「ケルヴィン。レギュラス様はいたかい?」

「いいや、見つからない」

「もしかして外に?」

「これだけ探しても見つからないとなると、その方向も考えた方が良いだろう」

「そっか……、一度ホールに全員集合して欲しいってヴィルマンさんが」

「分かった。行こう」


 二人はホールに向かう。ホールには既に大半の使用人が集まり、情報を交換していた。


 台所にも、書斎にも、温室にもいない。外に出た形跡も見当たらない。こんな寒空の下、コート一つ持たないで外出は在り得ない。近隣住民を訊ねたが情報は皆無。じゃあ何処だ。


「やっぱり逃げ出したのではなくて?」


 誰かが、やっぱりねそうだと思うわ。と、声にした。


「あと、屋敷の中で探していない場所は?」

「客室は全て見て周りました。レギュラス様が隠れられそうな場所も全て」

「書庫や衣裳部屋にもおりませんでした」

「では……、あの」

「なぁに、あなた」

「はい、考え難いですが鍵のかかった幾つかのお部屋は?」

「いいえ、まだ確認しておりません。ですが」

「では一応確認を」


 使用人は各自、鍵を手にして部屋を回った。


 鍵の掛けられた幾つかの部屋、それは実父ロードンと義母カレンティアの寝室とレギュラスの異母兄妹、弟ジーン、妹エリアスの部屋。


 そして前妻であったオフィーリアの寝室。


 オフィーリアの寝室でロッキングチェアが揺れる。


 侍女は部屋の鍵穴を回し、その扉を開いた。


 暗い部屋、いつもならカーテンが閉まっているその部屋で、少しだけカーテンが開き外の光が差し込む。朧げな光が導く先でロッキングチェアは揺れていた。


 誰かがそこに腰を下ろしている。


 侍女は驚いて、震えた声で訊ねた。


「あ、あの、レギュラスお坊ちゃま……で、御座いますか?」

「ん……あ、ああ!! 鍵が開いた!!」


 シュベルツは編み掛けのレースを手にしたまま、無事生還できたと部屋の外に飛び出した。


 レギュラスが見つかったとのお触れは屋敷中を駆け巡り、使用人たちはホッと一息ついて彼の安否を確認するとそれぞれの持ち場に戻っていった。


 一方シュベルツはとても冷えたと、その手を赤くして温かい飲み物を頂いていた。


 ついでにケルヴィンに怒られながら。


「何故、何も言わずに部屋から居なくなった!!」

「え、えと……ちょっと好奇心で」

「こういうことをするから、信用が薄れると何故学習しない!」

「ここまで大事になるだなんて、思ってもみませんでした」


 本気でそう思っていた。けれど、シュベルツが思っているよりもレギュラスの評価はマイナス方向だったようだ。


「ベッドにこんな小細工までして……全く。余計な手間をかけさせるな。愚か者」

「すみませんでした……」


 シュベルツは未だ巨体を縮こませて謝る。


「レギュラスお坊ちゃま。今回の事、旦那様には既に報告を出させて頂きました」

「……はい」


 執事ヴィルマンもやれやれだと、疲労を顔に浮かべた。


「ですが、何故お坊ちゃまはオフィーリア様のお部屋に?」


 オフィーリア。その名前は確か、レギュラスの母親の名。


 そうか、あそこはレギュラスの実母の部屋だったのか。シュベルツは少しだけ考えて口を開く。


「何故って……いつも鍵が閉まっていて、けど偶然開いていたので……でも入ったら鍵をかけられちゃいまして、驚きました」

「なるほど、分かりました。掃除に当たった者によく言い聞かせておきませんと。それと、そちらのお編み物は?」


 ヴィルマンはシュベルツの横に置かれたレースに目を細める。


「ああ、部屋にあったんです。だからちょっとやりたくなって」

「そうでしたか。それで、いつからお編み物にご興味が?」

「えーあー、ぼちぼちですかね?」


 見ていたら何となく手が伸びて。


 シュベルツはぎこちない笑みを浮かべ、すすすとレースを引き寄せて隠した。


 まずかったかな、まずったな。レギュラスは編み物なんてやらなかったのか? やらないかったんだろうなあ。


 シュベルツは冷や汗をかく。


 だが、ヴィルマンは目を細めて笑って見せた。


「お懐かしゅうございますな。オフィーリア様も、よく編み物をしておりました」

「え……」

「お坊ちゃまも憶えておいででしたか。オフィーリア様もよく、あのロッキングチェアに背を預け、時間を忘れていつも編み物や刺繍に集中しておりました」


 懐かしい、懐かしい。あの頃が懐かしい。ヴィルマンは笑みを浮かべる。


「あ、あの……オフィー、えーっと。母上ってどんな方だったんですか?」

「そうですな。お坊ちゃまはまだ幼かったですから……旦那様には私が話したことは秘密でお願い致します」


 ヴィルマンはオフィーリアについて、シュベルツに話して聞かせた。


 『オフィーリア・エイガー・アウグス・セイアッド・アッヘンヴェルバッハ』、齢二十三にして命を落とした、レギュラスの母親。


 容姿は色素の薄い金の髪に、色の濃い碧眼。趣味はお裁縫、ダンスも得意で度々夜会に足を運んでいた。


 ロードンとオフィーリアは政略結婚だったそうだ。


「笑顔が絶えない方でした」

「そう、でしたか」

「ご病気だったのです、不治の病でした」


 病気は突如として彼女を襲った。亡くなる半年前から手足が段々と動かなくなり、口を動かすことも困難で食事もまともにとれなくなっていく。瞬きも出来ず。終には呼吸をする事さえ赦されず。人知れず息を引き取った。


「とても素晴らしい方でした。行動力があおりで……ですが旦那様はそれを快く思わなかった」


 公爵である己の妻には、完全な淑女であれと口にしていた。


「本当ならば乳母に世話をさせる予定のレギュラスお坊ちゃまを、自身が腹を痛めて産んだ子だと手放さずにおりました。貴方様はオフィーリア様に、まこと、愛されておりましたのですよ」


 レギュラスは母親に愛されていた。だのに、どうしてこんなどうしようもない奴に育ってしまったのか。シュベルツは編み掛けのレースを手に取った。


「珍しい模様で御座います。なんでもオフィーリア様のお婆様の故郷に伝わる図案だとか」

「へー、そうなんですか」

「時間は過ぎてしまいましたが。そろそろ、夕食になさいましょうか。運ばせます故お待ちください」


 ヴィルマンは一礼して部屋を後にする。ケルヴィンもいつの間にやら部屋に居なく、シュベルツは再びレースを編み始めた。

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