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 この屋敷で目を覚ましてから約一週間。


 現状をほどほどに把握出来た。


 この体の持ち主の名前は、レギュラス・フォン・アッヘンヴェルバッハ十五歳。そう十五歳。


 体重が百キロ超えのこの体で十五歳。耳を疑った。


 身長もこの年でかなり高い。正直シュベルツ・ロットーとしての肉体よりも背が高い。まぁ、本当の身体の方は成人男性の平均値もないんだけど。


 もう本当に巨体中の巨体。デブ。


 こんなデブが、貴族のしかも公爵の嫡男なんて聞いた時は、冗談だと笑い飛ばしたが本当に公爵令息だった。


 嘘だと言ってくれよ。


 なんでも学園で一騒動やらかしたようで、無期限の謹慎処分。つまり自主退学を言い渡されたらしい。だがレギュラスは学園を中退する事を拒否。


 親も手が付けられない我が子を、こうやって領地に送り返し現在に至ったらしい。


 なんだそれ、もうそんな奴ほっぽりだしちまえよ。


 そんなこんなで部屋からは一歩も出されず、一週間。ようやっとこの体に慣れてきた。


「だが重い」


 重たすぎる。どう足掻いても少しの運動で大量の汗。気持ち悪い。


 一日で何度身体を拭いたことだろうか。


 下を向こうにも顎肉が邪魔をし、腹の贅肉のせいで足元が見えない。


 一週間。なんとも酷な日々だった。出される大量の脂ぎった料理に食が進む事もなく、間食として出される菓子は全品砂糖菓子、口直しの紅茶やコーヒーなんて甘ったるすぎて吹きだした。


 高級な砂糖がたっぷりと使われたそれらはさぞ価値のあるものなのだろうが、物には限度があるのだと思い知らされた。


「全部人の喰いモンじゃなかとですって!? なんなんだよ、この油がのった肉って……気持ち悪すぎる。ああ、俺は根っからの庶民舌だったんだ」


 出される食事全てが舌に合わない。運び込まれる食事の量がおかしなほどに多すぎる。


 この一週間出された食事にあまり手を出さずに居れば、心配する声もあったが、昔にも一度食事をしないで同情を買おうとしたストーリーがあると一蹴り。


 遂には料理長が部屋まで訪れ何を食べたいのか問われた。


「できれば、あの、野菜スープを下さい」


 そう、野菜が食べたい。野菜が食べたいのだ。


 だがそんな俺の一言に、料理長は大慌てで医者を呼んできた。


 レギュラス君が野菜を食べたいなんて嘘でも言う筈がない、そんな風に言われてしまい再び検査。


 ちなみに俺が今まで医者だと思っていた人は、この家の執事と呼ばれる、主人に変わって家事や事務を監督し執行する人だった。


 今目の前に居るのは白衣に腕を通した、本物のお医者様だ。


「お名前は?」

「しうべっ……レギュラス・フォン・アッヘンヴェルバッハ。十五歳」

「ご両親のお名前は?」

「……??」

 

 レギュラスの両親の名前なんぞ知らない。この屋敷の人々は旦那様や奥様としか呼ばないから。


 ここでレギュラスお坊ちゃまの様子がおかしいと話が持ち上がり、記憶障害になってしまったのか、もしくは記憶障害の振りをしているのかと言われる始末。


 どうしてレギュラスはこんなにも信用されていないんだ。何をしたらこんなんなるんだ。


 仕事上の都合でレギュラスの部屋を訪れる使用人に、シュベルツは色々なことを訊ねた。


 父親と母親の名前、アッヘンヴェルバッハ公爵とはどういう存在か、レギュラスとは他人から見てどんな奴だったか。


 最後の質問は流石に言葉を濁されまくったが、結果としては、父の名はロードン。十年前に亡くなった実母の名はオフィーリア。現在は後妻として義理の母であるカレンティアという女性がいるらしい。


 カレンティアさんはもともとロードンさんの愛人で、息子と娘が一人ずつ。レギュラスには双子の弟と妹が居るんだと。


 つまり、五人家族。


 ロードンさんとカレンティアさん、その実子である下二人は現在王都に居ると聞いた。


 アッヘンヴェルバッハ家領地キャンベルも、シュベルツの故郷であるカロル村とは全くの正反対に位置する場所にあり、この屋敷を抜け出して向かうなんて到底不可能。


 そもそも屋敷からは抜けだせる筈がない。


 部屋は常に鍵を掛けられ、窓は開くがこんな高い場所からこの巨体で降りるなんて自殺行為。


「あの、どうしたら部屋から出れますか?」


 度々様子を見に来る医者にそれとなく訊ねれば溜息を吐かれ、首を横に振られた。


「レギュラス様。それは、旦那様がお決めになることですので、私からはなんとも」

「そう、ですか」

「……ですが、この部屋を出る方法ならばいくつか」

「え、あるんですか!?」

「それは、もう……ただ一つ。貴方様が痩せればいいのですよ、レギュラス様」


 ただただ静かに、笑顔でそう言われた。


 医者は今日の診察は以上だと部屋から出ていく。


「そっかあ、痩せればいいんだぁ」


 なんだ痩せればここから出して貰えるのか。だが、本当にこの脂肪の塊をそぎ落とす事は可能なのだろうか、けれどやってみなければわからない。


 手始めに準備運動を一通りやってみたが、たったそれだけの……いいえ。まだ準備運動の半分も終わっていない段階で床に伏せた。


「なんて、なんて体、なんだ……よっ! レギュラッス!!」


 準備運動でこんなにバテるなんて生まれてこのかた初めてだよ。序の序で行き詰ったよ。


 ぜーはーぜーはー息が乱れ、呼吸が苦しい。玉のように汗が滴る。嘘だこんな事があっていい筈がない。


 脂肪のせいで上手くしゃがめない、脂肪のせいで脂肪のせいで。


「だっが、やらなきゃ……!」


 痩せてこの部屋を出て、故郷に帰らねば。家族が待っているんだ。やらねばならぬのだ。


 シュベルツはその目に涙を浮かべて立ち上がった。


 ドッスンドッスンドスンドスン、ドッスン。酷い音。


「きゃっ、なにこの音と震動?」

「あら、知らないの? レギュラス様が部屋で暴れているのよ。ここ最近、ずぅーっとね」

「そうなの? 最初は大人しくなったのかと思ったけど、やっぱりね」

「もういやになっちゃうわ」


 下の階で侍女が隠れもせずに言葉を交わす。

 だがそんな屋敷の噂話などシュベルツの耳には届く事もなく、シュベルツは部屋の中を歩き……訂正、走り回っていた。


「やらねば、やるんだ。絶対に……痩せるんだ!」


 この腹の脂肪を消し去ってやる。


「何事ですかお坊ちゃま!!」


 ダァンと開く扉の向こう、使用人が大慌てで入り込んでくる。


「何って、運動をしているんです。見てわかるでしょう」

「いいえ、全然。床で寝そべっている様にしか見えません」

「ちょうど良い所にきてくれてありがとうございます。腹筋をしたいので足を押さえてほしいんですけど」


 シュベルツは入って来た使用人を巻き込んで腹筋と言う名の、ただの首を動かす運動を始めた。


 一週間、二週間。その状態は続き、遂に身体が悲鳴を上げた。


 酷い筋肉痛だ。全身が痛みを訴えている。


 ついでに食欲が襲ってくる。食べても食べても食べ飽きない。


 手が止まらない。


「ダメだ駄目だ、これじゃあ痩せるなんて……ッ!!」


 夢のまた夢じゃないか。


 シュベルツは料理を運んでくる給仕に部屋に運ぶ量を減らしてくれと懇願した。間食も要らない。寧ろやめてくれ。一日三食から、二食でいい。


 そうして再び部屋の中をドスンドスンと走り回る。


 シュベルツは必死だった。こんな訳の分からない世界に一人投げ込まれ、誰一人として知り合いもいなく、完全な監禁生活。気が気じゃなかった。いつになれば外に出られるのか、窓から外の景色を見下げる。


「ああ、止めてくれ。俺は、レギュラスなんかじゃ……」


 ないんだよ。そんな声も口が塞がって言えない。


 会う人全員が自分をレギュラスと呼ぶ。


 いつしか自分がシュベルツであることが嘘で、本当にレギュラスなんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。嗚呼怖い、恐ろしい。


 その恐怖に打ち勝つ為、家族に会いに行くという希望だけを抱き、シュベルツは今日も必死に身体を動かした。

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