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 最初の内は豪勢な品々にいっちいち驚いてはいたが、遂には周囲の景色など気にしている余裕はなくなっていった。廊下は広くて長いし、階段も広くて長い、極めつけの玄関ホールも広くて長い。


 お蔭で全身に鉛を付けている様なこの体型で、長い距離を歩いただけでもうこんな汗だくだ。最悪だ。息切れしてんぞ。汗もベトベトして最低だ。


 シュベルツとは兎に角腰を下ろして休みたく、促された馬車の中へと乗り込んだ。


 その背後ではメイド服に身を包んだ女性がひそひそと話している。


「お坊ちゃまが大人しいだなんて」

「珍しいこともあるものね、朝はあんなに暴れて大変だったのに」

「旦那様に殴られたんですって、ほら頬が赤いわ」

「あら、本当だわ」

「もう二度と、あの人には会いたくないわ。このまま領地に引き籠っていればいいのに」


 何を言っているのかは聞こえた。だがシュベルツはそんな事に構っていられるほどこの体には体力がなかった。


 嗚呼、本当になんと言う体たらくか。いや自分の本当の身体ではないんだよ。それでもこの程度の運動量で息切れなんて情けない、情けなさ過ぎる。


 情けなさで涙が溢れてきそうだ。辛すぎる。


 息を整えていると、自分の他に逞しい男性が二人乗り込み彼らは目の前に腰かける。


 誰だろうかこの人たちは。なんと言う素晴らしい身体の引き締まり具合、羨ましい。元の身体だったらあの位は目指したい。


 馬車の扉は締まり、女性たちの声は聞こえなくなる。そうして遂に馬車は走り出した。


「もう逃げないで下さいよレギュラス様」

「今度逃げられたら私共の首が飛びます」

「はぁ、そうなんだ。大変ですね」


 まだ疲れはとれなく、右から左へと相手の言葉を聞き流し適当な相槌を打つ。


 息も整った頃。目の前の二人をようやっと認識できた。


「えっと、お二人は?」

「え、朝も言いましたが俺がグレン」

「私がケルヴィンです」

「ああ、そうグレンさんとケルヴィンさんね。俺はしゅうへふつ……」


 シュベルツと言ったら口がもごもごして縛られる。


 やっぱりそうなんだ、己の名を名乗れない。


「レギュラス様、どうか致しましたか?」

「い、いや。あの、この馬車は何処に向かっているんですか?」

「どこって……それは勿論、アッヘンヴェルバッハ家領地、キャンベルに決まっているじゃありませんか」


 初めて聞く名前に首を傾げる。


 あっはん、ヴェル? ああ、違った。アッヘンヴェルバッハね。長い家名だ。


 キャンベルって何処だ。


「あのー、窓を開けても」

「いけません。旦那様からの御命令ですので」

「あ、はい」


 窓を開けることは許されず、食事の際は小さな小窓から食事が運び込まれる。


 なんだろう、運び込まれる食事のなんと言うか、このしたたる油のぎっとぎっと感。味は良いんだろうが、こんなこってりしたものを馬車の中で食べるなんて吐きそう。


 シュベルツは半分も食べないうちに手を止めた。


「すみません、もういいです……うぷっ」


 食えたもんじゃない。早々に食事を終えて自分が座っている座席が、なんともふっかふかな事に気付く。すっごくふかふかだ。なんて贅沢な。手触りも最高、ずっと撫でていたくなるレベル。


「え、レギュラス様。これだけでいいのですか!? 嘘だー、いつもはこれの倍の倍の倍だって聞いてますよ! もう用意させてあるんです!」

「馬車の中で、こんなものを食べるなんて、どんな嫌がらせなんですか」


 既に吐き気が込み上げてくる。


 うっぷと口元をおさえて、なんか段々と具合が悪くなってくるじゃないか。あー食べるんじゃなかった。初めて食べる食べ物だから興味本位でがっつくモノじゃない。


 もう結構だと皿を返せば、グレンと名乗った男が何を言っているのだと皿を突き返してくる。


「ほら、ちゃんと食べて下さいよ」

「いやいやいや、勘弁してくださいよ」

「決まった時間にしか食事は出しません。ですから後々食べたいなんて我儘を申されても、間食すらお出しできません」

「もう要らないです、当分いらないです」


 数度の押し問答の末、遂にシュベルツは盛大に吐き散かしてしまった。そりゃもう、胃の中の物全部吐きだす勢い。マジかこんなに胃の中に入ってたのかよ、気持ち悪い。


 シュベルツは吐いた後に白目をむいて気を失った。


 目を覚ませばまたも見知らぬ豪勢な天井ではなく、天蓋。白いふかふかのベッド。


「今度はどこだ?」


 目覚めても脂肪の塊がのっそり付き纏う。シュベルツは布団から起きることもせずに、白く靄が掛かった頭で何十分、何時間と過ごす。


 怠いのだ。兎に角かったるい。これは重い病気にかかって一週間丸々動けなかったあの時と似ている。


 まさか自分は病気なのだろうか、もしかしたら自分は死んでしまうのだろうかと悪いことばかり考え本当に心細くなった時、やっと誰かが部屋にやって来た。


「お目覚めですかね、レギュラス坊ちゃま」

「あなたは……?」

「ほっほっほ、体調の方はどうですかな?」

「……きもちわるいです、ほんとうに、自分の体じゃないみたいだ」


 みたいじゃない、本当に自分の体ではないのだ。けれどその事を伝えようとして、再び口が内側から縫い付けられる。


「それはそれは、では脈を測らせて頂きますね」


 多分この人は医者だろう。脈を測ったりと、色々してくれるから。


「ここは、どこですか?」


 健診をしてくれる医者に問い掛ければゆっくりと返事を貰えた。


「アッヘンヴェルバッハ家領地キャンベルにある屋敷ですとも。お坊ちゃまはここに来るまでの旅路の最中、お倒れになられたのです。覚えていらっしゃいますか?」

「……あー、確かに。無理矢理食べさせられそうになって」


 馬車の中で盛大に吐いた。


 その当時を思い出せば、なんとも忌々しい。


「四日もお目覚めになられないので、心配しましたぞ」

「あぁ、どうも」


 そうか、そんなに……よっか、四日。


「よっかあぁぁ!?」


 大きな声を上げて飛び起きる。あの日から四日も経っているとはどういう事か。しかし勢いよく飛び起きたせいで頭がぐわんと回り、再びベッドの住人に戻された。


「どうされましたか!?」

「四日、四日も俺は寝ていたんですか?」

「はい、そうですとも」


 なんてこった。本当になんと言うことだ。


 本当ならば夜間馬車を乗り継いで昨日までに故郷に帰り家族に迎えられ、一時の休暇を過ごす筈だった。


「そうだ、俺があの日ぶつかったアイツはどうなったんですか!?」


 そうあのぶつかって来た巨体。いや、今の俺が巨体なんだけど、そうじゃなくて。


「申し訳ございませんが、その事に関しては旦那様から緘口令が敷かれまして詳しくはお伝え出来ません」

「ななな、なんで!?」

「何故とは、お坊ちゃまがその方に対して報復をなさらない為の配慮ですとも」

「ほうふく? どうして俺が報復なんて」

「過去に何度もありましたでしょうとも。一つ言わせていただけるのであれば、彼は実によい青年であり、今回の出来事は医療費と口止め料だけで口を閉じて頂けました」


 何が何やら分からない。


「あ、あの、その青年の名前は、シュベルツ・ロットーなんて、そんな話」


 ありませんよね。と言い掛けて、医者(仮)の目が鋭くなったことに気付いた。


「何故、お坊ちゃまが彼の名を……」

「そ、それが、聞いて下さい。実は俺はレギュラスむごごごシュベルツ、むごごごご。からふぁあふぃへはわっへ」


 言葉が縛られる。本当の事を言えない。こんな事ばっか続けていたら変な人認定されちゃうんじゃないだろうか。なんだ、むごごごって。


 「身体が入れ替わって」と言いたいのに、それすら口に出来ない。


「この事は旦那様に報告させて頂きますとも。いいですか、レギュラス坊ちゃま。貴方はこの謹慎中、この領地……いいえ、屋敷。この部屋から出ることは許されておりません」


 医者っぽい人はそれだけを言い残して部屋を去って行く。


 扉は締まり、ガシャンと大きな音をたてて施錠が施されてしまう。


「う、うっそだろぉ」


 シュベルツはなんの理解も出来ないまま、再び部屋の中で一人残されたのであった。

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