鏡の中の少女
「お父さん!」
娘の声が聞こえる。
私には娘がいる。
娘は昔から鏡の中にもう一人の私がいると言うのだが、
小学校に入るころにはすっかりそんなことを言わなくなり今では地元で有名な進学校に入ることになり一安心していた。
「お父さん!起きて!会社に遅刻するよ!」
昔から、私は朝に弱く娘にはよく起こしてもらう。
いつだっただろう。そんな娘が亡くなったのは。
学校の帰り道。偶然走ってきた車に轢かれて死んでしまった。
私はその悲報を会社で聞き、病院についたころにはすでに息を引き取っていた。
それからのことである。
鏡の中に娘が見えるようになったのは。
最初はただの錯覚だと思っていた。
しかし、娘は確かにそこにいるのである。
はっきりと姿が見えるのである。
声が聞こえるのである。
私には見えてしまうのである。
「お父さん?どうかしたの?」
「あぁ、なんでもないよ。」
そう、いつものように娘に言い聞かせると私も会社に行く支度をする。
これが日常になってしまっている現実が、私だけのものだとしても。
娘はいろんなことを知っていた。
娘のこと、友人のこと、家族の思い出、それはすべてあっていて私もついに気が狂ったのかと思うこともある。
いつからだろう、この娘が本当の娘であるように思えてきたのは・・・。
それが悪いことだとは思わないがどう考えたって正気ではない。
誰かに相談できるようなことでもないし、これ以外はすべて日常である。
娘がいる日常なのである。
そういえば、少し前に聞いたことがある。
「お前は誰なんだ?」と、
そしたら娘は
「お父さんの子供だよ?」と笑いながら答えた。
「本当なのか?」と私は涙ながらに聞くと、
「そうだよ。」と娘も目に涙を浮かべながら答えた。
私は嬉しかった。娘は死んだがこうして会える。声を聞くことができる。
それだけで私は途方もなくうれしかったのである。
ある日、娘がいった。
「私がお父さんの子供じゃなかったらどうする?」
「お前は私の娘なんだろ?」と聞き返す。
娘にそっくりな容姿、娘と同じ記憶をもって、私を毎朝起こしてくれる優しい子。
それはきっと娘であってもなくても私の日常なのだと信じていた。
「実はね。お父さんに隠してることがあるんだ。」
「私は・・・。」
そこまで言うと娘は黙ってしまった。
今にも泣きそうな顔をして。
やめてくれ。私まで泣いてしまいそうだ。
「私はホンモノじゃないの。」
あぁ、そうなんだろう。私はきっと知っていたんだ。
「私は影、お父さんの娘の影なんだ。」
昔、娘が言っていた鏡の中の少女。
今はそのことばかりで頭がいっぱいになった。
「影はね。光がなきゃいつか消えちゃうんだ。だからお父さんが毎朝起きれるようになるまでずっといられないの。」
「だから、ちゃんと起きないとだめだよ?」
あぁ、わかっている。わかっているとも。
いつしか、私は泣いてしまっていた。
「お父さん、今まで私を娘として育ててくれてありがとうね。」
その言葉を最後に娘はゆっくり消えていった。
その日、私の日常は戻ってきた。
そう、娘はもういないのだ。
だが、私は前を向かねばならない。
あの子たちのために一生懸命に日常を生きなければならないのだ。