Ep5
屋上からまばらに見える夜の街の光に、咲は目を細めた。
同じ班の人間が自分達の事を、『すぐにやめるかと思ったが、予想より長く続いている。きっとあの真綿みたいなお坊ちゃんが緩衝材になっているからだ』等と揶揄しているのを咲は承知していた。
半年近く一緒に働いているダイスケと啓治との関係は相変わらずだった。
啓治に対しては最初の印象が悪かったのがいけない。自分の方も褒められた対応ではなかった。反省し、違った態度で接しようと試みたものの、何をやっても結局は沼に杭。啓治の咲達に対する接し方が変わる事はなかった。
「なんだかなぁ~」
ため息交じりに独り言ちる。
調書を取る作業中に理不尽な言いがかりをつけられるなんてことは日常茶飯事だが、それに加えて今日は自分のミスで班長やダイスケに迷惑をかけてしまった。こんな日には、普段は気にかけないようにと心がけている事でも落ち込んでしまう。
「……いや、こんな事でめげてはいけない! 私はオッサンや同僚との人間関係で思い悩むためにポリシアに来たんじゃないっての!」
そうして自分を励ましている咲の耳に階段を上がってくる人の足音が届いた。
情けない姿をさらしている自覚のあった咲は思わず給水塔の後ろに身を隠した。
ドアから現れた人影に目を凝らしてみるとそれがダイスケである事がわかった。
なんだと思い給水塔の後ろから姿を現そうとしたが、もう一つ近づく他の足音が咲を止めた。
現れた猫背のシルエットに顔が見えずともすぐにそれが誰か分かった。
「……オッサン?」
啓治とダイスケが二人で話すなんて場面は別に珍しいものではないが、就業時間外にこんな場所でというのは意外である。
「なんだよ用って」
先に口を開いたのは啓治の方だった。微妙に警戒するような口調である。
どうやらダイスケが啓治を呼び出した様だ。同じチームの自分は蚊帳の外で一体何の話をするのだろうと咲の心に緊張と僅かな不満が沸き上がってきた。
「高坂さん、単刀直入に言います。俺はあなたの隠している事を知りたい」
「……なんのことだ」
啓治の口調が明らかに攻撃的な色を帯びる。
「あなたは大事な事を隠しているんじゃないですか」
「なんのことだって言ってるんだよ」
「探偵に何を探らせているんですか? ポリシアが入らないスラム街での婦女暴行事件について調査している理由は……」
「おいッ」
ダイスケの言葉をさえぎって啓治はその胸倉をつかんだ。
「てめぇ俺の後をつけてやがったのか」
「あなたが探偵と会っているのを見かけたのも、スラムでの事を知ったのも偶然です。ずっとあなたが好んで今のように振舞っているようには思えなかったし、あなたが秘密裏に捜査している事がー個人の事情からとは……ッ」
今度は乱暴に突き飛ばしてダイスケの言葉を止めた。
「ほぉ、大学出のエリート坊ちゃんが偶然スラムで俺を見かけたと? スラムに知り合いがいますとでも? 一体何のつもりか知らねぇが、嘘もまともにつけねぇガキが大人のやる事に口を出すんじゃねぇ!」
無言でその瞳を見返すダイスケに啓治は念を押すように言う。
「あの娘と違ってお前はもう少し賢いと思ってたが、とんだ思い違いだったようだ。二度と仕事以外の事に首を突っ込むな。言われた事だけやってろ。わかったな!」
取り付く島もない様子でバタンと派手な音をさせて屋上のドアを閉めると啓治は去っていった。
今のやり取りは一体なんだったのだ。
咲が跳ねる心臓を落ち着かせている間に、ダイスケも屋上から消えていた。
その夜、咲はなかなか訪れない眠りに何度目かの寝がえりを打っていた。
ダイスケは、啓治が他人に知られたくない秘密を抱えている事を知った。
これまでの付き合いから、ダイスケは個人的な問題に好奇心から首を突っ込むような人間ではないと、咲には思えた。だから本当に重大事が絡んでいる可能性が高い。何かポリシアの職務と関係があるような重大事が。
そこまで考えて、しかし自分はダイスケと言う人間の事をどれだけ知っているのか? どんな人間なのか判断ができるほどダイスケという人間を正しく理解しているだろうか? という疑問が浮かんでくる。
啓治に対する毅然とした態度と決然とした口調。あれは皆が言うような、また自分が思っていたような、当たらず触らず何事も穏便に済ませればそれでよし、とする類の人間のものではなかった。
啓治の事は元より知ろうとも見ようともしていなかったわけだが、ダイスケの事はこの半年で少なからず分かったつもりになっていた。しかし、全くトンチンカンな方向を見てダイスケという人間の本質を全く見誤っていたような気がしてならない。
啓治が単なる粗野で意地が悪い人間ではないというのも、険悪な場の雰囲気を取り除くためダイスケがその場しのぎに言っているのだと思っていたが、ダイスケはきっと啓治という人間を見て彼の本質は違うところにあると考えていたに違いない。
その結果、咲には想像すらできなかった啓治が抱える重大な秘密に辿りついたのかもしれない。
「はぁ……ダイスケ君どうして私に相談してくれなかったのかなぁ」
そう呟いた後に、当然かとため息をついた。
頭の中で堂々巡りをしていた咲だったが、最終的には未熟で愚かな自分という存在への苛立ちに集約されていき、悔しさに涙をこぼした。