6.お隣さん
目の前には高層マンション。
できればこっちがよかったなあ、なんて。
俺がこれから一人暮らしするアパートとは大違いでさ。
二階の角部屋、通気性はいいし中に入れば意外と悪くないかも。
風呂もトイレもキッチンもちゃんとあるし古い設備っていうわけでもない。
六畳の洋室も一人で暮らすなら十分か。
ちなみにこのアパートは警察関係者の利用も多く、居住者は刑事さんだったり、屈強な警察官を目指す人だったり、特殊な訓練を受けている人だったりとまあ普通じゃない。
管理人さんは警察関係者じゃないらしいけど、
「あらぁ、君が新しく入る子ね? 何か武術経験は?」
「武術より剣術のほうが、豊富です」
「そう、それはまた話が合いそうねえ。あ、防弾チョッキとか必要になったら遠慮なく言ってね?」
「防弾チョッキ」
「うん、あとは暗視ゴーグルなんかも置いてあるから」
「暗視ゴーグル」
「その他はねえ、ガスマスク、トンファー、警棒にスタンガン、メリケンサックと一応道具は揃ってるから」
この人は一体俺に何をさせたいんだろう。
「たまにあのマンションから流れ弾が飛んでくるときあるけど気にしないでね」
「気にするんですがそれは」
ここってマンションの監視も兼ねているのかな。
お隣さんにご挨拶しに行ったら窓に望遠鏡らしきものを立ててマンションずっと覗いてたし。
しかし綺麗な子だったなあ。
名前は苑崎葵さん、素敵な名前だ。
十代後半? 俺が挨拶に行っても一言も発せず頭だけ下げて、寡黙的な印象があった。
彼女も刑事なのだろうか、最後まで何も言ってくれなかったなあ。
声、聞いてみたかった、正直。
一階には石島さんの部下が住んでいて、ちょくちょく石島さんもここには来るとのこと。
ちなみに窓や壁は全て防弾仕様、見た目はアパートだがその強度は要塞レベル。
しばらくはここで様子見しながら敵の動向を窺い、街で調べた情報を集めながら敵の潜伏している場所も把握しにいく、と。
筋者は刑事さんが対応してくれるから気にしなくていい――って言われたけど気にするよ。
「あんたが一人暮らしするなんて……」
姉ちゃんがやってきた。
手提げ袋の中には生活用品の助けになるものが入っていた。
表情は芳しくない。
「たまに飯食いにきていい? あとたまに部屋掃除しに来て」
「分かった分かった」
「てか飯作って」
「……」
食材がやたらあったのは昼飯目的か。
まあ俺も昼飯まだだったから作ろう。
「姉ちゃん、スーツ姿だけど会社からはここ近いの?」
「意外と近いわよ、昼飯をどっかで食うよりだったらここで食べたほうがいいわ」
昼飯どころか帰りには俺んとこよって飯を食うつもりなんじゃないだろうか。
「ここに住む人達ってなんか異質ねえ」
「だよねえ」
「若い子もいるけど、どこか雰囲気がおかしくない? なんか鬼気迫るものがあるっていうか」
それは俺も思う。
「ここ家賃はタダっていうから許可はしたけど、やばくなったらすぐ戻ってきなさいよ」
「ああ。でも姉ちゃんもこの前のニュース見たでしょ? ああいうのを防ぐためにも俺が動かなきゃ」
「無駄に正義感が強いのはいいけどそのやる気を職探しに費やしたら?」
「返す言葉もございません」
ちゃぶ台で飯を食うのも、なんだかいいね。
今までは無駄に広いテーブルだったからどこかこう、寂しい感じになってしまった。
「これを機に姉ちゃんも彼氏でも作れば?」
「いい男がいないのよね」
「きっとすぐ見つかるって、ちゃんと自分で家事ができるようになればね」
「なんで家事できる奴がいるのに家事をする必要が?」
「そんな疑問抱いちゃうかあ」
駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
「ん、誰かノックしてない?」
「え?」
ほんとだ、ノックしてる。
てかずっと一定でノックしてて不気味なんだが。
「はい、どなたです?」
扉を開けてみる。
ああ、お隣さんだ。
「どうも、どうしたんですか?」
「……」
何も言ってくれない。
ただ俺をじっと見ている。
身長は俺と同じくらいか、整った顔立ちはセルファを思い出すね。彼女と同じくらいに綺麗な人だ。
ぐぅ。
妙な音が聞こえてくる、今の音は果たしてなんだったのか。
「……あの」
「……」
無表情で無言、妙な威圧感が漂ってくる。
「お腹空いてるんですか?」
苑崎さんは小さく頷く。
お腹が空いた結果、俺の部屋を訪ねてくるというのはどういった理由なのであろうか。
今日の昼食は回鍋肉、豚肉のいい香りが漂い胃袋をくすぐること間違いない。
「食べます?」
また頷いた。
中に招き入れたほうがいいのかもしれない、このまま戸を閉めたら彼女との関係が悪化しそうだ。
「どうぞ」
また小さく頷き、彼女は中へ入っていった。
上下ジャージ、平日でこの格好……彼女は仕事をしているのか?
俺がそんな疑いを持つのも甚だしいのだがね。
「何この子」
「隣に住んでる苑崎葵さん」
「私の隣に座り始めてじっと回鍋肉見てるんだけど!?」
「それは彼女が空腹だからだよ」
「だから何なの!?」
ごもっともで。
回鍋肉、多めに作っておいてよかった。
彼女の分もよそってやる。
「どうぞ、遠慮なく」
ついでにご飯もよそってやろう。
どれくらい食うのかなこの人。
「――す」
あれ、ようやく彼女の声が聞けた気がしたぞ?
なんて言おうとしたんだろう。
手を合わせてたから――いただきます? くそっ、よく聞き取れなかった。
「寡黙的ねえ、女の子はもっと元気にいかなきゃ! 私はこの糞ニートの姉の月子よ! よろしくね!」
「糞ニートて」
苑崎さんの返答は基本的に無く、頷くのみのようだ。
ただいい食べっぷり、その辺は元気だね。
「ジャージ姿もねえ、女子力が足りないわよ、お洒落しなきゃお洒落」
「家事できない姉ちゃんも女子力足りてないと思うんだけどいたーい、手の甲に箸がめり込んでる!」
「綺麗な黒髪ねえ、私みたいにもっと腰まで伸ばしてみたら? 色気が出るわよ?」
「姉ちゃんは色気っていうよりも怠けが出てるから家事頑張っいたーい、太ももに箸がめり込んでる!」
少しは聞く耳を持ってくれたっていいじゃない、弟なんだもの。
「す」
食べ終えるや彼女は深々と頭を下げて、姉と違って食器はちゃんと流しに持っていって部屋を出て行った。
「変わった子ねえ」
「皿を片付けてくれる面では姉ちゃんより女子力高いたいいたいいたい! 頬に箸が!」
「お前はもう家事をしている」
「家事をする秘孔があるなら姉ちゃんに何度も突いてるぞ」
今に始まったことじゃないし、片付けしよう。
その後姉ちゃんは昼休みぎりぎりまで昼寝をして、時間になるや急いで部屋を出て行った。
次は零れ落ちている女子力を拾い上げてから来てもらいたい。
一人になれたし、荷物をさっさと片付けておこう。
短期の一人暮らしになりそうだしそれほど荷物は持ってきてないんだがね。
必要最低限のものは揃えてある。
ただプレスタ4が無いのは非常に痛い。
姉ちゃんは申し訳程度に初期のプレスタを持ってきてくれたがこれでどうしろと。
昔のほうが名作が多かったのは同感ではあるが肝心のソフトがない。
今度持ってきてもらうか……。
今後の動きやらは石島さんと相談しなきゃいけないけど、これといって動かない日は俺の自由とは言われたが、何もすることがないと暇の一言。
「セルファもやってこないし、てるてる坊主も来ないし、どうしろっつうんだよ」
迎え撃つにはここは最適ではあるが、敵が動かないとなあ。
窓枠に尻をついて外を眺める。
住宅街だけど街寄り、少し歩けば街に行けるのは便利だ。
あの高層マンションも距離があるから日陰になることもない。
「苑崎さんはマンションの何を見てたんだろ」
少し気になる。
謎の多い人物だ、警察関係者ではなさそうだが。
つーか平日の真昼間からジャージってのは流石におかしいでしょ、ニートでは!?
……余計な詮索はよしておこう。
他五部屋中、隣が苑崎で下が刑事さん、他三部屋の居住者の顔は未だに見ていないがどんな人達だろうかねえ。
静かに暮らせるならそれでいいけど、周りを巻き込む可能性があるってのが不安の種である。
苑崎さんにも事情を説明しておくべきか? 何も知らず隣に住んでいるとしたら、説明しておいたほうがいいかもしれないが。
詳しく公表されていない情報を安々と言いふらしていいものなのか。
「まいったなあ……」
いつか説明する日が来るとして、俺のせいで引越しちゃったらどうしよう。
女難の相でもできているのかねえ。
ああ、こういう困った時はセルファに撫で撫でしてもらいたい!
今は洗脳を受けてると思うから撫で撫でどころの話じゃないけど。
あの子は本当にいい子だった。
歳は俺の一個下なはずだから今は十六歳か。
最後俺が元の世界に戻るっていう時もセルファは一緒に行くって言って大変だったなあ。
思えば一番俺に尽くしてくれたのは彼女かもしれない。
今や家事は俺の仕事だけど、異世界じゃあセルファがやってくれたし。
料理もよく作ってくれたなあ、異世界は野菜やら食用獣やらがいてそれほど食べるのには苦労しなかったね。
セルファの手料理、もう一度食べたいなあ。
『私の一部を込めましたので、是非食べてください……ふふふっ』
ってよく言ってたっけ、一部ってきっと愛だよね。
いやあ今思い出すだけでもにやけてしまうなあ。
フェイの奴も元気だろうか、なんでも出来たセルファの従者だったな。セルファってば地位が高いから優秀な従者も揃えててね。
料理できるわ戦闘技術も高いわで最初はよく色々と教えてもらってたっけ。
「セルファがこの世界に来てるのなら従者のフェイも来てるかな」
だとしたらあいつも洗脳を受けてる?
それならば厄介だ、あいつはセルファ以上に敵に回したくない。
魔物とか素手で殴り倒せるくらいの実力だしな。
女というかメスゴリラだ、うほうほ言って魔物ぶったおしてバナナ食ってる姿を想像すると違和感がなにもない。
「敵に回ってなきゃいいけど」
異世界で平和に暮らしていてほしい、切実に。
石島さんは今日は何時くらいに来るんだろう。
これからのこと、入念に話を進めておきたいんだよね。
一階に住む部下の人は訪ねてもいないことが多いし、それに話しやすさなら石島さんが一番だ。
「あっ」
窓の外を眺めていたら、隣で同じく顔を出す人物が一人。
苑崎さんだ。
こっちをただじっと見ている、なんというか、怖い。
「やあ」
声を掛けてみる、また頷くだけなのはお約束。
「あの、料理とか得意なんで、作って欲しいのとかあったら言ってください。結構なんでも作れますよ」
彼女は何度も頷いた、これから俺を頼りにするということなのだろうか。
「でもあんまり美味しいのは作れないですが」
するとすごい勢いで首を横に振りはじめた。
そんなことはないと否定してくれているのだろう、そうだとしたらすごく嬉しい。
苑崎さんは一旦顔を引っ込めるや、暫くしてなにやら取り出して見せてきた。
「……豚肉?」
彼女は一度頷く。
「これで何か作って欲しいと?」
二度頷く。
ふむ、リクエストだ。
豚肉を作った料理とな。
肉料理全般に得意だし彼女を満足させられる料理を作るのは、自信がある。
「じゃあ夕食に何か作りましょう」
その時。
苑崎さんは薄らと。
薄らとだが、笑顔を見せた。
これはなんと表現していいのか、滅多に見つけられないレアポ○モンと遭遇したような、びっ○りマンチョコを買ったら激レアものを引いてしまったかのような、そんな気分。
苑崎さんとは今後とも仲良く出来そうだ。
事件が解決しても俺はこのまま一人暮らしを続行するかもしれない。
彼女は小さく手を振って頭を引っ込めた。
引き際も可愛い。
くっ、セルファ以外でこうも心が揺さぶられるとは。
こっちの世界の女性も捨てたものではない!
思えば俺はセルファとは恋人関係もないわけだし、苑崎さんと……いやいやいや何を想像してるんだ俺はっ!
落ち着け、落ち着こう。
意識しすぎてるんだ。
セルファだって素敵な女性だ、彼女が言い寄るのならば受け入れるべきだぜ。
異世界であれだけお世話になって魔王討伐にも貢献してくれた、彼女がいなきゃ俺は魔王討伐まで成せなかっただろう。
彼女は本当に、いい子だ。
妙な話ばかりしてきたけど。
例えば将来は子供は何人欲しいだとか、子供を将来どんな職につけるかだとか、親子で行くなら山か海どっちがいいだとか、名前はどんな名前がいいだとか、仕事は会社の束縛は少なく家族の時間が過ごせるとこがいいよねとか、絶対に離れ離れにならない暮らしをしようねだとかあなたと今まで接してきた女性を教えてだとかあなたの一日の行動を知りたいとか身辺の心配までしてくれたし、趣味の共有やどこにいても一緒よとかそりゃもう親身に……
「あれ? 今思い返すと……」
いやいやいや!
きっと思い違いだ、セルファはいい女性だ。
最後だって、
『あなたなしでは私は生きていられません! どうか! あ、せめて私の血! 私の血を飲んでぇ!!』
って涙ながらに叫んでて、なんだかぐっときましたね。
……うん?
なんだろう、何故俺は違和感を抱いているのだろう。
変だな、元の世界に戻ってからセルファとの思い出に対して妙にクエスチョンマークが浮かび上がる時がある。
世界が違うとこう、世界観の違いとかそういう差異が生じるし仕方の無い感覚なのかもしれない。
この世界じゃあそんな情熱的な女性なんていないだろう?
男は年収を、それが低けりゃ女は哀愁はいさよなら的な。
大抵がそんなのばかりじゃない?
つまりニートの俺には誰も近寄らない、ただしセルファだけは別。
だからセルファは特別。
そういうわけだ。
たとえ洗脳されているといえ、俺に会いにきてくれるのならば先ずは抱きしめるかもしれないね。
君の手料理も食べたいよ。
君と一緒にまた異世界で暮らすのも悪くない、願わくば異世界にまた暮らしたいね。
ただあっちの世界でもニートなのは変わりないのだけどね。




