永遠と虚無。part2 忘却と想起
最近、僕は紅音さんと肩を並べて下校する。肩を並べてという表現には如何にも僕が紅音さんと同じくらいの背丈であるような暗示が施されているけれど、実際のところ、僕の身長はかなり低かった。丁度、目の前に紅音さんの胸が来るくらい。
彼女の胸の下半分に影ができている事をいとも簡単に確認できるくらい。そのくらいの背丈だ。
しかし、これだけでは紅音さんの身長がすこぶる高いという可能性を孕んでいるので、加えて申し上げておきますと、クラスで一番背の高い男子高山くんの体操服から浮き出た乳首の高さが、紅音さんの目線高さ。
紅音さんの背は、丁度、高山君の乳首が浮き出ていることに一番早く気づく高さ。
しかし、これでもまだ高山くんが2メートルを越す巨人という可能性を否定できないから申し上げておきますと、高山くんの身長は185センチ。
紅音さんの身長は女子平均くらいだから、僕の身長は更に頭一つ分くらい小さい。
でも、今日のような夏日の日中に外を歩くにはこれくらいがちょうどいい。紅音さんを日除けにして歩けば体感温度は3割減。その上、風が吹けば、ほんのりと女の子の芳しい香りが下校の億劫さを忘れさせてくれるのだから。
日陰の中、見上げた紅音さんの横顔は学校にいるときの知的なイメージとかけ離れて、如何にも女子高生という感じだった。第一ボタンを外したワイシャツも、意味もなく「暑い」を連呼するのも、犬のように口を開けて温度調節するのも、正にJKというやつだった。
「紅音さん。暑いって言うともっと暑くなっちゃいますよ」
日陰で清ました顔をする僕に、大口を開けた壮絶な顔で睨みを効かせる紅音さんは、きっと怒りという言葉を超えた感情でもってしていたに違いない。
きっと、これが世界レベルになると戦争が起こりうるのだろう。
僕は黙って前を向き直す。一瞬、紅音さんの足元だけでも影を作ってあげようかとも思ったけど止めた。
そうしてジリジリと熱気を放つアスファルトの上を歩いていくと、電柱の影の下、急に紅音さんが立ち止まったので、僕は数秒間ゲリラ光線を直に浴びた。
「ねえ、真木くん。ゲームしない?」
日光を受けてしまった僕には、日陰の中の紅音さんの不敵な顔がよく見えなかった。
「ゲームなら帰ってからにしましょうよ。早く帰りますよ」
「今、ここでないとできないゲームよ」
「はあ。まさか、日陰を歩かないとアウトみたいな小学生の遊びじゃあないですよね」
「ええ。もちろんそんなことではないわ」
白いシャツの袖をまくった紅音さんは、手首に通していた何の変哲もない黒いヘアゴムで髪をポニーテールに結う。煽りで見たその情景は、暑さで溶けそうな僕を緊張の糸でもって縛り上げた。
言い換えれば、僕は彼女のポニーテール姿にハートを掴まれたのだ。
「じゃ、じゃあ、な、何さ?」
「いい? 今から暑いって言ったら負け。そして、負けた方は勝った方に飲み物をおごる。あと、ゲーム中は相手の日陰にも入ってはダメよ、相手の日陰に入っても負けになるの」
ルールに不平等な点は一切ない。公平公正なルール。それだけに何かを仕掛けられるような気がしてならないけれど、まあ、気にすることもないか。
「いいですよ。受けて立ちましょう」
「じゃあ、この電柱の影から出たらゲームスタートね」
「分かりました」
電柱から出たらスタート、これがまず最初の仕掛けか。今の立ち位置的に二人同時に出たらその時点で僕の負け。僕は紅音さんが電柱の影から出たあとにスタートしなければならない。
紅音さんがスタートしたあとでも、僕が日向に足を踏み入れた瞬間に猛スピードでバックしてくる可能性があるから、注意が必要だ。
しかし、予想に反して紅音さんは僕の動向など気にすることなく、先を急いだ。僕はその後を距離を離してついて行く。
信号を渡り、バイパスを渡り、コンビニを横切って、紅音さんの家はもう見えるところにあった。
けれど、何も仕掛けてこない。
彼女の思惑の片鱗すら見えてこない。
ついに玄関まで来てしまった。そして、「真木くん、バイバイ」の一言で、紅音さんは茶色のドアの中へ消えた。
「なんだったんだ……?」
僕はその日、その後、ずっと考えていた。
おかげで翌日の目覚めは良いものではなかった。夏の目覚めは普段から良いものではないけれど、窓から向かいの家の屋根やら電線やらを見た途端に下校のイメージが載積されて、小さな体にどっと来た。
「まあいいや。紅音さんに直接聞いてみよう。どうせまた「意味なんてないわ。真木くん、無意味なことに意味を与えてしまったが為に踊らされたのね」なんて小気味良く僕を笑うんだろうけど……」
登校の準備を整えた僕は家を出て、向かいの家のインターホンを押す。紅音さんの家はお向かいさんなのだ。
ドアが開くと紅音さんのお母さんが出た。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
「そうねー。セミが五月蝿いくらいに鳴いて。あ、紅音はすぐ来るから、ちょっと待っててね」
「はい」
僕は無邪気にと心の中で唱えながら、しつこいくらいの笑顔を作る。
そうすると、決まって紅音母は微笑み、ドアが空気の壁を削りながらゆっくり閉まっていく。
2分ほどで再びドアが開き、紅音さんのお父さんが出てくる。
「おはようございます、お父さん」
「ははは、真木くん、お父さんはやめてくれよ~」
「えへへへ」
「じゃあ、気をつけて。紅音をよろしくね」
「はい! お任せを!」
お父さんは車のエンジンをかけるなりすぐに発進した。窓越しに見える真剣な顔は「娘は君のような弱そうなやつにはやらないぞ」と、言っている気がするが、手を振る僕の笑顔には応えざるを得ない魔力があるようで、最後に手を振り返してくれた。
車を見送って玄関を見つめていると、不意に空気の抜ける音がしてドアが開いた。
「ごめんね真木くん、いつも待たせちゃって」
紅音母が先に出て、すぐに紅音さんも靴を履きながら出てきた。
「お待たせ」
両足を地につけて、紅音さんは一瞬僕を睨んだ。けれど、お母さんが振り返るとケロリと無邪気な子供の顔に変わるのだ。
「じゃあ、行ってくるね!」
「いってらっしゃい」
この家の親子はかなり健全なやりとりをしている。それが僕の目の前だけでの出来事なのか常日頃からそうなのかは僕には分からないが、目の前の情景が平和ならば結構だ。
肩を並べて歩く。僕が左側で紅音さんが右側、いつも僕が車道側になるようにさりげなく立ち回っている。何故なら紅音さんのお母さんが門の角から覗いているから。僕は堅実に点数を稼いでいくタイプなのだ。
家が見えないくらいになってから、僕と紅音さんの会話は始まる。
「はあ、五月蝿いわね、セミってどうして毎年やってくるのかしら?」
「そういえば、外国には周期ゼミというのがいるらしいですね」
「ふーん、そう。でも、うるさいわねホント、夏って嫌だわ。セミが五月蝿いし」
「セミにとっては人生最期の1週間なんですよ。許してあげましょうよ」
「そ。でも、セミがいてもいなくても夏って嫌じゃない?」
「はあ……」
「嫌じゃない?」
「まあ、好きではないですが」
「どういうとこが?」
含み笑いで聞いてきた。ものすごく引っかかる顔だ。今までのやり取りを思い返しても夏が嫌夏が嫌としつこいくらいだし、僕がセミをどうできるわけでもなし、夏を来ないようにできるわけでもなし、それを分かっていてどうしてこんな意味なさげな事を言うのだろうか。
考えながらも適当に相槌を打つ。
「どういうとこって、そりゃ、暑いところとか……」
「はい、負け。帰りに飲み物奢ってね」
ポンと肩を叩かれた。
なるほど、そういうことだったか。けれど、とっくに紅音さんは僕の影に入っているんだがなぁ。きっとお得意のど忘れのせいに違いない。
「僕の負けですか、しょうがないですね」
僕は帰りにジュースとDHAのサプリメントを奢った。
後々、修正するかもしれません。
無駄が多いです。あと、物足りない部分もあります。