【七】
胡蝶
心静かに過去をふりかえってみれば、すべてが一瞬であった。二十五のときに俗世を棄て、五十余年がすぎた。
満開の桜の下 二月の満月の日の 死を乞いねがう
私の文学を究めることが、魂の救済につながると信じてきた。私の詩は、ほかの詩人たちのそれらとは明確にちがう。耳目をゆさぶるすべてのものは、虚妄でしかない。桜の花も、月も。生きとし生けるものすべて。私も、あのかたさえも。
私はそれを悟ったが、彼らは悟らない。悟らぬままに詩をつづり、後世にのこそうとしている。詩もまた、虚妄であるのだ。あるのは瞬間の美しさのみ。詠んだあとには跡形もなく消える。虹が架かれば七色に染まり、太陽の煌めきに感応する虚空のような心……詩を紡ぐことはまさしく、私の生命である。飯を食い尿を放ち、息を吸い眠ることと同義である。
そもそも詩とは、如来の姿である。一句を練るのは真言の詠唱であり、一篇の完成は偶像を彫りだすようなものである。私は死の床にあって、詩を紡ぐ。咳を交えて想起し、病苦とともに詩句を吐きだす。命を削りながら、如来像を彫りだしてゆく。
花が散ることなく 月の曇らない夜が永劫であったなら
私の文学は 確立されずに終着したはずである
夢遊
月の光が、やさしく降りそそぐ。私の門人たちが、見舞いに訪れる。そのなかに曾良の姿はない。
私はどうやら、死ぬらしい。旅の空の下……本望である。
私が死んだあと、築きあがった流派は消えてなくなるだろう。門人たちのなかに、理解者はひとりもない。感傷のこめられた涙に、私の心は動かない。見舞いの列を、冷ややかにながめるだけだ。
私が綴った散文や詩は、後世につたわるだろうか……いや。のこらぬほうがよい。流派とともに、跡形もなく消えるのがよい。瞬間の美しさがそこにある。それこそが、「軽み」にふさわしい。だからこそ私は、詩を紡いできたのだ。
……長いあいだ、私は別人になる夢をみてきた。夢のなかの彼はまったくの別人ではなく、時間軸を異とした「私」なのである……死に臨んでようやく、私は悟る。
「私」とは、私が焦がれ模倣しつづけてきた人生であった。深い感動とともに、最後になるであろう詩を搾りだす。命の煌めきである。月のように輝いて、あとにはなにものこさない……。
蹌踉と漂白に憑かれ 肉は枯れ 夢の彼へと飛んでゆく
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