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【一】

胡蝶


 私は、「私」の死をみた。二歳年長の彼は私と存在を別にしていたが、まごうことなき「私」であった。二年後のいまの、ここにある私であったのだ。

 彼は、朝に死んだ。出仕せんとする朝に。院のために働いて働いて、その結果がそれであったのか。


 私はずっとまよっていた。俗世に囚われて生きつづけるか、俗世を棄てるべきかを。武官としての地位矜持と、妻と娘。それらを護持しつづけるのか、棄ててしまうのか。

 彼はまさしく、前者の途をえらんだ「私」である。そしてむなしく、頓死した。彼の妻子がその骸にすがり、哭きつづけていた。苦悶の果ての彼の死に顔は、俗世の虜囚でありつづけたことを悔いているかのように……私の眼には映ったのだ。


 私が遁世に憧れるようになったのはすべて、あのかたのせいだ。あのかたへのゆるされぬ恋。十八の年にあのかたのご実家に出仕し、あのかたにまみえた。爾来、あのかたの虜囚でありつづけてきた。あのときのあのかたは、ちょうどあのときの私の齢を二重にしておられた。私よりひとつ年下の皇子みこの、母御であられた。

 母ほどに年の離れたあのかたに、邪恋としか呼びようのない憧憬をあてはめてしまった。年齢と身分をわきまえぬこの焦燥を、どうすることもできずに。

 あのかたの美しさは、老若という規範を超越している。あのかたの肉皮こそが、絶対の美である。あのかたが少女であられたころを、うまれてもいなかった私が知る由もない。美しい乙女であられたのだろう。若かりしころには、若かりしころの価値がある。爛熟には爛熟の、老成には老成の美がある。変容しつづけるそれらに、優劣などはない。私は、絶対の美に憑かれたのだ。あのかたの齢が十四であれ十九であれ二十二であれ三十であれ四十二であれ五十四であれ、私はその奴僕となっていた。時間軸の変容とは無関係に、私の恋はあのかたに帰する。

 あのかたにとって私など、なみいる陪臣のひとりにすぎない。私という存在がはたして、その御心の片隅にでもとどめてもらえているかどうか。九牛のなかの一毛の価値でも、私にあるのかどうか。

 あのかたにとってはなにげない記憶にもとどまらぬような些細な所作のひとつひとつが、私の脳髄に深く刻みつけられている。あのかたが私を想うことなどない。そんなことはわかっている。私ひとりが想う「孤意こい」で、「相意あい」にはなりえない。そんなことはわかっている。だが、どうしようもない。あふれる熱情は海となり、私はそのなかで藻がきつづけてきた。


 私は妻を得て、娘を得た。妻と娘を愛している。そのことに一片の嘘いつわりもない。だがそれよりも深く、あのかたに焦がれている。妻を得れば、慕情は移ろうと思っていた。娘がうまれて、邪恋は死ぬと思っていた。だが、そうはならなかった。私の目論見は、苦しみを殖やしただけのことだった。


 もはや、遁世しかない。あのかたへの想いは棄てられない。俗世に縛られているかぎり、ゆるされぬそれを。ならば私のほうから、俗世を棄ててしまえばいい。棄てられぬあのかたへの恋を、棄てようと徒労する必要がなくなる。邪恋をかかえながら、ひっそりと生きてゆく。それがいつしか、私のねがいとなっていた。

 そうして「私」の死を見て、私は決意した。かねてよりの夢想を、現実のものとすることを。

 そのために、妻と娘を棄てなければならぬ。武官の地位と家門の存続には、なんの未練もない。が、妻と娘はちがう。だが、棄てなければならない。あのかたへの想いを棄てられないからだ。信仰を棄却しようと愛したものは、いまや信仰の妨げでしかなかった。路傍の石を蹴散らすように、棄てるべきものを私は棄てる。


 棄てることを決めた家にもどると、棄てることに決めた四つになる娘が私の足にじゃれついてくる。おぼえたてのおぼつかない言葉で精いっぱい、私が帰宅したよろこびをあらわす。その愛くるしい頭をなでてやろうと伸ばしかけた手を、あわてて引く。

 私は鬼になる。いや。信仰の護法神だ。


 すがりつく幼い体から、右脚をすりぬけさせる。そして足の裏を幼子の額にあてがい、思いきり蹴りとばす。儚い体は吹きとび、廊下と地面の高低を経て叩きつけられる。幼い顔はわが身に降りかかった現象を呑みこめなかったのか、しばらくは呆然と私を見つめていた。やがて知覚を取りもどしたのか、火がついたように泣きわめきはじめた。

 その大音声だいおんじょうにまねかれるように、奥から妻が出てくる。私を一瞥して、泣きじゃくる娘のもとに駆けよる。幼い体を抱きあげて、なだめつづける。ひどく耳障りなそれが、やむ気配はない。

 妻が私をねめつける。恨みのこもった、潤んだ瞳。妻は言葉を発しない。私がこうすることを、見すかしていたのだろう。私の邪恋も。そのために妻子を棄てる愚かしさも。つよいまなざしで、私を射つらぬきつづける。泣きやまぬ声はさながら、風きりの羽音である。

 求道者ではなく罪人のような心もちで奥へ入り、荷をまとめた。冷たい刃と業火を背に浴びながら、私は棄てるべきものを棄てた……。





夢遊


 ……眠っている私もまた、漂泊者であった。夢のなかでまったくの別人の内側を旅し、その旅についての記憶はのこらない。夢のなかで別人であったという知覚だけを、めざめは纏う。

 記憶にのこらないそれが、気がかりでしかたがない。夢のなかの別人は誰で、なぜ私が夢として体感するのか。私が夢をみているのではなく、その誰かがみた夢こそが私なのではないか……それならそのほうが、いっそのことよろこばしい。

 北の旅から京と近江での長逗留を経て江戸にもどった私は、早くも漂泊の神に憑かれていた。

 漂泊。そもそも最初から、私の「場所」などというものが存在しているのか。「故郷」は伊賀、「在所」は江戸。そのどちらも、私の「場所」ではないような気がしてならない。そもそも、「場所」という定義がなんであるのか。魂の安息を得る「場所」であるのなら、それはやはり漂泊である。庵にいても旅のことが気にかかり、旅の道を踏む足にのみ安寧は訪れる。

 おそらくはこれが、最後の旅になるだろう。体力の限界ではなく、命数をつかいきる。旅の途上、私は死ぬだろう。それこそが、私にふさわしい終わりかたである。

 北への旅に出るまえに庵を売りはらっていて、いまいるこの庵は杉風さんぷうが新築してくれたものである。杉風にはわるいが、一秒でも早く江戸を離れたい。詩に銭を賭けるようなものが蔓延する、頽廃の町から。

 江戸は私を大成させてくれた町であるが、北への旅からもどってくると頽廃していた。この町では其角きかくの作意が第一とされ、私の観念詩はその下位にある。其角は私を立ててくれるが。


 今度は西へ向かう。西方浄土へ。いざ、死出の旅へ……。

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