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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

クトゥルー×SF仮稿(2)

作者: 冴草

 つい今しがた受けた暴虐の実感だけが全身を這っている。

 底抜けの青で埋められた視界に、煙が漂ってきた。つづいて感じたのは、ものすごく嫌な匂い。油と鉄、あとは毛が焦げた時のそれに近いなあ、と、ぼんやり考える。

 起き上がって、この不快ないろいろのもとを突き止めようとするが、体が動く気配はない。僕の体なのに。

 そこで思い出した。起き上がれるわけがなかったんだよな。なにせ僕の下半身は、突然の爆発で吹き飛んでしまったのだ。腰から下がゴムのボールのように放物線を描いて、道路の反対車線へと遠ざかっていくのを、この目でしっかり見た。

 さいわいにも断面に痛みは感じなかった。畳み掛けるような爆発の第二波が、全身をすっかり包んでしまって、もはや痛いとすら思えない。肺が灼けたのだろうか、呼吸のたびに軋むような音が内側に響いて、ああ、死ぬんだな、それだけだった。そもそもまだ生きているのかすら定かではない。肉体のほうはとっくに死を迎えているけれど、今際の際に捉えた秋晴れの空だけがたましいに焼き付いて、無限に引き延ばされているのかもしれないよな、そう思った。だがそんな映像もやがて、瞼が閉じられる感覚もないまま、、黒一色としか認知できない無の彼方へ消えた。

 

 しかしどっこい、僕はいまだ生きている。駆けつけた国連の兵隊によって、あの現場で唯一の生存者として救助され、惜しみなく投入された最先端の医療技術で、一命をとりとめたのだ。意識の回復後、看病してくれた医療スタッフが、発見当時のきみは心肺機能が停止していたらしいよ、と教えてくれた。下半身欠損、呼吸器含む全身の重度の火傷、二十三箇所の複雑骨折、これじゃ気を失ってあたりまえだ、よく生きていたね、とも。

 だから、というべきか、僕はあのくそったれのバカでかい「火の玉」がアスファルトを砕き、僕の傍らを猛烈な速度で通り過ぎていったのも、やや遅れて来た兵隊たちのブーツが立てた硬い足音も、情けないことに、なにひとつ憶えていない。でも憶えていなくてもいいのだ。自らの裡から十六年分の幸福を奪い去った相手を僕ははっきり認識しているし、蹂躙し、撃滅し、復讐を遂げるのに充分な力を貰ったのだから。

 二○三一年九月十三日。四年前のあの日、僕は自家用車の前部座席にいた両親と、自分のすぐ隣で「アイスが食べたい」とぐずっていた八歳の妹を喪い、生まれ育った故郷を失い、平穏な日常と安泰な未来を失って、その対価として、テクノロジーの魔法が産んだ殺戮者としての、第二の人生を得たのだった。


 

 

 「ドクター」

 僕の呼びかけに振り返ったのは、白衣を纏った長身痩躯の男だ。

 「どうした、オリー」

 「オリーはやめてください」

 首を振る。ファーストネーム、しかも愛称で僕を呼ぶのはこの人くらいだ。

 ショウイチ・アイオイ。国連軍が三年前に新設し、いまは僕――オリバー・ムース大尉も所属するハイテク部隊の兵器開発顧問であり、僕を根本から作り替えた男。

 年の頃は五十そこそこ、ぬぼおっとした神経質そうな面長。眉間の皺が生真面目さを顕しているようだが、瞳は常に不思議なきらめきを湛えている。「オリー」なんて可愛らしい愛称が最高に似合わない風貌に僕を設計しておきながら、未だにこの呼び方をするという、ひじょうに矛盾した(チャーミングな)面を持ち合わせてもいる。

 もっとも、他の人達に至っては僕を人間扱いしてくれるかどうかすら怪しいものだから、つまり僕の反応はある種の照れ隠しだ、という自覚もある。

 なんだかむずむずするので、さっさと話題を切り出すことにした。

 「僕のスーツ、改良したらしいですけど、具体的にどこが変わったんですか」

 壮年の科学者は口の端を笑いの形に歪め、ああ、そのことか、と言った。僕はぞっとしてしまう。ドクには四年前から自分の親代わりとして、そしてメンテナンス担当として世話になっているし、現在の自分にとっては最も大事な存在のはずなのに、彼の笑顔はどうも不安を煽るのだ。その内側に何の愉快さもないのに、「普通の人ならばこうするはずだ」といった表情の作り方をしているように映ってしまう。まあ元々変わり者ではあるので、ただ笑うのが苦手なだけなのかもしれないが。

 「自分で動かしてみたらいいんじゃないのかい。まだ降下まで三十分ある」

 「できたらいいんですけど、きょうは一般兵(タグもち)の集合がやたら早くて。もう全員格納庫に並んでます。だから僕が動けるスペースはないし、ぶっつけ本番も嫌なんで」

 「なるほどね」

 ドクはあさっての方へ目をやり、しばらく手のひらで、長い顎をごしごし撫でていた。が、すぐにこちらに向き直って、

 「了解した、しかし私はこれから『ヴィジョン』の調整をしなければならなくてな。完了次第、変更点をまとめたテキストを送るから、それで我慢してくれるかい」

 充分です、と頷いて礼を述べ、格納庫へと戻る僕の背中へ、彼は声をかけた。

 「幸運を、オリー」

 僕は振り向いてから握りこぶしの親指を立てて、にやりと笑った、つもりになった。

 実際にはもう笑うことすらできないのだけれど。

 より正しく言うなら、もはや顔面にいかなる表情も顕在化することはないのだけれど。



 対大量虐殺兵器用戦略的決戦仕様人型装甲、「ナイアルラトホテップ」。この軍隊の中での僕の、というよりこのの正式名称。

 四年前のあの出来事から数週間がたってから意識を取り戻した僕は、永い昏睡状態にあったにも関わらず、ごく自然に身体の動きを制御できた。目覚めてすぐはあたりまえだと思っていたけれど、傍らに控えていた医療スタッフに指示されてベッドから降り、ケーブルとモニタだらけの部屋から出て、当時の僕はそこでようやく違和感を覚えたのだ。いまがいつで、あれからどれくらい経ったのかはしらないけれどこういうときって、ふつうならすぐには身を起こすことさえできないんじゃないのかな。

 しかし身体はまるで短い昼寝のあとのようで、多少ふらつくことはあっても前進それ自体にはまるで問題なかった。先をゆくスタッフについてしっかり廊下の冷たい床を踏み、蹴り、直立歩行を継続している。そこでもっと重大な、今更に過ぎる発見をする。

 下半身がある。腰から下が、歩く脚が、戻ってきていた。

 「ここです」

 黙々と歩いていた若い男のスタッフが、きゅうに振り返った。右手は幅広の廊下の、僕から見て左の壁にある鉄扉を示している。その右の拳で扉をノックし、一、二回。返事を待たずにノブを捻って引き開け、脇で固まっている僕に顎をしゃくる――『中に入れ』。

 もう何から何まで困惑しきりだ。困惑して立ち止まっていたいのに、その暇さえ与えられないのはどうしたことなんだ。頭に来たから、わざと足音を立てて入室してやった。

 「ご指名の被験体を連れてきました」

 と、ここまで僕を連行してきたスタッフ。被験体?僕が?たしかにこうして失った下半身を取り戻し、かつ意識の回復後すぐに歩けている時点でおそらく何らかの高度な科学的、もしくは魔術的措置が講じられたのだろう。でもなんというか、その表現は、ちょっと物騒にすぎないか?

 理解が及ばず、やや憮然としたまま、部屋をぐるりと見回した。元いたあの病室らしき場所よりはかなり広い。真っ白い壁にエアコンと掛け時計。床はすっきりとしていて、配線のたぐいは一切ない。そして入り口の真正面、壁際に設置されたデスクに向かい、僕らを椅子に腰掛けた背中で出迎えた一人の男。

 「こちらに、約六十センチの歩幅を保って、ゆっくり歩いてきてくれ」

 顔も見せず、挨拶もなしにいきなりこれだ。いい加減にしてほしい。僕は言われたとおり六十センチの歩幅で、かつすこしだけ早足で、このいけすかない男に歩み寄った。

 「名前は」 

 横に立ち、こちらから尋ねる。科学者然とした白衣の男は、相変わらず目もくれずに「ほう」と声を上げた。

 「時間をかけて調整したとはいえ、もうそこまで自由が利くのか。予想以上の適応率だ、いやはや」

 よく見ると男はデスクの上の書類に没頭しているわけではなく、デスクそのものに釘付けになっているようだった。どうやら天板はそのままディスプレイになっていて、いくつもの円や線が、休む間もなく明滅し、変動を続けており、その動きひとつひとつをこの神経質そうな男は観察しているらしい。

 と、そのときようやくこちらを顧みる。

 「失礼した。これほどの成果が上がるとは、正直予想外だったもので。ここで兵器開発顧問をしてる者だ、ショウイチ・アイオイ、日本出身」

 にわかに全身の毛穴が開きいて毛が逆立った。背後から音もなく忍び寄られ、耳元で咳払いをされたような、反射的な恐怖。相対した男、アイオイの頬の薄い肉が歪められ、儀礼的な笑みを湛えた起伏を作った、それ以上でもそれ以下でもないはずなのにこの不快さは一体なんだろうか。

 しかし彼はこちらに構わず話を続けており、気づくと部屋の戸口で待機していたあのスタッフはおらず、したがって話題は目の前のアイオイからしか提供されず、理由の解らない感覚に耐えて押し黙ったまま耳を傾けるしかない。

 「ミスタ・ムース、君が今いるのは国連が第一級機密に指定した高度軍事戦略研究開発施設、そのヨーロッパ支部の医療センターだ。きょうはちょうど十月の一日なわけだが、十八日ほど前の九月十三日、ある武装勢力のテロ攻撃によって重症を負った君をうちの兵士が瓦礫の中から引っ張り出して、私が蘇生させた。いわば命の恩人に当たるが私にべつだん気を遣ったりすることはない。私は君の弱ったところへつけ込んで、君を変えてしまった、それに――」

 「なぜ生きている。脚がある」

 おしゃべりに耐え切れなくなって詰め寄る。ほんとうは国連保有の軍事施設ってなんだ、とかどうして名前を知っているんだ、とか、聞きたいことは他にもあったけれど、僕にとってあのとき一番重要だったのは間違いなくそれだけで、むしろそれだけしか訊く余裕もなかった。

 「いいだろう、だが説明の前に、私はおのれの義務を果たしたい。場合によっては君に謝らなければならない。医者が患者の同意なしに常識外の医療行為を施すのは、本来許されるべきではないからだ」

 アイオイは口を動かし続けながら椅子をギイと鳴らして腰を上げ、僕から見て左、ぼくと真正面から向き合う形になっていた彼からは右の壁に歩み寄る。カレンダーの一つも貼られていない白くのっぺりした面に、左の手のひらを押し当てる。

 「今からこの部屋に複数台ある監視カメラから抽出合成した、リアルタイム映像を出す。この部屋にはあいにく、姿見がなくてね。映っているのは私と君、見るといい」

 そう言ったのと同時に壁面に『掌紋認証完了』の赤い文字が浮かび、間を置かず彼の指はアルファベットと思しき記号の幾つかをなぞり、そこでようやく僕は、何の変哲もない壁だと思っていたものが、テクスチャさせた液晶パネルだったことを知る。

 「これが君の、君を生かすために私が用意した容れ物(インターフェース)だ」

 パネルは一瞬の点滅の後、部屋の中をくまなく映す。机があり、椅子があり、背の高い日本人のアイオイがいる。それらを差し置いて、こちらの僕に対する僕がすぐそこにいる。

 「――え」

 ぼく?

 これが?

 この、働き蟻のような、全身に黒黒とした、まるでSF映画みたいなパワードスーツを着て、自分の虚像を見つめる目も、鼻も口もない、これがぼく。

 お前が十八日後のオリバー。

 「すまない」

 たっぷりの時間を置いて、やけに遠くで、軍事開発顧問の声が聞こえたように感じたのは、今でも思い出せる。


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