第二話:派遣登録
翌日、平和島駅午前八時五十分。
昨日の日内先輩からのお説教を重く受け止めた俺は、今日は待ち合わせ時間の十分前に待ち合わせ場所に到着した。改札口に向かう階段を下りながら改札口の先の方を見てみると、既に日内先輩は到着していた。俺はそそくさと改札口を通り、日内先輩のもとに駆け寄り挨拶をした。
「お、おはようございます!」
「おはよう。早速『十分前行動』を実践しているようだな」
「は、はい」
「しかし、『デキる男』は『十五分前行動』が当たり前なんだよ。タバコ一本ゆっくり吸える余裕が大事なんだ。俺はタバコ吸うから『十五分前行動』を実践している」
「はあ……。あ、お待たせしてすいませんしたっ!」
「いやいや、待ってない。タバコ吸ってただけだから」
「は、はい」
日内先輩の両手は、一人では食べきれないほどの大量のバナナが入ったスーパーのレジ袋で塞がっていた。
「守もそこのスーパーでバナナ買ってこいよ。派遣先で配ると大変喜ばれるんだ。待っててやるから買ってこい」
「はい」
日内先輩に言われるがままに、俺は駅前のスーパーで両手で持てる分だけのバナナを買って日内先輩のもとに戻った。
「守、心の準備はできてるか?」
「はい。って言うか、昨日その『心の準備』が気になってあまり眠れませんでした……」
「大丈夫だ。安心しろ。俺がついてるから」
「はい!」
「それじゃ行くぞ!」
「『行くぞ!』ってどこへ行くんですか?」
「人材派遣会社だ。まずは派遣登録しないと仕事ができないからな」
「はい」
日内先輩と俺は、人材派遣会社のビルがあるという倉庫街に向かって歩き出した。倉庫街に向かう途中でも、日内先輩にこれからやる仕事について尋ねてみたものの、「着いてからのお楽しみだ」と言われて昨晩に引き続き答えをはぐらかされた。『害獣駆除』、この耳慣れない言葉が、俺の心の中の不安な思いを一層強くさせた。
平和島駅から歩いて十五分ほどで倉庫街に辿り着いた。目的地のビルは倉庫街には不釣り合いなほど洒落た外観のビルだった。
ビルの通用口にある守衛室で入館証を借りて、駅の自動改札機のようなセキュリティゲートを通ってビルの中へ入った。日内先輩は社員証が入館証代わりになるようで入館証は不要だった。
ビルの中に入ると正面に受付があった。日内先輩と俺は受付で担当者を呼び出してもらった。
「派遣の日内ですが、人財支援グループの姫野さんのお呼び出しをお願いします」
「はい、かしこまりました。そちらのソファーでお座りになって少々お待ちください」
促されるままに日内先輩と俺は、受付の近くに置かれているソファーに腰掛け、姫野さんという担当者が来るのを待った。
五分ほど待っていると、日内先輩がおもむろに席を立った。俺もつられて席を立った。どうやら担当者の姫野さんがあらわれたらしい。
日内先輩のもとに歩み寄ってきたのは、黒髪のロングヘアがとても印象的な小柄な女性だった。年齢は二十代後半といった感じだろうか。
「日内さん、おはようございます。お待たせしてすいません」
「姫野さん、おはようございます。彼が昨日電話でお話しした私の後輩です」
日内先輩の言葉を聞いた姫野さんは俺の方に視線を向け、足のつま先から頭までじっと見つめた後に俺にニコッと微笑んだ。
「はじめまして。『ブレイブマンサービス』へようこそ。私、株式会社ブレイブマンサービス、人財支援グループの姫野由美香と申します」
そう言って姫野さんは俺に一枚の名刺を手渡した。
「あ、はじめまして。俺、長内守と申します」
「それでは応接室の方でお話ししましょうか」
「はい」
「あら、日内さん、今日もバナナを大量購入されたようですね」
「ええ、派遣先のみんなが喜んで食べてくれますからね」
応接室に入ると、日内先輩と俺は上座の三人掛けのソファーに座るように促され、姫野さんは下座の一人掛けソファーにちょこんと座った。応接室に入ってしばらくすると、三人分のお茶が運ばれてきた。俺は緊張をほぐすために目の前に運ばれてきたお茶を一口だけすすった。
「ところで長内さん、日内さんからは今回のお仕事についてはどのように聞かされていますか?」
「『害獣駆除』とだけ聞いています」
「『害獣駆除』とはなかなかよい説明ですね。近からずも遠からずです」
「弊社、ブレイブマンサービスでは他の人材派遣会社さんとは異なりまして、派遣登録された方々を異世界に派遣することを主たる業務としています」
「『異世界』ですか?」
「日内さんにご依頼している仕事は、地球から一千万光年先にある惑星アルガンダの『生きた泥』の退治です」
「『惑星アルガンダ』? 『生きた泥』って何ですか?」
俺は姫野さんに質問した。
「要は、『スライム退治』だよ」
俺が姫野さんに対して質問した答えを日内先輩が答えた。
「そうです。要は、『スライム退治』です」
姫野さんは日内先輩が言った答えを繰り返して言った。
「『スライム』って、ロールプレイングゲームによく出てくるあのスライムですか?」
「はい。実際現地で『生きた泥』と呼ばれている生物は、ゲームに出てくるスライムよりグロテスクですけどね……」
異世界、惑星アルガンダ、生きた泥……。俺の思考は停止していた。
「守、話について来れてるか~?」
日内先輩の問いかけに俺は頭を振った。
「異世界に行ってスライムを退治して一日五万ゴルドもらえるんだぞ~」
俺はまだ話の内容が飲み込めていなかったが、日内先輩の言葉に対してこくりと頷いた。
「長内さんは異世界についてあまりご存知ないようですね。わかりました。私が簡単にご説明しましょう」
「よ、よろしくお願いします」
「二千十六年一月一日に私達の住む地球は、千二十三億とんで三番目に『銀河系異世界連合』への加盟が許されました。地球レベルで言えば、国際連合に加盟したのと同じようなものです。銀河系異世界連合に加盟すると、異世界間での交流の機会が与えられます。ここまではご理解頂けましたか?」
俺はこくりと頷いた。
「銀河系異世界連合には『異世界法』という法律があって、新たに銀河系異世界連合に加盟した地球は、『発展途上異世界及び保護指定異世界』として、銀河系異世界連合の保護下にあります。銀河系異世界連合への加盟後五年間は、地球への異世界人の立ち入りは禁止されています。その反面、地球から他の異世界への立ち入りは許可されています。見聞を広めるためが目的とされています。あと野菜、果物、穀物以外の資源、物資、技術の輸出入は禁止されています。ただし、異世界間交流で異世界への貢献など、ある程度の実績を残した場合、特別措置として野菜、果物、穀物以外の資源、物資、技術の輸出入が解禁されます。日本を含む各国は、こぞって異世界資源、物資、技術の輸出入が一日でも早く解禁されるように躍起になっているのです」
「生きた泥の退治が異世界への貢献になるというわけですか?」
「はい、もちろんです! 惑星アルガンダでは、近年生きた泥の大量発生に頭を悩ませておりまして、生きた泥退治に従事する者の人員不足や、退治した後の死骸の後始末に苦慮しておりました。それを改善する方向に導いたのが我々地球人なのです」
「先程技術の輸出入は禁止されているとおっしゃいましたが、改善するには技術の輸出は必要なかったということですか?」
「はい、惑星アルガンダの技術力は、地球の先進国の技術力に匹敵、いやもしくはそれ以上ですから」
「そうですか」
「ここまで聞いたところで長内さん、お仕事お引き受けして頂けますでしょうか?」
「あ、はい! やります!」
姫野さんの説明を聞いて『害獣駆除』がスライム退治だとわかり、俺の心の中の不安は取り除かれていた。むしろ、今の俺の心の中は惑星アルガンダへの好奇心でいっぱいだった。
「それでは派遣登録書にサインをお願いします。くれぐれも言っておきますが、命に関わる状況に陥った時、弊社では一切の責任を持ちません。まあ、命に関わる状況に陥ることはまずないと思いますけど」
「はあ……」
俺は一瞬ためらったが派遣登録書にサインをした。
「ありがとうございます」
「あの、惑星アルガンダへはどうやって行くんですか? 宇宙船とかで行くんですか?」
「時間がありませんのでそれは後ほどご説明します。それでは早速出発の準備を始めて頂きます」
「守、ここからが本当のお楽しみだぞ」
姫野さんと俺とのやり取りを聞いていた日内先輩が口を開いた。
「それでは出発フロアにご案内いたしますので私に付いて来てください」
「はい」
俺達は応接室を後にして、姫野さんの言う出発フロアへと向かった。